2022年5月3日火曜日

憲法記念日

ひんやりとした朝でした。
でも日差しは眩しくて帽子を忘れた方が
目が痛いと嘆いておられました。
公園に入るとバイカウツギやミカンの花の甘い香りが漂っています。
舞妓さんちのまかないさん「お気張りの飲みもの」に
キヨちゃんが余ったレモンを砂糖漬けにしてレモンシロップにすると
水で割るだけでレモネードとして飲めることや
いろいろ料理に使えるので作っておくと何かと便利と教えてくれていました。
昔、槍ヶ岳などに登っていた頃、レモンを輪切りにしてハチミツをかけて持っていきました。
また、そのままレモンを齧ったりしていました。
レモンの酸っぱさをどれだけ感じるかで疲労度がわかります。
体力のないσ(^^;)は、皮ごと齧っても酸っぱいと感じなかったなぁ…
 蚊の声す忍冬(にんどう)の花の散たびに

 繁茂した青葉の中、蔓(つる)に伸びた忍冬(すいかずら)の白い小花が、風もないのにハラハラと散る。
その度に葉陰にひそむ蚊の群が低く鋭いうなり声を立てて舞い上がる。

三つめのは字余りで、意識した声調の妙。
夏の夕暮の物憂さを鋭い感覚で把握した抒情(じょじょう)的な名句。
新五子稿の「蚊の声忍冬の花の散毎に」は初案か。
(『與謝蕪村集 新潮日本古典集成』清水孝之校注  新潮社 昭和54年)
今日は「憲法記念日」
朝刊の1面に
改憲議論の陰、遠のく生存権 食料配布に100メートルの列、コロナ禍の2年で倍」(朝日新聞)
憲法は、国が国民を守る約束を定めているのだと思っています。
改憲論議をみているとコロナ禍に乗じて、国民の権利を制限することの議論がされている。
生活に困っている人に対しては、「自己責任論」が立ち塞がっている。
政治家の目指している国家像は、国民の知る権利などを制限し抑圧しているロシアや中国にあると思う。
世界 2022年5月号」に芦部信喜(あしべのぶよし)氏の「新憲法とわれらの覚悟」の全文が掲載されています。
当時23歳だった芦部氏の論考です。
解説を長谷部恭男(はせべやすお)氏が書かれています。
解 説》  長谷部恭男
 故芦部信喜教授は、戦後憲法学を代表する研究者である。
裁判所による違憲審査の手続きと技術を精緻化した憲法訴訟論の創始者であり、基本権、統治機構に関する解釈論の展開はもとより、憲法制定権力論など憲法典の正当性の基礎にかかわる原理論を構築し、その著書『憲法』(岩波書店刊。現在第七版、高橋和之補訂)は、教授の没後20年を経ても憲法学の標準的な教科書としての地位を維持している。
(『世界 2022年5月号』岩波書店)
 ここに掲載された「新憲法とわれらの覚悟」は、芦部教授が23歳であった1946年11月15日の作品である。
教え子の間ではタイトルのみが語り継がれ、「幻の原稿」と呼ばれていた。
 本稿では、新憲法を生かすには、国民の主体的意識の覚醒が必要である点が強調されており、それが憲法および日本の歴史の叙述を通じて、ごつごつした頑健な文体で説かれている。
殷鑑(いんかん)として引証されているのは、ドイツのワイマール憲法の経験である。
自由権的基本権の保障を掲げた18世紀から19世紀までの諸憲法と異なり、ワイマール憲法は、自由放任主義のもたらした労働・社会問題を解決して文化国家を設立することを標榜した。
しかし、ヴェルサイユ条約の課した過酷な賠償に加えて世界大恐慌が勃発する等、政治―社会的条件に恵まれなかったドイツは結局、同憲法を死文と化し、ナチスによる体制転覆を許した。
 本稿は、「われわれはこの歴史の悲劇を対岸の火災視することはできない」と言う。
国民の思想的動向が「右に左にただ時論の赴くままに無定見に浮動し何らの節操もない為政者を選出して異とも感じない考え方が依然として改められず、相変ずの被治者根性に支配されて主体的な意識を取り戻さぬ限り、新憲法の下に再び過去の変改がが繰り返されることが決してないとは言えない」からである。
日本国憲法は自由権的基本権に加えて生存権的基本権をも保障しているが、それを実現する具体的方策は「国民の正しき政治活動以外はない」。
 明治維新以来の日本の近代化は「国防国家を建設し、世界に伍し得る国たらしめんとする」ことを唯一最高の目的とするもので、国体意識や家父長制の「美風」に補強された「長年の権力への畏服と尚武の風に培われた」国民は、国内での自由が極端に制限されてもなお、日清、日露の戦勝で民族としての自尊心を満たされ、ついには「唯我独尊民族の悲劇」を辿ることになった。
 論稿は、新憲法の掲げる理想の建設のためには、民主主義制度の確立と相俟って国民的精神の革命的浄化を必須とする」と述べる。
「生活の窮迫に藉口(しゃこう)して深い自覚を以て民主主義的心情を陶冶するの努力をもなさず『我等は治められるもの』との考えを固執し法に無関心である限り、愚劣な為政者が横行して『現在の日本人の頭では未だ何を作ってもだめである』(尾崎行雄)という悲しむべき状態」が改められることはない。
これを改めるには、「正しき権利の主張」とともに、その不可分の理念として「他者の権利を承認、尊重」するという「近代的遵法精神の確立」を目指すべきである。
 論稿は末尾で「一切の偶像にとらわれず、一切の権威を、能力をもつ「自我」(イッヒ)をその最後のよりどころとして雄々しく出発することが最も必要なのではないか」とする。
 政治の領域でも社会生活の領域でも、個人の主体性を確立し、かつ相互を尊重すべしという芦部憲法学の根幹とする思想が、23歳の論稿において早くも、若い熱情のほとばしる筆致で、高らかに宣明されている。
私たちは今もなお、本稿の求める「覚悟」を必要としているのではなかろうか。
  (はせべ・やすお 早稲田大学教授、憲法学)
(『世界 2022年5月号』岩波書店)
今朝の父の一枚です(^^)v
トチノキの花が咲いています。

栃 とちのき
〇秋田県仙北部で、屋敷内にトチを植えてはならぬという。
特に家の北方に植えると病人が絶えぬといって忌む。
〇群馬県利根郡で、トチの花が咲いたらヒエの播(ま)き旬(しゅん)といって農作業の目安にしている。
(『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 令和2年)