2019年3月17日日曜日

小雨が降ったけど…

今朝も不安定な天気でした。
予報よりも早く降り出した…
それでも小雨だったので歩けました。
昨夜のSONGS「SEKAI NO OWARI」でFukaseさんが
一生懸命 真摯に向き合う」という言葉を本当の意味で使っていましたよね!
日本と欧米の春の捉え方の違いについて「光の春」を転記しますφ(..)
  光の春
 日本の春は暖かさの春である。
こに対し欧米の春は光の春である。
 春の象徴である毛虫がサナギからかえって這い出してくるのは、
暖かさによってよりは光の量の刺激によってである。
 欧米の冬は、われわれ日本人には想像できないくらい陰欝なものである。
一日平均の太陽の照る時間はせいぜい2~3時間、
要するに朝は10時半に太陽が顔を出し、
それが昼過ぎの1時半にはもうおしまい。
それも淡いモヤモヤした光が弱くさすだけである。
しかも湿っぽく、頭をおさえつけるようないやな天気が続いている。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 こんな天気が11月半ばから2月いっぱいは、
ほとんど毎日ように続く。
「核のない冬」といわれ、とくに著しく寒い日もない代わりに、
日本のように、寒いながらも、
朝から太陽の輝くような日が間にはさまることもない。
 こんな日々が終わり、太陽を見る時間が長くなり、
外が明るくなってくるのが春である。
太陽の照る時間は1日に4~5時間になる。
冬の二倍の長さの日の目を見る季節である。
長くて暗い冬のあとだけに、待望の季節であり、喜びの季節である。
光に対する歓喜の季節である。
 その春は突如として始まる。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 パリでは3月末の復活祭直前のある日突然、
「鉛色の空がほころび、それを合図に冬枯れの木々が一斉に眼を吹く。
 ウメと山ザクラ、ミモザが、同時に競って花を開く。
 春の分列行進。
 ……そのしんがりがマロニエで、春の真打ちである
 ……一夜降り続いた小雨が朝、あがると、
 ……マロニエが浅緑の若芽をつけて……いた。
 ……(やがて)若葉は濃い緑の大きな葉に変わり、
 枝の先にシャンデリアを立てたように花をつける。
 長い冬が明けて、パリの市民が最もうきたつ時期である」
(『毎日新聞』1982年4月9日「余録」)。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 また北国ロシアでは、4月のある朝、目を覚ますと一気に春が始まる。
雪は一夜にして解け、
モスクワ川に張りつめていた厚い氷が音を立てて割れ、ぶつかり合う。
……やがてチューリップの強烈な赤色が目にまぶしく映る。
「ベスナー(春だ)!」(『毎日新聞』「憂楽帳」)。
 そしてイギリスでは、チョーサーの『カンタベリー物語』の冒頭に
「四月の甘し驟雨が、三月の乾きの隅々にまで滲みわたり、
 樹液尽く満ちて、花生れ出ずる」と書かれている。
 待ち焦がれていた春が、
ある日突然やってくる状態を視覚的にとらえている。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 日本の春については
「いつの間にかなんとなく春になり、
 冬から春への季節の移り変りはけじめがなく、激しさがない」。
「楚々とした柳腰の美人のように、しなやかにやってくる」
と書いている人もいる。
 日本人の特技である寒暖を感じる皮膚感覚は、
視覚のように鋭敏ではない。
しかし、日本の春は、春一番、春二番のように、
ドカンドカンと音を立てて、ぶつかってくるので、
その到来は感じ取ることができる。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 この意味でなら、日本の春と冬とは不連続である。
しかし、不連続度は視覚的にとらえられるヨーロッパの方がはっきりしている。
ここに彼らが盛大に春祭、カーニバル、
復活祭を祝う必然性があるのである。
彼らが熱烈に春を待ち焦がれる感覚は、
われわれ日本人にはピンとこない。
理解はできても、納得できない感情である。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 日本の冬は、むしろ太陽の季節、明るさの季節だからである。
雪国の日本海沿岸地方を別にすれば、
寒い季節風=北西の寒風が吹くことはあっても、
空には一点の雲のない晴天の続くことが多い。
太陽の照る時間は、1日に5~6時間はあり、
欧米人には想像できない明るさであり、陽の長さである。
 かつておつき合いのあった駐日ポーランド大使は、
「東京の一番いい季節は冬。
 ワルシャワの四月のようで、毎朝の散歩は欠かしたことがない」
といっておられた。
 日本では春の到来といっても、感激はそれほどでもない。
春の代表的景物、春雨がよく降るため、
太陽の照る時間は、かえって冬より短い傾向がある。
 花は咲き、鳥が鳴く春の楽しさは知ってはいるが、
それはほどほどである。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)
 かつて日本人の女性の作曲家がオランダへ留学中、
「春」という課題の作曲を課され、
自分なりの曲をかいて提出したところ、
「貴女の曲はおかしい。春の喜びの表現が異質である」
といわれたという。
そして当人はなぜそうなのか、
どこがそうなのかよくわからなかったという。
 彼女の曲、同級のオランダ人、
その他のヨーロッパ人の曲を聞いていないので、
比較はできないが、趣旨はわかる気がする。
 日本人であるわれわれが感ずる春と欧米人が感じる春とは明らかに異なっている。
 欧米の春は、ジワジワと、日一日と深まってくる、
静かな喜びの日々の到来で、
メンデルスゾーンの春の歌のような境地であり、
ヘルマン・ヘッセの春の嵐(ゲルトルド)に描かれているような春の感覚である。
視覚的であり、その拡大である。
広く大きく拡がる歓喜である。
 これが春が太陽の春、光の季節であるからで、
その支配範囲は全ヨーロッパ、
少なくとも西ヨーロッパ全域に及ぶからである。
 これに対する日本の春はまるで性格がちがう。
(『気象と文化 肌の季節と光の季節』
  関口 武 東洋経済新報社 昭和58年)

転記しながら思ったのは、日本でも春が到来することの喜びは
雪国の人々の春を待ち望む気持ちは欧米の人に近いのかなと思った。
今朝の父の一枚です。
カンヒザクラを写していました。
母の故郷、沖縄でサクラと言えばこの寒緋桜です。
母も桜の季節が好きでした。