2019年3月25日月曜日

春を感じさせる(´▽`)

今朝は、日差しが暖かく風もなかったので春の暖かさを感じました。
今まで気がつかなかったけどヒメオドリコソウの
白花(シロバナヒメオドリコソウ)が群生していました。
カワウにカメラを向けるとピントを合わせる間もなく…
なんか釣り糸が引っかかっているような…
昨日、安徳天皇と共に入水した女性が
連子鯛に化身した伝承があることを記事にしましたが
日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』より
壇ノ浦に消えた幼帝いずこ」を転記しますφ(..)
壇ノ浦に消えた幼帝いずこ
 西国に訪ねる安徳天皇の陵墓
  村井康彦

 一ノ谷・屋島の戦いにつぐ源平最後の死闘は、
壇ノ浦で繰りひろげられ、
文治(ぶんじ)元年(1185)3月24日、
平家の一族は西海の藻屑と消えた。
ときに8歳の安徳天皇は、
「あの波の下にこそ、極楽浄土とてめでたき都の候。
 それへ具し参らせ候ふぞ」
という祖母の二位尼(にいのあま)(清盛の妻平時子)に抱かれて、
海底に沈んでいった(『平家物語』)。
もっとも『吾妻鏡(あずまかがみ)』は、
幼帝を抱いて入水したのは女房の按察局(あぜちのつぼね)で、
二位尼は宝剣を持して海底に沈んだとする。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
 源義経が、関東の頼朝のもとへ送った「合戦注進状」には、
その冒頭に「一、先帝は海底に沈みたまう」と記している。
遺骸は御裳裾(みもすそ)川の河口あたりで
漁師の網にかかったと伝えているが、もとより定かではない。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
以仁(もちひと)王の生存説が繰り返し現れたのと同じように、
安徳天皇の生存説――潜幸(せんこう)伝説が各地に生まれた背景には、
その死が確認されなかったことに加えて、幼帝に対する同情があり、
平家落人伝説の一つとして、時代が下るほど拡大していく。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
潜幸伝説には、四国の剣(つるぎ)山をはじめ、
同じときに海底に沈み、
その後の探索にもかかわらず、
ついに発見されなかった宝剣の伝承と結びついているものが多い。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
都落ちしたとき、昨日まで仲間であった公卿から、
三種の神器(じんぎ)を持っているばかりに、
一転して「賊臣」扱いされた平家であるが、
幼帝を擁して隠れ里に住む遺臣たちにとっては、
宝剣は唯一のよりどころであったにちがいない。
いっぽう、その持たぬ宝剣への妄執で破滅したのが後鳥羽(ごとば)上皇である。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
 安徳天皇の潜幸伝説は、
平家落人伝承のなかで最も想像の翼をひろげた領域であるといえよう。
山間辺地への潜幸は異とするに足りないが、
壇ノ浦から二位尼とともに、唐や高麗に漂着したのも安徳天皇なら、
惟宗(いさ)判官という仮の名で対馬に渡り、
宗氏の祖となったのも安徳天皇ということになる。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
あるいはまた、壇ノ浦の戦いには赴かず、総勢三百余人に擁されて、
屋島から豊後水道を南下して硫黄(いおう)島(鹿児島県)に向かったのも安徳天皇。
ここでは雲隠天皇と呼ばれ、
その後60年はどを南海の孤島に過ごし、その子孫が今につづく。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
こうして安徳天皇の潜幸伝説は各所に分布し、
その陵墓と称するものが二十数カ所に散在するが、
さすがに主なものは中国・四国・九州に限られるようである。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
赤間神宮安徳天皇陵
――各地に伝承をもつ天皇陵のうち、
正式に治定(明治22年)された陵墓である。
(『日本史の舞台2 平安の夢路をたどる』
  著者代表 村井康彦 集英社 昭和57年)
耳なし芳一の舞台にもなっている
下関・赤間神宮 平家一門の墓がある神社」(動画)
徳島・祖谷 平家伝説 平家の記憶を受け継ぐ集落」(動画)

硫黄島について」(鹿児島県三島村)
他にもあるので検索してみてください(^^)/
今朝の父の一枚です。
カメちゃんが日光浴をしています(*´▽`*)

  おおきなひとのための『かめの ひなたぼっこ』
      小菅康弘(カメネットワークジャパン

 カメは日向ぼっこが大好き
 春から秋にかけての晴れた日に、公園や寺社の池に出かけると、
カメが石や岸辺に上がって日向ぼっこをしている姿を見かけます。
じーっとして置物のように見えますが、よく見ると顔の向きを変えたり、
首をぐーっと伸ばして喉の一部をゆっくり膨らませたり縮めたりしています。
カメは肺呼吸をする動物ですが、
私たちヒトと違い体が甲羅で覆われているため、
呼吸をしても胸部は動きません。
喉の動きによって呼吸をしていることがわかります。
 甲羅干しともいわれるこの日向ぼっこ、
実はカメにとって、とても大切なことなのです。
その理由は三つ挙げられます。
① カメは爬虫類で外温性の動物なので、哺乳類や鳥類とは違い、
 自ら体温を作り出すことはできません。
 日光を浴びることで体温を上げたり、
 逆に水や泥に潜ることで体温が上がり過ぎるのを防いだりしています。
 行動によって、体温を調整しています。
② 日光に含まれる紫外線を浴びることで、
 ビタミンDのもとになる物質を合成し、
 カルシウムを吸収しやすい状態にして甲羅を硬く維持しています。
③ 甲羅や皮膚についたヒルなどの寄生虫や
 藻の繁殖を抑える効果があると考えられています。
 ちなみに、甲羅は乾くと白っぽく見えます。
この絵本では、その様子も表現されています。
ずっと日向ぼっこをしているカメと、
上陸したばかりのカメとでは甲羅の色が違って見えます。
(ちいさなかがくのとも『かめの ひなたぼっこ
 越智典子文・金尾恵子絵・小菅康弘監修 福音館書店 2011年)