2019年6月18日火曜日

少し蒸し暑かった…

少し蒸し暑さを感じたけど
まだ梅雨特有のジメジメとした感じではなかったです。

梅雨(ばいう)
初夏と盛夏のあいだの6月上旬ごろから7月下旬ごろにかけて、
日本列島および周辺に現れる雨季。
または、その季節に降る雨。
梅雨(つゆ)
沖縄本島の梅雨は日本本土より約一ヵ月前に現れ、
「小満芒種(すーまんぼーすー)」などと呼ばれてきた。
(『雨のことば辞典
  倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
梅雨ということばは中国で古くから用いられており、
その語源は、梅の実の熟する季節の雨、
または黴(かび)のはえる季節の雨の意味の黴雨(ばいう)といわれている。
中国の気象学者によれば、揚子江沿いの
上海、南京、蕪湖、九江、漢口(武漢)の5地点の
平均の梅雨期間は6月15日から7月10日までで、
東京の平均の梅雨期間(6月9日~7月20日)とほぼ同じころである。

梅雨ということばは日本には平安時代に伝わったが、
そのころ日本では「五月雨(さみだれ、さつきあめ)」と呼ぶのが主流であった。
室町時代の本に「梅の雨」という語が見え、
江戸時代には「梅雨」が使われるようになった。
一方、「つゆ」の語源には、「露」の連想だとか、
黴のためものが「ツイユ(潰[つい]ゆ=そこなわれる)」などの諸説がある。
暦の入梅は、日付で季節を知ることが不便だった陰暦に
梅雨入りのころの太陽の季節点を刻んだもので、
太陽の黄経80度になる日(太陽暦6月11日ごろ)に記してある。
また、入梅を「つゆ」と読む用例もある。
なお北海道には梅雨現象はないと考えられているが、
年により本州方面の梅雨が明けたあとなどに長雨がつづくことがあり、
「えぞ梅雨」と呼ばれている。

  樹も草もしづかに梅雨ははじまりぬ  日野草城
(『雨のことば辞典
  倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
今昔物語』より「絵師巨勢広高出家還俗語」の
現代語訳を転記しますφ(..)
巻第三十一
絵師巨勢広高出家還俗語第四
  (ゑしこせのひろたかしゆつけしてぐゑんぞくすることだいし)
 本話の典拠は未詳。
名絵師巨勢広高(こせのひろたか)は病気により出家したが、
朝廷は内裏絵所に召し出すため還俗を命じた。
長楽寺の壁板にかかれた彼が髪を生やすため
その寺に籠っていた時にかいたもので、
その後もすぐれた障子絵・屏風絵を多くかいたという話。
本文は途中で欠脱しているが、
第二話と同様、破損によるものと思われない。
理由は不明だが、表題に徴しても
欠脱部分に内容のある記事があるようには思えない。
前話とは、名人が還俗させられて公に仕える話としてつながりをもつ。
地獄絵の屏風については『枕草子』
『栄花物語(えいがものがたり)』や諸歌集にもみえ、
その恐ろしさが述べられているが、
地獄絵巻には伝光長筆のものが現存する。
『北野天神縁起絵巻』の地獄絵も著名で、
第三冊口絵に一部掲載されている。
(『今昔物語 四 日本古典文学全集24』
  馬淵和夫他校注・訳者 小学館 昭和51年)
 今は昔、一条天皇の御代に、
絵師巨勢広高(こせのひろたか)という者がおった。
古人に恥じず、
当代にも肩を並べる者がないほどのすぐれた絵師であった。
 さて、この広高はもともと信仰心が厚かったのだが、
重い病にかかり、
長いこと病床にふしているうち、
深く世の無常を感じ取り、出家してしまった。
その後、病が癒えてもとのからだになったが、
朝廷では彼の出家をお聞き及びになり、
「法師になったところで絵をかくことには何の支障もあるまいが、
 内裏の絵所に召して使うには具合が悪かろうから、
 すぐに還俗すべきである」
とお定めになり、彼を召して、
還俗しべしとお定めがあった旨を仰せ下された。
広高はそれは自分の本意ではないと嘆き悲しんだが、
宣旨(せんじ)いかんともしがたく、やむを得ず還俗した。
 そこで、近江守[①]の[ ① ]という人に
広高の身柄を預けて髪をはやさせたので、
守は東山のとある所に広高を押し籠めておき、
監視人を付けて髪を伸ばさせた。
そこで、広高はそこにあった新しい堂に籠って
だれにも会わず髪を伸ばしているうち、
つれづれのまま、堂の背後の壁板に、地獄の絵をかいた。
その絵は今も残っている。
多くの人が訪れてこの絵を見たが、皆じつにすばらしいものだと言う。
今、長楽寺といっているのはその絵をかいた堂である。
 広高はその後も俗人として長い間朝廷にお仕えした。
この広高のかいた襖絵や屏風の[ ② ]しかるべき所に残っている。
摂関家に代々伝えられる物の中にも、広高のかいた屏風絵がある。
これは家宝として、大饗や臨時の客などの時に取り出されるということだ。
(以下原文欠落)
近江守[①]の[ ① ]という人 
 近江守の姓名の明記を期した意識的欠字。
[ ② ]  欠字の種類・該当語ともに未詳。
(『今昔物語 四 日本古典文学全集24』
  馬淵和夫他校注・訳者 小学館 昭和51年)
枕草子』の中で地獄絵について書かれた
御仏名ノ朝」の現代語訳を転記しますφ(..)
八五 御仏名ノ朝
 御仏名(ごぶつみょう)(*1)の日の翌朝、
清涼殿から地獄絵の御屏風(みびょうぶ)を上(うえ)の御局(みつぼね)が持って来て、
中宮様が御覧あそばす。
その絵のひどく気味が悪いことといったら、この上もない。
中宮様が「これをぜひ見よ」とお命じになるけれど、
「決して見ることはいたしますまい」と言って、
気味の悪さにうつ臥(ふ)してしまった。
(『枕草子[能因本]
  松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
 その日は雨がたいへん降って、
さびしく所在(しょざい)ないということで、
殿上人を、上の御局に召して、管弦の御(おん)遊びがある。
道方(みちかた)の少納言は琵琶で、とてもすばらしい。
済政(なりまさ)の君が箏(しょう)の琴(こと)
ゆきよりが笛、つねまさの中将が笛など、
音色(ねいろ)がたいへん晴れ晴れと明るい。
一曲奏してからは、琵琶を乱(みだ)れ弾(び)きに奏しているころに、
大納言殿が、
「琵琶の声やめて、物語することおそし」(*2)
ということを吟誦(ぎんしょう)なさったところ、
隠れて臥していた者(*3)も起き出して、
「仏の罪は恐ろしいけれど(*4)
 やはりこうしたすばらしさには、
 我慢(がまん)しきれないのだろう」
と言ってまわりの者から笑われる。
大納言のお声などが秀(ひい)でているのではないけれど、
その時機が、詩句とうまくぴったりにわざわざ作り出してあるようであったのだ。
(*1)御仏名 
 12月19日から三日間三世の諸仏の名号を唱えて罪障消滅を祈る仏事。
 清涼殿の御帳台中に観音の画像を掛け、
 廂(ひさし)に地獄変相図を描いた屏風を立てる。
(*2)「琵琶ノ声停(や)ンデ語ラント欲スルコト遅シ」
 (白楽天 琵琶行の一節)による。

(*3)作者

 (*4)地獄絵に目をふさぎ、朗詠に起き出したのでは仏罰が恐ろしい。
(『枕草子[能因本]
  松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
国宝「地獄草紙」(奈良国立博物館)
地獄絵の絵解き 見たくないけど見たい“あの世”」(動画)