2019年3月5日火曜日

青空は嬉しいけど…

昨日は雨と父の歯科への送迎でリハビリ散歩は行けなかったので
今朝は、青空が広がり嬉しいのですが
雨の後の晴天は花粉の飛散量が増える
鏡を見ると目が赤い…痒い…(;'∀')
今週は天気が悪い日が多く、申告にも行かないと…(-_-;)
日曜日に録画予約している番組に「情熱大陸」があります。
今回は塩谷歩波さんでした。
思わず引き込まれてしまった(*´▽`*)
見逃した方は3月10日まで無料配信されています。
書店に1冊在庫があったので早速購入しました(^^)v
銭湯図解』(中央公論新社)

「銭湯図解」の公式Websiteがあります。

2018年2月に「U-29人生デザイン」に登場していたんですね。
岩波 天皇・皇室辞典』より
登極令と大正大礼・昭和大礼」を転記しますφ(..)
登極令と大正大礼・昭和大礼
 1897年の英照(えいしょう)皇太后の死去を契機として、
99年8月に伊藤博文を総裁とする帝室制度調査局が設置される。
当初、践祚(せんそ)・即位式・改元を主体とする「登極令(とうきょくれい)草案」と
大嘗祭につていの「大祀(たいし)令草案」との2つがあったが、
1903年に調査局副総裁に就任した
伊藤巳代治(いとうみよじ)や奥田義人(おくだよしと)
御用掛による京都御所の実地調査などを経て、一本化される。
09年2月11日に登極令および詳細な附式が皇室令として公布された。
附式は第1編「践祚の式」、第2編「即位及大嘗祭の式」からなる。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
 15年の大正大礼、28年の昭和大礼における一連の代替り儀式は、
先帝の死とともに空位なく行われる践祚につづいて、
改元、大喪のあと年をおく。
そして即位礼は賢所(かしこどころ)・皇霊殿・神殿への期日奉告、
神宮・神武天皇山稜並前帝4代の山稜への勅使発遣および奉幣(ほうへい)
斎田点定(てんじょう)・抜穂(ぬきほ)の儀となる。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
つづいて京都に行幸の儀、賢所(神鏡)を春興殿(しゅんこうでん)に移し、
即位礼当日に皇霊殿・神殿に奉告の儀、賢所大前の儀、紫宸殿の儀、
翌日に賢所御神楽の儀、そして大嘗祭前一日に鎮魂の儀、
神宮・皇霊殿・神殿並官国幣社に勅使発遣の儀、
大嘗祭当日に神宮および皇霊殿・神殿に奉幣の儀、
賢所大御饌(みけ)供進の儀、大嘗宮の儀、
悠紀殿・主基殿への供饌(ぐせん)
そして3日間の大饗(たいきょう)に至る。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
 登極令以後の即位式・大嘗祭の特色をいくつかあげると、
第1に柳田国男が「大嘗祭より大饗まで」(1915)で嘆くように、
即位礼と大嘗祭が連続することにより、
大嘗祭の厳粛さが失われセレモニーとしての即位礼の壮麗さがまさったことである。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
第2に、様式行列の鹵簿(ろぼ)をはじめ、
天皇(高御座)と皇后(御帳台 みちょうだい)のカップルの紫宸殿の儀、
大饗2日目の洋風の宴も、
明治期に導入された皇室儀礼の欧州化を踏襲するものである。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
第3に、天孫降臨神話を具現する高御座や
剣璽(けんじ)の即位礼における役割や、
大礼前後の伊勢神宮や神武天皇陵への親謁(しんえつ)は、
明治維新以後の万世一系観念や国家神道の教学を体現するものである。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
第4に、斎田の儀の展開や各地からの献納や奉祝・記念事業に見られるごとく、
日露戦後から15年戦争に至る町村の国民統合と連動しつつ大礼が準備・奉祝されたことである。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
第5に、1928年の昭和大礼が、
3・15事件などの社会運動への弾圧の地ならしとして行われたように、
新天皇への忠誠・奉公というイデオロギーの貫徹と不可分であった。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
 47年5月に廃された登極令に代わる法令が戦後は制定されず、
新皇室典範第24条では、
「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」と決められたのみであった。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
90年11月の即位礼・大嘗祭は、
東京の皇居で行われたことなどが戦前と異なる点であるが、
基本的には天皇主権下の登極令に基づき施行された。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
政府見解の中で大嘗祭は、五穀豊穣を感謝する収穫儀礼と解釈されたが、
本居宣長から昭和期に至るまでの大嘗祭神学の核心であった、
天皇への神性付与の儀式としての解釈は隠蔽された。
(『岩波 天皇・皇室辞典
  原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)