2022年5月30日月曜日

青空から…

 今朝も風がなくて日差しが刺さるような感じでした。
1時間ほど歩いて帰るときには雲が広がっていました。
今夜、雨の予報です。
キキョウソウが咲いていました。
似た野草にヒナキキョウソウがあり頂部にだけ花が咲きます。
ヒナキキョウソウを写そうとしたら除草作業でなくなっていました(T_T)
なお在来種にヒナギキョウがあるのですが出会えていません。
絶滅危惧ⅠB類」になっています。
なにわの伝統野菜 勝間南瓜(こつまなんきん)

春風馬堤曲」は『蕪村俳句集』で知っていたのですが、
漢文を見て読むのを諦めていました(^^;)
中学高校生に向けた本で「春風馬堤曲」について転記します( ..)φ
第2章 蕪村
 「春風馬堤曲」


 蕪村は二十歳前に毛馬(けま)のふるさとを出てから、いちども帰った形跡はありません。
後半生を京都に住まいしていて、淀川(よどがわ)を下って大坂にきたことは幾度(いくど)もありました。
舟中にあって、目の前を毛馬村が通り過ぎます。
でも、降りて立ち寄ったようすはなく、表立って感想をもらすこともありませんでした。
(『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』藤田真一 岩波ジュニア新書 2021年)
 といって、蕪村になつかしむ気持ちがなかったわけではなく、ある作品のなかでそれとなくほのめかしています。
かなり手のこんだ作品で、俳句あり、漢詩あり、読み下し風の詩あり、自由な調べの詩ありと、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない作りになっています。
それまで日本にはなかった特異な形の詩です。
前に取り上げた「北寿老仙をいたむ」も見なれない詩形でしたが、それともまた趣(おもむき)を異にします。
 本来なら全作をじっくり読みたいのですが、ここではあらましを述べるにとどめます。
 作品は「春風馬堤曲」といいます。
安永(あんえい)6年(1777)2月刊行の、春興帖(しゅんきょうちょう)『夜半楽(やはんらく)』に収められています。
わずか20ページの小冊子ですが、この一篇の詩によって、日本の詩歌の歴史のなかで忘れがたい一書となりました。
はじめに漢文の序を置き、詩の本文はかなり長いものです。
 序文は、こんな内容です。
年とったわたしが、ある日、旧友を訪ねて故郷へ帰ろうと淀川を渡り、毛馬の堤(つつみ)を歩いていると、同じ方向へ歩く若い女の子と後先(あとさき)になりました。
藪入(やぶい)りで実家に帰るところとみえます。
そのうちに話を交わすようになり、そこで少女になり代わって、「歌曲」18首をつくることにしました。
題して「春風馬堤曲」。
 帰省中の少女といっしょになり、その身になってつくったといいながら、このころ蕪村が生まれ故郷に帰った事実はありません。
蕪村の帰郷が作り事なら、女の子の藪入りも想像でしょう。
つまり、すべてがフィクションなのです。
そこに、作者蕪村の内心を託(たく)そうとしたのでしょう。
そのあと「春風馬堤曲」というタイトルがきて、いよいよ本文が始まります。
 〇やぶ入(いり)や浪花(なにわ)を出(いで)て長柄川(ながらがわ)

 〇春風(はるかぜ)や堤長(つつみなごう)して家遠(いえとお)

 まず俳句に始まります。
「やぶ入(いり)」は、1月中ごろ、奉公人(ほうこうにん)が休みをもらって実家に帰ることをいいます。
春の季語です。
「長柄川」は淀川の支流で、大阪市内から抜けたところを流れています。
心地よい春風に吹かれながら、実家までの遠い道のりをたどっていきます。
 このあと、川辺に降りてちょっと遊んだかとおもうと、茶店でひと休みをして、ふたたび歩き始めます。
やがて、母のことが胸に迫ってきて、どんどん歩みをはやめるうちに、ふるさとに近づいてきます。
気がつくともうたそがれ時、そのなかになつかしい家が見えてきました。
戸口には弟を抱いたおかあさんが待ってくれています。
奉公先を出て、淀川堤を歩き、最後に目的地にたどり着くという、こうした紀行を道行(みちゆき)といいます。
ここまでの道行を、俳句体・漢詩体・訓読体・その他自由な形体と、さまざまな詩の姿でうたってきます。
そして最後の最後、ふたたび俳句にもどります。
  藪入(やぶいり)の寝るやひとりの親の側(そば)

 奉公先で日々の緊張感から解放され、親もとでやすらかな寝心地(ねごこち)を味わうさまが、目に浮かんできます。
ただじつは、この句は蕪村自作ではなく、亡き友太祇(たいぎ)の遺作なのです。
安永6年はちょうど太祇の七回忌の年にあたり、追善(ついぜん)の気持ちをこめて借りたのでしょう。
心にくいしわざです。
そのうえ、少年時代の想い出をそっとひそませましたと、蕪村は手紙のなかで明かしています。
郷愁(きょうしゅう)の念を詩(うた)の奥底に秘めた作といっていいでしょう。
一世一代の詩魂(うたごころ)をこめた作です。
(『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』藤田真一 岩波ジュニア新書 2021年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ツバメを写しています。
コンデジの液晶画面を見てツバメを写すのは難しいです。

(2)燕の巣、燕の飛び方、民俗治療

〇ツバメについては、他の鳥類のように鳴き声による占候(せんこう)は無く、翔け方と巣の作り方との二つによる占候が行われた。
和歌山県有田郡では、ツバメの水ハチということわざがある。
雨の降る前日あたりの蒸し暑い時に、ツバメが貯水池など水面すれすれに反覆飛翔して虫を捕って食べるのをいう。
一般に、ツバメが低く飛ぶと雨が降るといっている(津軽・秋田・山形・宮城・群馬・茨城・千葉・山梨・長野・新潟・富山・福井・岐阜・愛知・奈良・和歌山・島根・熊本・大分・鹿児島・喜界島・奄美大島等)。
夕立が来る(群馬)ともいう。
当然その反対に、高く飛ぶのは晴れのしるしとなる(秋田・山形・福島・長野等)。
(『日本俗信辞典 動物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 2021年)