一日一日は長く感じるのになぁ…
「1日夕方にかけて大雨のおそれ」
天気予報を見ると梅雨前線が停滞して雨…
外を見ると中休みをしてくれているみたいだったので
父と一緒に出かけました。
山の上でオカリナを吹いている男性
聞いたことのあるメロディーだなと思っていると
懐かしい曲でした(*´▽`*)
「若者たち ザ・ブロードサイド・フォー」(YouTube)
森山直太朗さんもカバーしているんですね(^^♪
「若者たち」(YouTube)
昨日の記事で紹介した梓澤さんの『捨ててこそ 空也』には
平将門(たいらのまさかど)との出会いが描かれています。
空也と将門がどのように結びついたのかは本を読んでください(^^)/
お参りしたことはないのですが
神田明神の三之宮の祭神は平将門命なんですよね。
「将門塚の怪」を転記しますφ(..)
みなさんは信じますか(^_-)-☆
将門塚の怪 林 睦朗
関東大震災の前まで、東京大手町の大蔵省構内に
平将門の首塚(くびづか)という土まんじゅの塚があった。
京都でさらされた将門の首が
故郷の下総(しもうさ)に帰ろうとして空中を飛んだが、
力尽きてここに落下したと伝える。
(『人物群像・日本の歴史 第4巻 貴族の栄華』学研 1977年)
大正12年(1923)の大震災で大蔵省の庁舎は壊滅し、
塚もこわされて仮庁舎がつくられた。
ところが間もなく、どういうわけか病人があいつぎ、
時の早速(はやみ)大蔵大臣をはじめ役人や
工事関係者が2年間に14人も死没し、
また武内政務次官以下けが人も続出した。
そのけがは揃ってアキレス腱が切れるという症状だったので、
これは将門が足の病のため敗戦のうき目をみた故事に関係がある、
といううす気味の悪いうわさがひろまった。
そういえば首塚をこわしたうえ、
毎日靴で踏みつけていたのだとはじめて気づき、
さっそく省内で大々的な鎮魂祭を挙行し、
丁重にその霊をなぐさめたのである。
その後20年近くたって再び奇怪なことが起こった。
第二次世界大戦後、
この地はアメリカ進駐軍の駐車場建設用地として接収されていた。
ある日のこと、整地をしていた米軍のブルドーザーが
石にぶつかって横転して運転手が死亡した。
それまでにも労務者のけが人が絶えなかったこともあって、
不思議に思った施行者が調べてみると、
そこは首塚のあった場所で、
ぶつかった石はその石標だったのである。
保存碑や石燈篭(いしどうろ)などもみつかった。
そこで当時の町内会長らは将門のたたりを心配して、
マッカーサー司令部に首塚の保存を熱心に陳情した。
司令部は「昔の大酋長(しゅうちょう)の墓」という説明にやっと納得し、
首塚の復旧とその保存はここにかなえられたのである。
現在、将門の首塚は大手町のビルの谷間、
日本長期信用銀行のわきに立派に修復され、
東京都の文化財に指定されている。
隔年の神田明神神幸(かんだみょうじんしんこう)祭には、
必ずここに神輿(みこし)が渡御(とぎょ)することになっているのである。
(『人物群像・日本の歴史 第4巻 貴族の栄華』学研 1977年)
日本長期信用銀行は経営破綻(1998年)をしたので
千代田区観光協会の地図などをみると
三井物産ビルの東側になるようです。
「史蹟将門塚保存会」の「将門塚保存会 歴史と成り立ち」に
「大酋長の墓」について書かれています。
「平将門の首塚 不思議な畏怖がわくパワースポット」(動画)
後日、平将門について本から引用したいと思いますφ(..)
帰る頃に再び雨が降り出しました。
今朝の父の一枚です。
ハギを写していました。
帰宅後、父の写した画像を見ながら父が気に入ったのを
何点か選んでプリントアウトしています。
インクを交換した後にプリントしたのですが
なんか色がくすんでいる…
ノズルのクリーニングをして印刷をし直しました。
梅雨になり湿度が上ってプリンターも蒸し暑さにまいっているのかな?