2022年5月10日火曜日

寒いなと思っていたら

 今朝も寒いなと思っていたら歩いているうちに暑くなってきました。
最初に見たキンシバイの蕾(8時頃)。
帰るころには開いていた…(9時半ころ)。
ビョウヤナギも一緒にあるので間違っているかも…)
 国立公文書館のTwitterに

毎年5月10日~16日は愛鳥週間。
鳥や自然を大切にする気持ちを大事にしたいですね。
画像は、江戸時代の国学者・屋代弘賢
(やしろひろかた)が珍しい生物の図を集めた『希品図会』よりレンジャク
中国の画家・沈南蘋(しんなんびん)の画を参考にして描かれた姿のようです。
Eテレの100分de名著を毎回楽しみに見ています。
司会の伊集院光さんは、紹介される名著についてほとんどが知らない。
まっさらの状態で番組に臨んでおられると思う。
でも、毎回、すごい理解力だなと思う。
講師の話を伊集院さん流の言葉に変換しているのがスゴイ。
そしてアナウンサーの安部みち子さんは、事前に読んで打ち合わせをしていると思うけど、
視聴者が疑問に思うだろうなというところを講師の先生にたずねておられる。

今月はアリストテレスの「ニコマコス倫理学」。
アリストテレスの名前を知っていたけど読んだことはない。
番組を見ていると読みたくなります。

4月は、ハイデガーの「存在と時間」でした。
実は、十数年前にちくま学芸文庫の『存在と時間(上)』と『存在と時間(下)』を読みました。
でも、まったく理解できないというか言葉が頭に残りませんでした(^^;)
そのこともあって番組を楽しみに見ていました。
第3回「本来性」を取り戻す〟を見ながら思い出していたのは『徒然草』でした。
第12章 『徒然草』における時間認識
 2.無常の到来
 *季節と生死


 『徒然草』の第155段は、「世に従はむ人は、先(ま)づ、機嫌(きげん)を知るべし」という印象的な一文で書き始められている。
人が、世間の約束事に従って生きてゆこうとするならば、何よりも大切なのは時機を図ることだと、というのである。
ところが、その時機を図ることの意味合いが、四季の移ろいに託して検証し直され、否定される展開になっている。
それはなぜか。
(「『方丈記』と『徒然草』」島内裕子 放送大学教育振興会 2018年)
  春暮(く)れて後(のち)、夏になり、夏果(は)てて、秋の来(く)るにあらず。春は、やがて夏の気を催(もよほ)し、夏より、既に秋は通(かよ)ひ、秋は、則(すなは)ち寒くなり、十月には、小春(こはる)の天気、草も青くなり、梅も蕾(つぼ)みぬ。
 季節の交替は、きちんと入れ替わるのではなく、変化はすでに密かに内在している。
そのことを兼好は、自然観察によって、はっきりと見抜いている。
とは言え、それでも、「四季は、猶(なほ)、定まれる序(ついで)(あ)り」とされる。
だが、その言葉は、直ちに、「死期(しご)は、序(ついで)を待たず」という一文によって、意味を失う。
無常の到来は、迅速であるだけでなく、突然なのである。
  死は、前よりしも来(きた)らず。予(かね)て、後(うし)ろに迫れり。人皆(ひとみな)、死有(あ)る事を知りて、待つ事、しかも急(きふ)ならざるに、覚えずして来(きた)る。沖の干潟(ひかた)、遙(はる)かなれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満つるが如(ごと)し。
 林羅山の『野槌』は、朱子学者である程子(ていし)が、海水の満ち引きを見ながら宇宙の本質を考察したことを、詳しく語る。
海北友雪(かいほうゆうせつ)の描いた『徒然草絵巻』(サントリー美術館蔵)に描かれている海辺の閑居と、そこで物思いに耽(ふけ)っていると見える人物は、僧形であるが、程子のイメージも重ね合わされているように感じられる。
友雪は、『徒然草』の全段を絵画化するにあたり、林羅山の『野槌』に書かれている注釈の内容を、大いに参照しているからである。
 死の到来は、確実であるだけでなく、突然である。
この事実を、よくよく認識しておくことの大切さを、『徒然草』はさまざまの段で、繰り返し語ってゆく。
そこから、『徒然草』は無常観の文学だという理解がなされることになった。
ただし、「無常観の文学」というよりも、無常を含めた時間の諸相に思索を巡らせる文学であると把握した方が、より一層、正確に『徒然草』を理解できるのではないか。
すなわち、無常の実体を明晰に把握する文学である。
  *雪仏のはかなさ

 江戸時代の人々は『徒然草』を日常生活に活用できる教訓書として歓迎したが、中世の混乱期を生きた人々の間では、『徒然草』の無常観への共鳴がなされた。
心敬(しんけい 1406~75)は、歌人正徹(しょうてつ)の弟子である。
ちなみに、正徹(1381~1459)こそは、『徒然草』の文学的な価値を発見した最初の人物である。
彼の弟子であった心敬もまた、連歌論書『ひとりごと』で、次のように書いている。

  まことに、唯今(ただいま)をも知らぬ幻(まぼろし)の身をば忘れて、常住有所得(じやうぢゆううしよとく)のみに落ちて、さまざまの能芸・学問・仏法(ぶつぽふ)などとて、罵(ののし)り合へる、愚かなるかな。ただ、春の雪にて、仏(ほとけ)を作りて、そのために堂(だう)・塔婆(たふば)などを構(かま)へ侍(はべ)るが如(ごと)くなり。

 ここは、『徒然草』の第166段で述べられている無常観への共鳴が書かれている。
  人間の営(いとな)み合へる業(わざ)を見るに、春の日に雪仏(ゆきぼとけ)を作りて、その為(ため)に金銀(きんぎん)・珠玉(しゆぎよく)の飾りを営み、堂(だう)を建(た)てむとするに似たり。その構(かま)へを持ちて、良く安置(あんぢ)してむや。人の命、有(あ)りと見る程(ほど)も、下(した)より消ゆる事、雪の如(ごと)くなる中(うち)に、営み待つ事、甚(はなは)だ多し。
 『ひとりごと』に書かれている「幻の身」という表現は第166段にはないが、「物皆(ものみな)、幻化(げんげ)なり」(第91段)とか、「如幻(によげん)の生(しやう)」(第241段)という表現はある。
また、『白氏文集』に、「幻世春来夢、浮世水上泡」という漢詩句があり、それを和歌に詠んだ大江千里(ちさと)の「幻の身とし知りぬる心にははかなき夢と思ほゆるかな」という和歌もある。
この『白氏文集』は、『源氏物語』で柏木が「泡の消え入る」ように死去したとある箇所の典拠として、『河海抄』などが指摘しているので、中世後期の知識人たちの共通教養となっていた。
『源氏物語』で引用されていた漢詩と、『徒然草』の散文とが響き合い、応仁の乱のもたらした「乱世=無常の世」の形容として受け止められたのである。
 さて、はかない物の代名詞となった、春野雪で作った雪仏だが、松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪(はっとりらんせつ)は、江戸から義仲寺(ぎちゅうじ)にある師の墓に詣でて、追悼句を手向けている(『枯尾花(かれおばな)』)。

  この下(した)にかく眠るらむ雪仏(ゆきぼとけ)

 この句の直前には、「終(つひ)に、その神、不竭(つきず)。今も見給(たま)へ、今も聞き給(たま)へとて」とある。
10月25日のことである。
それに先だって、10月22日に興行された追悼句会で、嵐雪は、「幻世春来夢」を踏まえて、「十月を夢かとばかりさくら花」と詠んでいる。
 「雪仏は、いつか融けることがあるだろうが、芭蕉が誹諧の道に賭けた精神は、永遠に竭(つ)きない」と、嵐雪は歌っている。
消えない雪仏が、ある。
兼好が『徒然草』で、無常の到来を覚悟せよと、繰り返し警鐘を鳴らし、人間の命のはかなさを警告し、雪仏の比喩を書いた時、この『徒然草』の雪仏も、決して消えることなき確固とした存在として、後世の人々の心に宿り続けたのである。
ここにも、兼好の散文の力がある。
明治時代の樋口一葉も、次のような詞書で和歌を詠んだ。

  ことし三月、花開きて、とる筆いよいよ、いそがはし。あはれ、此事終り、かの事はてなば、一日、静かに花みむ、と願へども、嵐は情のあるものならず。一夜の雨に、木のもとの雪、おぼつかなし。つくづく思ふに、雪仏の堂塔をいたなむに似たり。

 風ふかば今も散るべき身を知らで花よ暫(しば)しとものいそぎする
(「『方丈記』と『徒然草』」島内裕子 放送大学教材 2018年)
今朝の父の一枚です(^^)v
父と母がよく種を竹トンボのように飛ばしていたセイヨウボダイジュ(セイヨウシナノキ)。

ボダイジュ シナノキ科

…前略…

 葉が似ている木はたくさんあり、日本のシナノキ、オオバボダイジュ、ヨーロッパ原産のナツボダイジュ、フユボダイジュ、セイヨウシナノキなど、ボダイジュの代役が控えています。
シナノキは長野に多かったようで、そこから信濃になったそうです。
樹皮は丈夫で、ロープや布に、材はシナベニヤや製図板などに利用されています。
 セイヨウシナノキはドイツ語でリンデンバウムと呼ばれ、シューベルトの曲もあります。
セイヨウシナノキは自由の象徴で、ベルリンのリンデン並木が有名です。
花や葉をハーブティー、樹皮は薬用、花からは蜜が取れます。
 世界では同じような形の葉の木が、同じように称えられ、愛されているようです。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)