2022年4月6日水曜日

気温が上がって

気温が上がってきたためか
風が吹いていなくても花びらが散るようになり、
クマバチが空で縄張り宣言をするようになりました。
いつも思うのは、こんなに大きな体なのに小さい羽根でよく飛んでいるなと思う。
クマバチの飛び方」(小学3年)

誤解されやすいのだけど、空中をホバリングしているのはオスで、針を持っていません。
蜂の針は、産卵管が変形したものです。
クマバチの体とその特徴」(小学3年)
 清水潔さんのTwitterに

日本の隣国・ロシアのプーチンが今とんでもない事をやらかしてるのに、なぜ中国の話ばかりしてるんだ?
彼はあなたの親友だろ?
しかもプーチンは日本を敵視し始めているそうだ。
これあなたの大失敗でしょう?


安倍元首相「中国との衝突避けるためにも防衛費増額を」〟(NHK 4月3日)

あれだけ親密な関係だったのだからロシアを訪問して説得できるのだと思うけど…
そうすれば安倍氏の父 晋太郎さんのように有能な政治家だと見直すのに!
安倍晋太郎さん」(森本和憲 日本記者クラブ 2012年9月)

アベノマスク配送5億円「血税をドブに」 繰り返される政治の暴走〟(朝日新聞 4月4日)
戦争前のウクライナを知ってもらいたい……SNSに思い出を投稿」(BBC News 4月5日)  

ユリさんのTwitterに(4月5日)

この戦争のヒーローたちの顔を知るべき。
この人はレシャです。
他の女性と2人の男性と一緒に、パンを焼くことを学び、1か月間にイルピン市の全街に食事を与えていました。
水と電気がなく、攻撃が続いている状態で避難所に隠れず、パンを焼き続き、避難することを拒否しました。


#ウクライナ
サヘルローズさんのTwitterに(4月5日)

戦争がもたらすのは
破壊だけではない
人間が壊されていく

非道すぎて
文書から伝わる怖さ
海外メディアで流れる映像
写真の数々

憤りが増していく
深呼吸して自分にこびりつく
憎しみ、怒りを抑えたい

地球上で起きている
戦争、内戦、侵攻

すべて
許されない犯罪行為

私たちの今の日常は奇跡
ついにインドも良心に目覚めたようです。

インド、ウクライナでの民間人殺害を非難 対ロ姿勢硬化か」(ロイター)

国連安保理でゼレンスキー大統領が演説 ロシアを強く非難」(NHK)

間違ってはいけないのは、今回は、プーチン大統領の戦争であって
ロシアの人々はプロパガンダによって誤った情報を信じるか
戦争に反対する人々は
「ロシア人にも悪夢」 トルコに1万4000人渡航か―ウクライナ侵攻〟(時事ドットコムニュース)

中国は、インドと違ってロシアに同調する動きが活発になっていると思う。
中国、台湾にフェイク攻勢 ウクライナに乗じる」(産経新聞 4月5日)
こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』を読んだときに、
広島の被爆体験をこのように描いた作品に出会ったのは初めてだなと感じました。
この作品を手掛けたから『世界の片隅に』を描くことができたのだと思います。

立ち読み」ができます。

先日、あさイチに川栄梨奈さんが出演された時に「夕凪の街 桜の国 2018」(NHK広島)で平野皆実役を演じられていたことを知りました。
  あとがき

 「広島の話を描いてみない」と言われたのは、一昨年の夏、編集さんに連載の原稿を渡して、帰省したとかしないとか他愛のない話をしていた時のことであった。
やった、思う存分広島弁が使える!と一瞬喜んだけれど、編集さんの「広島」が「ヒロシマ」という意味であることに気が付いて、すぐしまったと思いました。
というのもわたしは学生時代、なんどか平和資料館や原爆の記録映像で倒れかけては周りに迷惑をかけておりまして、「原爆」にかんするものは避け続けてきたのです。
(『夕凪の街 桜の国』こうの史代 双葉社 2004年)
 でもやっぱり描いてみようと決めたのは、そういう問題と全く無縁でいた、いや無縁でいようとしていた自分を、不自然で無責任だと心のどこかでずっと感じていたからなのでしょう。
わたしは広島市に生れ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。
被爆体験を語ってくれる親戚もありません。
原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。
怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。
しかし、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだという事にも、だんだん気付いていました。
わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。
だから、世界で唯一(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」を含めて)の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人として感じていた不自然さより、もっと強いのではないかと思いました。
遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。
まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。
 慣れない表現は多いし、不安でいっぱいでしたが、何も描かないよりはましな筈だと自分に言い聞かせつつ、ともかく描き上げる事が出来ました。
 父には昭和30年頃の風俗を教えて貰い、姉には広島の図書館でいろいろ調べて貰いました。
 村上功様、お逢い出来てどんなに心強かったかわかりません。
あまりに無知で不躾なわたしの質問に、親切に丁寧に答えて頂きました。
 双葉社の染谷様、貴方のご指導の下で、本当に全力以上のしごとが出来ました。
次にみて頂く時は、もう少し弱音は減らします。
 そして誰より「夕凪の街」を読んで下さった貴方、このオチのない物語は、35頁で貴方の心に湧いたものによって、はじめて完結するものです。
これから貴方が豊かな人生を重ねるにつれ、この物語は激しい結末を与えられるのだと思います。
そう描けていればいいと思っています。
 また「桜の国」では、原爆と聞けば逃げ回ってばかりだった二年前までのわたしがいちばん知りたかった事を、描こうとしました。
自分にとってもそうであった、と気付いてくれる貴方にいつかこの作品が出逢い、桜のように強く優しく育てられる事を、心から願ってやみません。
 本当に本当に、有難うございました。

2004年8月 風の真昼に  
   こうの史代
(『夕凪の街 桜の国』こうの史代 双葉社 2004年)
巻第十六
 由緒(よし)ある歌。並びに雑(ぞう)の歌

 □ 昔処女(おとめ)があった。名を桜児と言うた。
その娘を妻にしようと競争した二人の男があったが、その命懸けの覚悟で競うのを見た娘は、一人の女が、二軒の家の嫁となった例(ためし)はない。
それのこの頃の模様では、とても二人が心から融(と)け合(あ)うということはない。
(わたし)さえ死なば、二人の敵意も、永久に消え失せるだろうと考えて、林の中に入りこんで、樹に下(さが)って縊(くび)れ死んだ。
そこで二人の男は、泣く音も出ない程に悲しんで、血の涙を零(こぼ)しながら、めいめいその心持ちを陳(の)べて作った歌。二首
(『口訳万葉集(下)』折口信夫 岩波現代文庫 2017年)
巻第十六 3786
 春さらば、かざしにせむと我が思(も)ひし、桜の花は、散りにけるかも

 春になったら頭飾りにしよう、と思うていた桜の花は、散ってしもうたことだ。
(自分の物にしよう、と思っていた桜児は、とうとう死んでしもうた。)
巻第十六 3787
 妹が名にかけたる桜。花咲かば、常にや恋ひむ。弥(いや)年のはに
 
 いとしい人の名前に、名づけてあった桜の花が、年々にこの後も咲くだろうが、その花が咲く毎(ごと)に、いつもいよいよ思い出して、焦(こが)れることであろう。
(『口訳万葉集(下)』折口信夫 岩波現代文庫 2017年)