2022年5月5日木曜日

子どもの日

GWの最終日で「子どもの日」。
園内は子ども連れで多かったです。
今日は「母に感謝する日」なんですよね(^_-)

そして「立夏」、暑かったです(^^;)
現代のように鯉のぼりが上げられるようになったのは江戸時代になってから
浮世絵EDO-LIFE大きな鯉のぼり広重“名所江戸百景 水道橋駿河台”

武家では幟旗(のぼりばた)が端午の節句の飾り物でした。
鍾馗(しょうき)は子どもを病気や悪霊から守ってくれる魔除け。
幟旗や吹き流しは、武家飾りで町人は飾ることができませんでした。
代わりに町人が飾ったのが鯉(こい)のぼり。
鯉のぼりの始まりは江戸中期以降。
中国の滝を上った鯉が龍になったという登龍門伝説より
跡継ぎの立身出世の願いが込められています。

名所江戸百景 水道橋駿河台」(東京富士美術館)
公園では、キショウブ(アヤメ科)など花菖蒲を見ることができるのですが
ショウブ(サトイモ科)は、歩いているコースには?
端午の節句は、男の子の祭りのように思われていますが

[五月節供(せっく)・端午(たんご)]

 この日を端午というのは、「端」とは初めという意味で、すなわち「月の初めの午(うま)の日」ということである。
中国では、水中に投身した屈原(くつげん)の霊を弔ったことが起源とされ、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒にさしたという。
わが国の行事をみると、菖蒲や蓬を軒にさし、菖蒲湯に入り、鯉幟や武者(むしゃ)人形を飾り、粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べることが全国的に行われている。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
しかしよくみてみると、この日と女性との関連を示すものが多いことに気づく。
たとえば、菖蒲や蓬を束にして、母屋・蔵などの入口の庇(ひさし)にさし、それを女の屋根と呼び、その下を女の家と呼ぶことなどである。
このことは、女の人が菖蒲や蓬でふいた家の中で忌み籠りをしたことを示している。
そしてこの女の人は、来るべき田植で主役をつとめる早乙女(さおとめ)となる人でもある。
とすると、この日も田植を前にして重要な日だったのである。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
五月の節句のたのしさ
  ――節
(せち)は五月にしく月はなし (第39段)
 
 節句は五月の節句。
宮中でもふつうの民家でも、しょうぶ、よもぎなど香りたかい草をかざる。
 ほかの節句はこういうことはしない。
このごろの空もようは曇りがちだが、宮さまの御殿では縫殿(ぬいどの)から色とりどりの糸で組んだ薬玉(くすだま)が献上されたので、御帳(みちょう)を立てた柱の両わきにかざった。
 九月九日の菊の節句のとき、生絹(すずし)につつんで献上された菊をおなじ柱にゆいつけてあったのを、この薬玉ととりかえてすてた。
この薬玉は菊の節句までこうしておくが、とりどりの糸をひきぬいて、ものをむすぶのにつかったりするから、まあしばらくの間のかざりだ。
(『現代語訳 枕草子』大庭みな子 岩波現代文庫 2014年)
 節句のお膳を中宮にさしあげ、若い人たちはしょうぶの腰飾りだの物忌(ものい)みのおまじないなど、色とりどりの衣装に、枝ぶりのよいしょうぶの葉や、長い根を、むら濃(ご)の組(く)み紐(ひも)でむすんだりしているのは、例年のことではあるがはなやいでいる。
春ごとにさくからといって、桜をつまらないという人はいないと同様だ。
 道をゆく子どもがそれぞれに気ばった思いでかざりものをつけて、人のと見くらべて、自分のがいちばんいいと思っているのに、そばからいたずら小僧の召し使いの少年にとられて、泣いたりしているのもいかにも節句らしい。
 紫の紙には楝(おうち)の花、青い紙にしょうぶの葉を細くまいてむすび、白い紙を根にまいたのもこの季節の風物である。
長いしょうぶの根を手紙の中にいれたのも趣がある。
 返事を書こうと友だちと見せあって相談したりするのもたのしいながめだ。
どこそこの娘さんや姫君やに手紙を書こうとする人も、今日はことさらに思いをこめて書くのだろう。
夕暮れ、ほととぎすの鳴く音もいっそう趣をそえる。

縫殿 縫殿寮(ぬいどのりょう)のこと。宮中の衣服を縫うところ。
(『現代語訳 枕草子』大庭みな子 岩波現代文庫 2014年)
島内裕子さんの「」を転記します(『春曙抄(しゅんしょしょう)』では第46段になります)。

第四六段

 評 

 菖蒲で軒を葺くこと、薬玉のこと、当日の人々の衣装、この日に取り交わす手紙への心配り、時鳥など、この日のための準備も含めて、五月五日の情景をトータルに描いていて、読みごたえがある。
五月五日に関することは、第八段で天候のこと、第四四段で樗(あふち)のことなど、少しずつ触れられていたので、既視感がある。
ただし、この段が今までの中で最も詳しく、その意味では、第三段で元旦から四月の葵祭まで、季節の行事を詳しく書いていた段との繋がりが強く、それを書き継いだかのような印象さえ受ける。
しかも、第三段で、葵祭を心待ちにする「子どもの情景」とも繋がるような、晴れ着姿の子どもの様子も、生き生きとしている。
なお、この段は『徒然草』第138段の、「御帳(みちやう)に懸(か)かれる薬玉(くすだま)は、九月九日、菊に取り替へらるると言へば、菖蒲は、菊の折までも有るべきにこそ」の典拠として、注目される。
『徒然草』には『枕草子』との関連箇所が点在するので、そのつど紹介したい。
(『枕草子 上』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)
   時忠へ菖蒲の代詠

 五月五日、宮の権大夫時忠(ごんのだいぶときただ)のもとより、薬玉(くすだま)まきたるはこのふたに、菖蒲の薄様(うすやう)しきて、おなじ薄様に書きて、なべてならずながき根をまゐらせて、

 君が代に ひきくらぶれば あやめ草 ながしてふ根も あかずぞありける

   かへし  花たちばなの薄様にて
 心ざし ふかくぞみゆる あやめ草 ながきためしに ひける根なれば
(『建礼門院右京大夫集 全訳注』糸賀きみ江 講談社学術文庫 2009年)
現代語訳
 五月五日、中宮方の権大夫時忠さまのところから、薬玉を蒔絵(まきえ)の模様にした箱のふたに、菖蒲の薄様を敷いて、同じ色の薄様に次の歌を書いて、普通よりずっと長い菖蒲の根をのせて、中宮さまへ献上された。

 中宮さまのご長寿にひきくらべますと、長いというこの菖蒲の根も、物足りなく思われることです

  お返事は、中宮さまに代わり、こちらは花橘の薄様にしたためて
 贈ってくださった菖蒲の根に、あなたさまのご厚意が十分感じられます 長寿の例として引いてくださった根なのですから
語 意

五月五日 菖蒲の日といい五節句の一つ。あやめの日とも。
古くから菖蒲は邪気を払うとされ、宮中では内薬司(ないやくし)と典薬寮(てんやくりょう)とから献上した。
人々もこれを贈答し、軒にさし袖にかけ、菖蒲蘰(かずら)をつけて延命長寿を願った。
宮の権大夫時忠 中宮職(しき)の権大夫、平時忠。清盛室時子、後白河天皇の女御(にょうご)建春門院滋子(けんしゅんもんいん しげこ)の兄。
薬玉 種々の薬や香料を玉にして錦(にしき)の袋に入れ、菖蒲や蓬またはその造花を飾り付け、五色の糸を垂らしたもの。不浄を払い邪気をさけるとされ、五月五日の魔よけとして身につけたり、柱や簾(すだれ)にかけた。
まきたる 蒔絵にした。蒔絵には漆(うるし)工芸の技法で、漆を塗った上に、金粉・銀粉・貝などで模様をつけ、磨いてつやを出すもの。
はこのふた 貴人に物を贈る時、筥(はこ)の蓋(ふた)に入れる習慣があった。
菖蒲の薄様 菖蒲は襲(かさね)の色目の一つ。表は萌黄(もえぎ)、中倍(なかべ)は薄紫、裏は紅梅。表萌黄、裏紅梅とも。ここは紙の場合。
ながき根 菖蒲の根の長さを競ったり(根合<ねあわせ>の行事)、長寿を願う呪(まじな)いとして献上し、贈答したりした。
ひきくらぶ 根を泥(どろ)の中から「引き抜く」と、「ひき比べる」との掛詞。「ひき」「根」は縁語。
花たちばなの薄様 襲の色目の一つ。表朽葉(くちば)、裏青の薄様。夏に用いる。
解 説
 
 時忠が菖蒲の長い根を中宮に献上したそのお礼として中宮に代って中宮の立場で詠んだ歌。
作者にとっては名誉ある公的な性格をもった歌だったのである。
(『建礼門院右京大夫集 全訳注』糸賀きみ江 講談社学術文庫 2009年)

(「代表的な重色目」日本服飾史)
今朝の父の一枚です(^^)v

夏の気象

…前略…

 日本の夏の始まりを暦の立夏(5月5日)とするならば、日本には三つの夏がある、といえそうである。
第一の夏は、5月の初夏。
日差しは強いが、日中の気温は、関東以西で22~24度ぐらいで、薄暑の感じはあっても、熱帯なみの暑さではない。
さわやかな大気の中にヤマブキ、ライラック、ハナズオウなどの初夏の花が咲いている。
新緑の林にはセミの声は聞こえず、雑草はなよなよして、静かな夏である。
そしてヨーロッパのサマーが、まさにこの第一の夏と同じ気候なのである。
第二の夏は梅雨である。
一年中で一番日の長い季節だというのに、日光は低くたれこめた雲にさえぎられてしまう。
東京の6月の日照時間は134時間で、一年中で最も日の短い12月の173時間より34時間も少ない。
第三の夏は、梅雨が明けた後の7月後半と8月の盛夏である。
通常、われわれが夏と呼んでいるのは、この期間である。
亜熱帯を思わせる青空に、太陽はギラギラと輝き、熱気につつまれた林の緑は、日に日にくろずんでいく、熱帯のジャングルを育てた気候が、約一ヵ月半ばかり、日本に現れるのである。
…後略…
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)