2022年4月12日火曜日

甘い香りがしてくると

甘い香りがしてきました。
クマバチがやってきました。
蜜を集めているのはメス。
働き者のメスには針があります。
イタズラをしなければ刺さないので、そっと見守ってあげてください。

クマバチのオスとメスの見分け方」(小学3年)
まだかなと探すと一輪だけ咲いてました。
シロバナタンポポは、年々、少なくなっているような…

いろいろなタンポポ」(小学3年)

最近、急に暑くなってきたので、歩くだけで精一杯になってきました。
重たい望遠レンズを諦めてマクロレンズで撮影することにしました。
と言っても、しゃがんで草花を写した後、立ち上るときに心臓の機能が低いので貧血を起こしやすいです。
杖をついて、下を向き、ゆっくり立ち上るように心がけています。

時々起きる
ニラと間違えスイセン使用給食で食中毒 園児12人が嘔吐や発熱」(京都新聞 4月11日)

花が咲いているときは間違えることはないけど
自然毒のリスクプロファイル:高等植物:スイセン類」(厚生労働省)
 蕪村句集 巻之上 春之部 106
  琴心挑美人(きんしんもてびじんにいどむ)
(いも)が垣根さみせん草(ぐさ)の花咲(さき) (安永9・1・20)

琴心挑美人―前漢の司馬相如が富豪卓王孫の娘文君に対し、心中を琴歌に託して恋をしかけた故事(『蒙求』文君当壚)。
『句帳』に前書なし。 
(『蕪村俳句集』尾形 仂 校注 岩波文庫 1989年)

を読んだときに、ナズナ(三味線草・ぺんぺん草)を読んだ俳句だなとしか思いませんでした。
でも、『蕪村書簡集』を読むと蕪村の違った面を知ることができて面白いなと思いました。
 道立(どうりゅう)(安永9年4月25日付)
   句は安永9年几董『初懐紙』に出る。よって同年と推定。

青楼の御異見(いけん)承知いたし候。
御尤(ごもっとも)の一書、御句にて小糸が情も今日限に候。
よしなき風流、老(おい)の面目をうしなひ申候。
(きんず)べし。
(さり)ながらもとめ得たる句、御披判(ひばん)可被下候。

  妹がかきね
   三線草の花さきぬ

これ、泥に入れて玉を拾ふたる心地に候。
此ほどの机上のたのしびぐさに候。
御心切(しんせつ)の段々、忝(かたじけなく)奉存候。
  四月廿五日  蕪村
(『蕪村書簡集』校注者 大谷篤蔵 藤田真一 岩波文庫 1992年)
青楼の御異見 蕪村の茶屋遊びが過ぎるのを諫めた忠告。

御尤の一書 「異見」を与えた蕪村への手紙に、忠告の意を含む句が書きつけてあったのだろう。

小糸が情も今日限に候 蕪村なじみの芸妓。小糸の情にほだされての付き合いも今日かぎりにする。

妹がかきね…… 『初懐紙』には「琴心挑美人」との前書が付されて入集。

泥に入れて玉を拾ふたる心地に候 この度の一件がきっかけでいい句ができた。

此ほどの机上のたのしびぐさに候 あなたの忠告のおかげで遊びにも行かず、書斎にばかりおったために、前記のような句ができた、の意。
(恋人)の家の垣根に三味線草(ぺんぺん草)の花が咲くのは、長い間訪れなかったからである、という句意に関連する。
解説 大谷篤蔵

…前略…

 遊興

 蕪村の遊び好き、そしてその遊びっぷりも、手紙を通して顕わになる。
俳諧や絵画の作品に現れるかしこまった顔付きの裏側に、楽しげに戯れ、振る舞う蕪村の姿がある。
このような振舞いの世界を見せてくれるところにこそ、手紙を読む最大の喜びがあるともいえるだろう。
 「柳巷(りゅうこう)花街」に遊び暮らして、「少年行」と洒落込む(書簡179)老爺は、流連(いつづけ)の料亭から直接句会へご出勤あそばす俳諧師、宗匠の七つ道具は女房殿に届けさせ(書簡185)、雨降りで足場が悪く、金福寺(こんぷくじ)の句会に欠席しても、三本木での二次会へは出かけるなど(書簡232)、華やいだ座が嫌いではなかった。
ただその遊びも度が過ぎると、友人道立からきつい「御異見」を賜って、「老の面目をうしなひ申候」という仕儀に立ち至る(書簡118)。
ただし、この書簡118については、蕪村の「老が恋忘れんとすれば時雨かな」の発句とかけて、小糸との一連の経緯を事実と考える人が多いが、趣向を旨とする蕪村発句成立の本質的性格から考えて、私にはそうとは思われない。
送られてきた「枇杷葉湯(びわようとう)」とは、冷やかし半分の強壮剤であり、蕪村の素行を諫めたという道立の一句も、あるいはまた『徒然草』を踏まえたものであったかもしれぬ。
三味線の絵を戯れ書きしたこの手紙そのものが、蕪村・道立御両人の遊びの所産だと考えるのである。
小糸を交えた茶屋遊びの余燼を残すやりとりだったと思われる。
 師走の節季のやりくり算段、たとえ無間(むけん)地獄に落とされようが、この時節に欲しいものは金ばかり、そんな手元不如意をかこちながらも、雪が降ればもう居ても立ってもいられなくなって、佳棠を金づると見込んで茶屋へと誘いをかける(書簡189)。
「福人」と崇められた佳棠は、蕪村没後に出版された『蕪村句集』の版元汲古堂主人であるが、また無二の遊び仲間でもあった。
書簡154は、佳棠から招待され、妓女に囲まれての顔見世見物で、たいそうな御機嫌のさまを彷彿とさせている。
 蕪村はたんなるシアターゴウアーというにとどまらずとどまらず、おそらく最高の見巧者(みごうしゃ)でもあった。
右の手紙などは、劇評としても十分に通用する内容をもっている。
また同時に、他の書簡(104・139など)に徴して、受け取った几董も、芝居を語るに足る相手と目されていたのだろう。
歌舞伎の役者評判記仕立てで句を批評された召波(しょうは)も芝居のわかる人物であっただろうし(書簡14)、蕪村の俳友である、大坂の大江丸(旧国)は芝居を見る度に批評を書いて、評判記作者の西沢一風に見せたという(『伝奇作書』)。

(theatergoer 芝居好きの〔によく行く〕人)
 蕪村の芝居好きは俳系に関わることでもある。
そもそも其角(きかく)は、二代目団十郎を弟子に持つなど、役者との付き合いも多かった。
その其角の俳諧を引き継いだ江戸座、とくに存義グループも役者と深い関係を持った。
蕪村自身はそのグループに属したわけではないが、交友範囲は隣接していた。
盟友太祇(たいぎ)も江戸において存義派ではなかったが、交流は盛んであったらしい。
その太祇の京都で出した『歳旦』には役者が多く句を寄せている。
蕪村の芝居への親炙(しんしゃ)も江戸に淵源を持つと考えられる。
…後略…
(『蕪村書簡集』校注者 大谷篤蔵 藤田真一 岩波文庫 1992年)
第二十六段
 風も吹き敢(あ)へず移ろふ、人の心の花に、慣れにし年月(としつき)を思へば、哀(あは)れと聞きし言(こと)の葉(は)(ごと)に忘れぬものから、我(わ)が世(よ)の外(ほか)に成(な)りゆく慣らひこそ、亡(な)き人の別れよりも勝(まさ)りて、悲しき物なれ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 然(さ)れば、白き糸の染(そ)まん事を悲しび、路(みち)の岐(ちまた)の分(わ)かれん事を嘆く人も、有(あ)りけんかし。
『堀川(ほりかは)の院(ゐん)の百首』の歌の中に、

  昔見し妹(いも)が垣根は荒れにけり茅花(つばな)(ま)じりの菫(すみれ)のみして

 寂しき気色(けしき)、然(さ)る事侍(はべ)りけん。


 白き糸の染まん事を悲しび、路の岐の分かれん事を嘆く人 『蒙求(もうぎゆう)』の「墨子悲糸(ぼくしひし)」と「楊朱泣岐(ようしゆきゆうき)」の故事を踏まえる。
 昔見し 藤原公実(きんざね 1053~1107)の和歌。 
 訳 風が吹いたわけでもないのに、いつのまにか移ろう桜の花のような人の心……。
馴れ親しんだ歳月のことを思えば、あわれと思って聞いた言葉の一つ一つを忘れることはないのに、その相手のことは、まるでこの世の外(ほか)のことのように、気持ちが移ろってしまうのは、その人と死別するよりも、もっとずっと悲しく切ないものである。
 だから、中国の『蒙求(もうぎゅう)』にあるように、白い糸がいろいろな色に染まってしまうことを悲しんだ人(墨子)や、道が幾筋にも分かれることを嘆いた人(楊朱)もいたのだろう。
『堀川百首』の歌の中に、

  昔見し妹が垣根は荒れにけり茅花交じりの菫のみして

という藤原公実の歌がある。
すっかり途絶えてしまった女との交際を、目(ま)の当たりにするかのように、彼女の家の荒廃のありさまである。
本当にこの歌に詠まれている通りの寂しい光景があって、作者の公実にも悲しい恋の思い出があったのだろう。
 評 『古今和歌集』の紀貫之「桜花疾(と)く散りぬとも思ほえず人の心ぞ風も吹き敢(あ)へぬ」と、小野小町「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」の和歌を、継ぎ目もみえぬほど巧みに綴り合わせた冒頭の表現と言い、合計千六百首にも及ぶ『堀川百首』から、たった一首を印象的に抜き出した歌と言い、さらに加えて『蒙求』からの引用と言い、詩歌の輝きと陰翳を、散文脈に窯変(ようへん)させた兼好の手腕に感嘆させられる。
 しかも、小さなエマイユ(七宝)の盃に注がれたような、兼好自身の忘れ得ぬ別離が、精妙な表現の奥に、甘苦く漂っていることも見逃せない。
この段にかすかに揺曳(ようえい)する恋の思い出は、徒然草も末尾近くなった第二百四十段になって、再び、兼好の心の奥底から、静かに立ち昇ってくるだろう。
 なお、永青文庫所蔵の麝香(じゃこう)姫(細川幽斎の妻)自筆の「扇面和歌」には、この第二十六段の本文が書き写されている。
心に響く段である。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
今朝の父の一枚です(^^)v
伐採された後、ひこばえが出ているのを見て「頑張っているな!」と話していました。

第5章 桜のこれから
2 桜の管理
劣悪な植栽環境

…前略…
 もっとも好ましくないケースは、生育している途中の段階で根の環境を劣化させることである。
それまで広い地表が確保されて根も充分に発達していたような場所で、急に地表をアスファルトで舗装することがある。
アスファルトで覆われた部分の下では、水や空気が足りなくなるため、それまで生育していた根がやがて死んでいくことになる。
すると当然、地表部の枝葉も衰退していく。
一般に、樹木の根は地表部の枝葉と同じ面積に広がっていると言われている。
実際にはそこまで広い土壌の面積を確保しなくても‘染井吉野’は健全に生育するが、これをひとつの目安にして土壌環境を維持することが必要であろう。
…後略…
(『桜 (植物としての基礎知識から、歴史文化とのかかわりまで…)』勝木俊雄 岩波新書 2015年)