2022年4月30日土曜日

4月も終わり…

今日で4月も終わり…
肌寒かったけど青空が広がっていて家族連れが多かったです。
3歳くらいの女の子がタンポポの綿毛を
ほっぺをふくらませて飛ばしていました。

風にはこばれるタンポポのわたげ」(小学3年)
高垣典哉さんのTwitterに

よく行く近くのカフェの店員カリーナが居ないと思ってたら軍隊に行ってました
(「高垣さんとカリーナさんの画像」)

カフェの店員カリーナの軍隊生活」ではインタビューの動画を見ることができます。

無事でありますように!
軍服でなく好きな服を着られる時が訪れますように!
(「『生きている兵隊』の時代 解説に代えて 半藤一利」つづき)

  ◆

 石川さんは頼まれると色紙に、
「筆鋒雄健千人敵」
 と書いた。
一度、それを好むわけを聞いたことがる。
もともとは「陣談風流四座傾」と対句になっている、という。
日清戦争のとき、天津で捕らえられて銃殺された十二烈士のひとり、伯父である石川伍一が中国からもち帰った軸物に書かれていた、という。
(『生きている兵隊――(伏字復元版)』石川達三 中公文庫 1999年)
 明るい庭に面した広くない応接室で、石川さんはおおきな声で語った。
「どこに出典があるのか知らんな。勝手に解釈して、文士の心掛けと考えている。筆鋒雄健とは正々堂々たる大文章ということじゃろう。それが読むものにとっては、千人の敵ほどにも抗しがたき強さと正しさとを感じさせ、相手をして襟を正さしめる……と、そんな意味ととっている」
 文士の石川達三はその心掛けで生涯を生きぬいた人である。
早稲田大学の学生や、同人雑誌のとき、いわゆる苦節十年といわれる文学青年のときから変わらなかった。
芥川賞をえて文壇に華々しく登場した直後に見舞われたこの不運にも、決して挫けはしなかった。
むしろこのときの体験を生かし、「筆鋒雄健」の信条のもとに、昭和日本の直面する諸問題に石川さんが精魂こめて立ち向かうのは、戦争が終わってからである。
『神坂四郎の犯罪』『風にそよぐ葦』『人間の壁』『金環触』……これら社会派的、実験的作品は類例がなく、他の追随を許さぬ力作である。
これらの作品群で石川さんはだれにも言えそうで言えないことを真正面から言いきった。
 そのために、多くの読者を獲得したが、敵もつくりしばしば論争をまき起こした。
石川さんは心の温かい、思いやりのある人であったが、こと文学となり社会観となると鬼と化して、思うところを歯に衣を着せずにズバリと言った。
近代とか新しいとか今日的とかいう見方より、人間としてどう生きることが正しい生き方とか、ということだけが石川さんにとっては重要な問題であった。
付き合いで酒席にあっても、痛飲することなく浅酌して、低唱もせずに「じゃ、失敬」と、それが石川さんのくせの右手をひょいとあげる挨拶で、さっさと姿を消していった。
そんな生活態度から超合理主義者といわれた。
いくらか軽蔑もまじえて。
しかし、まったく平気である。
東洋的な儒教精神からきたケジメの精神をまもり、それに忠実に生きていたからである。
そのために文壇の真ん中にいながら「アウトサイダー」でありつづけた。
 晩年の石川さんは花作りに精をだしていた。
ゴルフ、絵画とどれも素人ばなれの境地にまで達した。
大声で賛美歌も歌った。
「人間はだれしも他人から完全に理解されるということはあり得ないだろう。誤解されたまま生き、誤解されたままで死んでいく。結局孤独なのだ。私ひとりの私なのだ」
 石川さんは自伝的小説『私ひとりの私』のはじめにこう書いている。
「筆鋒雄健千人敵」に徹した石川さんは、ひとりであることにある慰めを見出していたのであろうか。
  (作家・昭和史研究家)
(『生きている兵隊――(伏字復元版)』石川達三 中公文庫 1999年)
忘れてはいけないのは、ロシアでも石川達三のように命がけで声を上げ続けている人たちがいます。

「私は警察に拘束された」ロシア人たちの反戦の声〟(NHK 4月27日)

岩波俳句 選・文……池田澄子

…前略…

 テレビをまた点けてしまう。
私が新聞を読みテレビを見ても何も変わらない。
東北の震災、津波、原発事故の時もそうだった。
津波に家を流され救助を持っている人は、その場の景しか知らないのに、私、敢えて言えば私たちは広く惨事を眺め嘆いた。
それは野次馬ではなかったと、わざわざ言いたくなるけれど本当に心配して嘆きながら観た。
(『世界 2022年5月号』岩波書店)
子供の時、祖父に連れられて見たニュース映画、戦地の様子は、兵隊は皆元気に立派だったけれど、今にして思えばそんな筈はなく、

  屍のゐないニュース映画で勇ましい  鶴彬

  手と足をもいだ丸太にしてかえし    鶴彬

 川柳でこんな本当のことを書いたから、若い鶴彬(つるあきら)は治安維持法で逮捕され獄死した。
私の様々の心配や嘆きは、逮捕されるものではない。
それは何処にも届かず誰をも助けられない。
また、このところテレビをよく観る。
 十歳ならないくらいの男の子が泣きそうで泣かず言うのだった。
「僕は今、死にたくない」と。
だから戦争が終わってほしいと。
その年齢の子が死を自分のこととして怖れている。
これからの僕の人生を奪わないでとウクライナの少年。
泣きながら少女を蘇生させようとする医師たち。
 でも、人間はダメな動物なのだろうか。

 人類の旬の土偶のおっぱいよ 澄子
(『世界 2022年5月号』岩波書店)
 石川達三『生きてゐる兵隊』掲載誌が発禁処分されたころ
  ドイツでユダヤ人襲撃「水晶の夜」事件!


 石川達三(1905~85)の小説『生きてゐる兵隊』が掲載された『中央公論』(3月号)が発禁処分になったのは1938年。
以後、中国大陸に派遣された「ペン部隊」と呼ばれる従軍作家たちは戦争を肯定する立場でしか作品が書けなくなった。
その年、ドイツのナチスがユダヤ人街を襲撃。
一晩で、ドイツにあるシナゴーグ(ユダヤ教の祈禱所・礼拝所)約280が破壊された。
割れて砕けたガラスがそう見えたことから「水晶の夜」事件と呼ばれた。
(『日本史・世界史 同時代比較年表 そのとき地球の裏側で』楠木誠一郎 朝日選書 2005年)