薄曇りで時折強い日差しが
なんか梅雨空のような蒸し暑さでした(・_・;)
キヌガサタケ(スッポンタケ科)
キヌガサタケはふつう竹林に生える梅雨期のキノコ。
スッポンタケよりもやや大型で、
高さは20センチに達するものがある。
スッポンタケに似るが、
鐘状の傘と胴体の間から白いレース編みに似た
網状のマントを広げるという点で異なる。
悪臭を除けばおそらく
キノコの中の女王といった華麗なキノコである。
傘の表面をおおう悪臭ふんぷんたる粘塊を洗い落とせば
臭気はまったくとれ、
これを中国では貴重な食品として珍重する。
中国名を竹蓀(チュウスン)という。
(『野外ハンドブック・3 きのこ』
今関六也編 山と渓谷社 1977年)
今日は、沖縄の慰霊の日です。
母が艦砲射撃や機銃掃射から解放された日です。
でも、長い年月、いまも沖縄に平和が訪れたとはいえない。
志村ふくみさんが『語りかける花』のなかで
「うりずん」を書いてくださっています。
うりずん
(沖縄地方で)旧暦三月の候。
乾季が過ぎて暖かくなり、大地が潤う時季。
古くはのろ(祝女)の祭が行われた。
(『広辞苑 第六版』岩波書店 2008年)
うりずん
京都では、ひと雨ごとに春めいてきたかと思うと
北山に粉雪の舞うころ、
久しぶりに沖縄を訪れた。
那覇につくと思わず上着をぬぎたくなるほどの陽気で、
桜はすでに散り、うりずんの季節に入っていた。
(『語りかける花』志村ふくみ ちくま文庫 2007年)
うりずん、この快い響きをもった言葉は、
うり(うるおう)、ずん(つもる)
――うるおいがみちて草木がよみがえる季節をいうのだそうである。
あの沖縄の碧緑の海や、
芭蕉の林を吹きすぎる白い空気のような軽やかな風に
うりずんの気が満ちて、
彼岸をすぎると若夏の季節に入る。
琉球弧につらなるみずみずしい生命の息吹が響きとなって、
波の間から生まれたような美し言葉である。
その夜、小さなホールで講演をしたあと、
久方ぶりに出会った婦人は、
艶やかな黒髪を結い上げ、二十数年前と少しも変らない。
かつて柳田国男が「妹(いも)の力」を書き、
「瞳(ひとみ)には鈴をはれ」と語っていたのは、
沖縄の女性への思いであったと思うが、
たしかに、婦人の黒い瞳は鈴をはったように輝いていた。
その夜、私は、植物の中に宿る淡紅色
(桜、梅、欅[けやき]、椋[むく]など)は植物の精の色で
最も霊性の高い色だというような話をした。
婦人は、
「こんなことをお話しするのは
今夜淡紅色のお話を伺ったからなのですが、
先日、山の中で山桜をみたとき、
その紅色が何か私に語りかけるのです。
それ以来、私は花を生けて、
花が散っても塵と一しょに捨ててしまうことができなくて、
花を葬るようになったのです」
という。
婦人はどんな酷暑の時も着物をきちんと着ている。
「この着物は私の魂をつつんでくれます」。
古代、衣は本当に魂の器をつつむものだった。
沖縄へ来て、やまとではもはや聞くことのできなくなった
このような言葉が生きていることに私は胸打たれた。
夜、三線(さんしん)が鳴り出すと
円座に花が咲いたかのように歌い、踊り、
八十歳をすぎたおばあちゃんも数人まじって、
いずれもかくしゃくとして、
打てばひびくようにきびきびと踊り出し、宴は深更に及んだ。
その中のひとりの媼(おうな)、司(つかさ)という神事をあずかる人が、
本当に能面の媼のような気品のある顔をそっと近づけて
「私、いま勉強しているよ」という。
聞いてみると言霊(ことだま)の話のようだ。
林へ入り、神霊と語る司の真剣な瞳が思い出される。
われわれやまとの人間はありあまる物資にうもれ、
老いを欺いて、いたずらに若い。
この石垣のおばあちゃんたちは本ものの老人だ。
焦げ茶色の肌に深い皺、ふしくれ立った黒い手、
働いて働いて、体はボロボロなのだ。
しかし、ひとたび三線の音をきけば、天女のごとく踊り出す。
このおばあちゃんたちが白保(しらほ)の浜で
機動隊にかじりついて空港阻止の運動を続けてきた。
岩の上に線香をたてて祈りはじめたおばあちゃんたちをみて、
機動隊はじりじりしりぞいたという。
今十余年の戦のあと、空港阻止は一応勝利に終った。
しかし、前途は暗い。
ただ少しばかり、位置が変り、時期が延びたにすぎない。
この天真爛漫に踊るおばあちゃんたちが
最も根源的な妹の力を顕現してくれているように、私には思われた。
・初出 京都新聞<現代のことば>1991年4月3日
(『語りかける花』志村ふくみ ちくま文庫 2007年)
久しぶりに親子にお会いしました。
しばらくお話をした後、
ネジバナが咲いている場所の方に行かれたので教えてあげました。
今朝の父の一枚です(^^)v
出会ってもなかなか撮らせてくれない
クロアゲハ(?)を写していましたp(^^)q