2022年4月4日月曜日

青空が見えて

夕方近く買い物に出かけると
途中で桜の花びらが一枚、フロントガラスにピタッ…
駐車場に停車するまでいてくれたのでパチリ!
写すとすぐに風に吹かれて飛んで行きました(^^)/~~~
朝、公園を歩くと、風は冷たかったけど
青空が見えて、日向はポカポカしていました(^^♪
公園にランドセルを背負った子どもを撮影する母親を見かけます。
もうじき入学式(明日かな?)、どんな出会いがあるのかな(*´▽`*)

校門で待つ老犬“ジェード” 小学6年生とお別れ」(NHK 3月31日)
ETV特集
ウクライナ侵攻 私たちは何を目撃しているのか 海外の知性に聞く」(見逃し配信:4月9日まで

冒頭でスベトラーナ・アレクシエービッチさんの悲痛な思いが伝わってきます。

祖母は「(ソ連兵もドイツ兵も)どちらもかわいそうだった
学校ではドイツ兵を憎むように教えられていたからです
でも祖母は言いました。
あなたは知らないだろうけどドイツ兵にもいろいろな人がいたのよ
子どもたちにパンを配った人もいた


普通の人が戦争を始めるのではありません。
戦争を始めるのは政治家なのです。
祖母は、戦争で夫や親戚を失ったにもかかわらず
人を哀れみ、戦争の狂気を理解する心を持っていました。
それが、祖母が私に教えてくれたことのひとつです。

再放送が再放送4月7日(木)午前0時~(水曜深夜)にありますのでぜひご覧ください。
 昨日から、
キーウ近郊 多くの市民死亡 ロシアに厳しい対応求める声強まる」(NHK)
正視できない凄惨なニュースが流れてきます。
ベトナム戦争の頃、戦場から送られてくる映像でベトナムで起きている真実を知りました。
報道カメラマンたちによって真実を知らされたアメリカでは若者たちが反戦運動に参加するようになりました。

ニュース特集 ベトナム戦争とアメリカ」(NHKアーカイブス 1972年度)

その時の衝撃的な写真を紹介している一文があります。
その写真は1969年のピューリッツァー賞を受賞しています。
第一章 死――見るもおぞましきもの

 ここに一枚の写真がある。
南ベトナム国家警察の長官が、ゲリラとして捕らえられた青年のこめかみにピストルを向け、今まさに発砲しようとしている。
青年はうしろ手に縛られているが、着ているチェックの半袖シャツはそれほど汚れていない。
捕らえられてから間もないのであろう。
 短く切った髪は乱れ、顔は腫れあがっている。
死を前にしたこの男は、眼をつぶるでもなく、見開くでもなく視線はうつろで定まらない。
(『われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学』柳澤桂子 草思社 1997年)
 一方、青年を殺そうとしている長官の腕には、ぴちぴちした力がみなぎっている。
しかし、顔は一人のいのちを奪おうとしている瞬間にしては、あまりにも無表情である。
若い一つのいのちをみずからの手で絶つことの意味、また彼の死によってもたらされる家族の悲嘆を感じているとは思えない。
 次の瞬間に青年は地面に倒れるであろう。
死体は無造作に片づけられ、焼却されるであろう。
しかし、もし、そのまま放置されたらどうなるであろうか。
 青年の呼吸は停止し、心臓は弛緩したまま止まる。
やがて、からだ中の筋肉が弛緩する。
体内にある汚物はからだの外に流れ出てくる。
目はどんよりと開かれ、瞳孔は拡大している。
遺体はなま温かく、透き通るように青白い。
 筋肉の弛緩は4~5時間つづき、やがて硬直する。
血液の循環が停止したために、酸素が供給されなくなり、アデノシン三リン酸が分解されて、筋肉が収縮したままになるので硬直するのである。
 24時間後には遺体のいろいろな部分にうっ血した血液が死斑となってあらわれる。
やがて、遺体の硬直は消え、腐敗がはじまる。
まず、屍臭がたちはじめ、死体はふくれあがり、ウジがわく。
つづいて、緑色の斑点があらわれ、次第に遺体全体に広がる。
腸内に生息していた細菌が繁殖して遺体を分解したためにできた斑点である。
その後、死体は水分を失い、皮膚は乾いて皮革のようになる。
血液が循環しなくなって最初に死ぬのは神経細胞である。
大脳皮質の細胞は、心臓の拍動が止まってから7~8分後に壊死をおこす。
視床下部の神経細胞はやや長く、75分以上生きている。
引きつづき、肝臓、腎臓、線細胞が変性していく。
最後まで生き残るのは皮膚の細胞で、死後2~3日は生きている。
髪、その他の毛、爪は死後もしばらくのびつづけているから崩壊する。
やがて、臓器は、悪臭を発するどろどろのものになって、頭蓋、胸郭、骨盤内を満たす。
肝臓は第3週頃に、心臓は5~6カ月めに消滅する。
  からだの内部にすんでいた細菌、カビ、ウイルスなどの寄生生物の餌食になった遺体は、次に外から入り込む生物によって喰い荒らされる。
ダニ類やムカデなどの多足類、クモ、昆虫、野ネズミなどが饗宴に加わる。
 化学的にみると、からだのなかの水分は、なかに溶解している塩類や細菌とともに地中に染み込んでいく。
炭水化物は、アルコール、ケトン、有機酸に分解されて地中に入る。
その一部は炭酸ガスやメタン、水素にまで分解されて大気中に放散される。
一人の成人の死体が放散するガスの量は5立方メートルにもなる。
脂肪は、アンモニアをたくさんふくんだ低級脂肪酸に分解されて悪臭を放つ。
 タンパク質は鎖状の長い分子であるが、短く切られてアミノ酸になる。
その一部は、各種アミンやアンモニアになり、さらに硝酸、亜硝酸に酸化される。
 最後まで残るのは骨である。
骨はカルシウムを失い、雨水に溶けて消失する。
骨がなくなるまでには普通4~5年かかるが、場所によっては数世紀もかかることもあり、歯が数千年も残っていることもある。
 ベトナムの一青年の不条理な死は私自身の死にもなり得る。
長官が癌細胞におきかわる可能性もある。
死は私たちの身辺に満ちているのである。
 死はかぎりなき崩壊である。
野ネズミが、虫けらが、最近が私のからだを完全に喰いつくす。
あるいは、私のからだは焼却炉のなかで燃やされて灰になる。
この「私」という存在と灰の軽さの乖離は耐えがたいものに感じられる。
わずかに残った骨のからからという音の何と虚ろなことであろうか。
 それは生きているものにとっては、漆黒の闇である、底知れず恐ろしいものであろう。
それでもなお人間は死というものを見つめてきた。
それは動物として最大の不幸なのであろうか。
人間が死をどのように受けとめてきたかということを次の章で考えてみたい。
(『われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学』柳澤桂子 草思社 1997年)

われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学』は、ちくま文庫で復刊されたのですが、品切れになっています。
今朝の父の一枚です(^^)v
今年は、桜がきれいに咲いていると喜んでいます。
その桜もかなり散り始めて花びらの道ができています。

巻第八 1458
   厚見王(あつみのおほきみ)の久米女郎(くめのいらつめ)に贈れる歌一首
 屋戸(やど)にある桜の花は今もかも松風疾(はや)み地(つち)に散るらむ

家に咲く桜の花は、今ごろは松の風がはげしく地に散っているだろうかなあ。
松―待の意か。訪れを待ちかねて。
散るらむ―他の男に心を許したか。

巻第八 1459
   久米郎女の報(こた)へ贈れる歌一首
 世間
(よのなか)も常(つね)にしあらねば屋戸(やど)にある桜の花の散れる頃かも

世間無常に託して歌う。あなたの心も常でないので、の意。
(『万葉集 全訳注原文付(二)』中西進 講談社文庫 1980年)