天気がころころ変わりますね…
小雨だったので出かけましたp(^^)q
家にいると体調が気になるだけ…
無理をせずに重たい望遠を諦めて
30数年前に購入したMFの50㎜マクロレンズで出かけると
早速出会ったのがメジロです(^-^;
この後もジョウビタキなどに出会ったけど50㎜レンズでは遠すぎました。
いつか発病した後のようにすべてコンデジで写す時がくると思います。
今のコンデジの性能はすごいですからね(^_-)
今日は「春分の日」。
サヘルさんのTwitterで
「今日はイランのお正月」であることを知りました。
『四季の博物誌』より「春分」を転記しますφ(..)
春分
春の彼岸の中日。昼夜平分の日。
国民の祝日の一つで「自然をたたえ生物をいつくしむ日」とされている。
西洋の暦では春の始まり、東洋の暦では春の真ん中。
天文学的には、
太陽が年周運動(地球の公転による太陽の見かけ上の運動)の
軌道(黄道 こうどう)上で、南半球から北半球に入る日。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
地球から見た太陽の年周運動の位置は、
黄道を360度に刻んだ黄経(こうけい)によって表されるが、
春分は太陽が黄経零度の春分点を通る日。
以下、清明(せいめい)、穀雨(こくう)、立夏(りっか)など
二十四の季節点(二十四節気)は黄経15度ごとに刻まれ、
夏至は90度、秋分は180度、冬至は270度となる。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
春分の日は「ひとし」と読み、
『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』(中国の秦代の農書)に
「この月や日夜分し」とある。
が、3月21日の東京の昼間の時間を見ると、
12時間8分で昼の方が夜より長い。
この点は秋分の日も同じである。
これは日の出、日の入りの時刻を、
太陽の中心が地平線にあるときではなく、
その上縁が地平線に接したときとしているため、
太陽の半径分だけ日の出は早く、
日の入りは遅く測っているからである。
もう一つの理由は、太陽光線が大気を通過中に弓なりに曲がり、
実際には地平線の下にある太陽が
地平線の上に浮き上がって見えてしまうためである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
春分の日をふくめ、二十四節気は、
太陽の位置できめたものであるから、
太陽暦の上では日付は固定するはずである。
が、実際には年によって一日の差が出てくる。
これは春分の場合でいうと、太陽が黄経零度を通る時刻により、
日付が一日ほどずれるからである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
堀源一郎東京大学教授の作成したグラフによって
内田正男氏が推定したところによると、
春分の日は、1992年までは平年は3月21日、
閏年(1976、80、84、88、92年)は3月20日になり、
1993年から2023年までは閏年と、閏の翌年は3月20日、
その他は3月21日となる。
そして2056年以後は春分の日は3月20日ばかりとなり、
2088年には3月19日の春分が現れる、という。
▽内田正男『暦と日本人』カルチャーブックス 雄山閣
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
一方、秋分の方は1976年以後は、
1979年以外は2011年くらいまで9月23日で、
その後は9月22日という年も出てくる。
1979年は太陽の秋分点通過が真夜中の零時に接近しているので、
23日か24日かくわしく計算してみないとわからないが、
たぶん24日であろうという。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
昔から「暑さ、寒さも彼岸まで」といわれているが、
春と秋との彼岸の気温を比べてみると、その違いの大きいのに驚く。
東京の例をあげると、平均値
(過去30年間の平均値、西暦10年ごとに更新。
現在、使用しているものは、1951~80年の30年の平均値。
つぎの新しい平均値は1961~90年のもので、90年代に使用する)
の日(にち)最低気温(明け方の気温)、日平均気温、
日最高気温(午後2時ごろの気温)は、
前ページの表(省略)のようになっている。
これをみると、春分の日中の気温は、
春分の朝の気温よりも低いのである。
太陽が地球を照らす条件は同じなのに、
これだけ気温の差が出るのは、
気温が太陽の光の変化にすぐに反応せず、
暖まったり冷えたりするのに日数がかかるためである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
春分のころと同じ気温が秋になって現れるのは、
平均的には11月7~8日ごろである。
このころは、東洋の暦の立冬にあたり、冬が始まる。
また秋分のころの気温を春にさがすと、なんと6月中ごろになり、
夏至に近く、東洋の暦では、とっくに夏が始まっている。
しかし、きびしい冬の寒さを経験した後では、
人は春分のころになると「日中はめっきり暖かくなりました」といい、
盛夏の猛暑の後では、
秋分のころに「朝晩はずいぶんしのぎやすくなりました」と挨拶し合うのである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
春分と秋分を中日とする仏教の彼岸の由来には諸説があるが、
この日は太陽が真西に沈むから弥陀(みだ)の
在所の方向が正しくわかるというのが通説になっている。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
キリスト教でも春分は重要な日である。
それはキリスト教最大の祭りといわれる復活祭が、
春分以後の初めての満月の次の日曜日ときめられているためである。
(正確にいえば、復活祭の計算には、春分を3月21日に固定する)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
現在の暦の1月1日も暦法上では冬至正月の伝統によるものだが、
実際には紀元325年のコンスタンチヌス大帝の
二ケア会議で春分を3月21日に決めたため、
1月1日は、冬至の約10日後にきたのである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
復活祭(イースター)は年によって日付が異なる移動祭日である。
その日付を示すと、1988年 4月3日、89年 3月26日、
90年 4月15日、91年 3月31日、92年 4月19日である。
復活祭の日付など日本人には縁はなさそうだが、
春の外国旅行のスケジュールには、知っておく必要がある。
(倉嶋 厚)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
こんなニュースを見ました。
〝「日本の戦犯企業の製品です」ステッカー義務づけ条例案 韓国〟
別にかまわないと思います。
どうせするなら日本からの援助(政府や民間)、
すべてにステッカーを貼るといいと思います。
例えば「主な対韓国経済協力」(外務省北東アジア課)。
敗戦後、日本もアメリカから多くの援助をうけて、
今の発展がありました。
韓国も日本から援助を受けたのに
多くの韓国国民は知らされていないと思います。
ひとつ言えることは、その恩恵が
慰安婦の方や徴用工の人たちには、
届かなかったのではないでしょうか?
また謝罪をしてもその端から逆撫でするような発言が
政治家などに多くみられました。
徳川家康は豊臣秀吉が朝鮮侵略をしたあとに
朝鮮との国交を復活させました(朝鮮通信使など)。
明治維新以後の日韓の政治家の中で
豊臣秀吉のような人物はいくらでもいるけど
徳川家康のような人物が出ていないことが不幸ですね。
今朝の父の一枚です。
猫ちゃんに出会ってあげる物がなかったので
飴玉をあげるとひと舐めした後、そっぽを向かれたそうです(*´▽`*)