日向は暖かくて気持ちよかったです。
桜の開花の便りが届きだしましたが
公園のソメイヨシノの蕾は開花直前ですが、
山桜が満開でした。
大和猫さんのTwitterを見ると今日は「連子鯛の日」なんだそうです。
「1185(寿永4)年のこの日の壇ノ浦の合戦で、
安徳帝と共に入水した平家の女性たちが
連子鯛に化身したという伝承がある」
ということなので…
中山義秀訳『現代語訳 平家物語』より
「先帝身投(せんていみなげ)」を転記しますφ(..)
先帝身投(せんていみなげ)
源氏のつわものどもが、平家の船に乗り移って来たので、
船頭や舟子たちは、あるいは射殺され、あるいは斬り殺されて、
今や船はあやつることもできなくなり、皆船底に倒れ伏した。
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
新中納言知盛(とももり)卿は小舟に乗って、
主上の御座船(ござぶね)にこぎよせ、
「はやいくさも、これまでと思われる。
最期はいさぎよくするため、見苦しい物は海へうち捨て、
船を掃き清めたがよい」
とみずから船中をかけめぐって、御座船の清掃につとめた。
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
「中納言様、いくさはどうなりまする」
ときけば、知盛はからからとうち笑い、
「やがてめずらしい東男(あずまおとこ)を、ごらんになれましょう」
と答えると女房らは一同に、
「御冗談を言われるも、時と場合による」
と声々にわめき叫んだ。
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
二位殿は、かねてから覚悟をきめていたことだったので、
喪服用の浅黒い二衣(ふたつぎぬ)を被(かず)き、
練袴(ねりばかま)の股立(ももだち)を高くとって、
神璽(しんじ)の御箱を小わきにはさみ、
宝剣を腰にさし、主上を抱きまいらせて、
「わたしは女子ではあるが、敵の手にはかかりませぬ。
主上の御供をしてまいりますゆえ、
志のある人々は、急ぎ続きたまえ」
と言って、しずしずと舟ばたへ歩み出た。
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
主上は、今年八歳でいらせられたが、
御年よりもはるかにおとなびて、あたりも照り輝くばかり美しく、
黒い御髪(おぐし)をゆらゆらと、御背中の下までたれていらせられた。
主上は局(つぼね)の言葉に、いたく驚かれた御様子で、
「尼前(あまぜ)、われをいずちへつれ行くのじゃ」
との仰せに、二位殿は、涙を溢(あふ)り落とし、
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
「君はまだ、しろしめされませぬか。
前(さき)の世の十善戎行(かいぎょう)のお力によって、
いま万乗(ばんじょう)の主とお生まれあそばされましたなれど、
悪縁に引かれて御運もはやお尽きになられたのでごじます。
まず、東に向かって、伊勢大神宮においとま申しあげ、
それから、西に向かって西方(さいほう)浄土のお迎えをいただくよう御念仏をあそばしませ。
この国は粟散辺地(ぞくさんへんち)と申して物憂(う)きところ、
あの波の下にこそ、極楽浄土なるよき都がございます。
尼前がこれより、そこへお連れ申しあげまする」
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
主上は山鳩(やまばと)色の御衣(ぎょい)にびんずらをお結いになっていたが、
それをお聞きになると、御涙にくれ、小さな美しい御手を合わせて、
まず東へ向かって、伊勢大神宮においとまごいをなされたのち、
西方にむかわせられて、御念仏をあそばされたので、
二位殿はすぐさま抱き奉って、
「波の底にも、都がございます」
とお慰め申しあげ、千尋(ちひろ)の底へと沈んでいった。
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
悲しいかな、無常の春の風は、たちまちに花の御姿を散らし、
痛ましいかな、運命の荒波は、玉体を沈め奉る。
殿を長正(ちょうせい)と名づけて長きすみかと定め、
門を不老(ふろう)と号して老いの来ぬ関としてあやかったのに、
まだまだ十歳を過ぎずして、海底の水屑(みくず)とならせられたのは、
十善の天子の御果報として、まことに申しあげようもないおいたわしさ、
ついに雲上の竜は、下って海底の魚となる。
梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)の宮殿にも比すべき、善美をつくした禁中で、
かつては多くの大臣公卿(くぎょう)にとりまかれ、
一門の人々にかしずかれていらせられた御身が一瞬の間に船の中より波の底へと、
御座をうつさせたもうとは、なんという悲しみの極みであろう。
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 河出書房新社 昭和42年)
Kazeはソメイヨシノよりも山桜の方が好きです。
万葉集より
桜花の歌一首 幷びに短歌
嬢子(をとめ)等が かざしの為に
遊土(みやびを)の かづらの為めと
敷きませる 咲きにける
桜の花の にほひはもあなに(巻第八 1429)
反歌
去年(こぞ)の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも
(巻第八 1430)
右二首、若宮年魚麿之を誦す
「嬢子」の原文は「●(女+感)嬬(をとめ)」なのですが「●」の書体が見つかりませんでした。
(『万葉秀歌(四)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
(ニワウメ)
歌意
少女らがかざしにするために、風雅な男がかずらにするためと、
広く治めていられる国のはてまでも咲いた桜の花の色の美しくはえているよ、まあ。
反歌
去年の春逢ったあなたに恋しく思った桜の花は、今年もあなたを迎えたことであるよ。
(『万葉秀歌(四)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
語釈
◇桜の花 『万葉集』では梅の歌よりも少ないが、
梅は中国から渡来した木で旅人らに珍重されことは旅人の都の家にも梅があったことでわかる。
また旅人の梅花宴などで数十首が一度にうたわれたために梅の歌が多くなったのである。
桜花は古来から日本にある花として愛されている。
それで平安時代には梅よりも多く歌うにもよまれている。
ただ、菅原道真が梅を愛したというのは漢学者であったゆえに特に梅を愛したのであろうか。
(…略…)
(『万葉秀歌(四)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
鑑賞
長歌は国中に咲いている桜の花の美しさを称えてまことにはでやかな歌である。
短い長歌であるが、長歌であるために短歌では表せない感覚の表現がなされている。
桜の花の満開の時は実際この歌のような感覚をもっている。
そういう点をよく表している。
桜の花の美しさを称えた歌としてすぐれている。
私の好きな歌である。
長歌に比して短歌は「君」がだれをさすか、やや曖昧である。
それで恋愛歌のようにも見えるが、
これは桜の花を擬人化してうたったと見たい。
それにしても「君」を特定の個人として、
その個人に恋うたとすると、やや不自然な感もある。
これは長歌と違った視点から桜の花をうたうためにこう言ったのかも知れない。
が、長歌ほどの効果を挙げていない。
長歌はそれに比べて国のはてまで咲いた桜をうたってまことにすぐれている。
ことに下の部分がよい。
(『万葉秀歌(四)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
今朝の父の一枚です。
枝垂桜が咲き出したので写していました。
母もこの枝垂桜が咲くのを楽しみにしていました。