2022年4月14日木曜日

雨上がり

起きたときは雨が降っていましたが、出かけると止んでくれました(^^)v
もうじき咲くなと思っていた卯の花がポツポツ咲き出しました♪
卯月」は4月なんだけど、最近の暑さは5月並みとか…

卯の花」(日本服飾史)
地震被害の東北新幹線 約1か月ぶりに全線で運転再開」(東北NHK)

一方、熊本では

熊本地震 最初の震度7から6年 各地で祈りをささげる姿」(熊本NHK)
 国立公文書館のtwitterに

明治42年(1909)4月14日、種痘法が公布されました。
明治18年に制定された種痘規則を改正し、保護者等の責任や接種時期を明確にし、未接種者への督励等を規定しました。
画像は同法の
御署名原本です。
人類が様々な病気から身を守るためにも、適切な予防接種は大切ですね。


種痘法・御署名原本・明治四十二年・法律第三十五号
高橋美香さんのTwitterに

パレスチナの人たちから、しきりに
「ウクライナの人たちが抵抗すれば『レジスタンス』と賞賛され、
自分たちが抵抗すれば『テロリスト』呼ばわり。
なにが違うっていうんだろうなあ」
と聞かされるの、返す言葉もみつからなくて、積み重なると結構ジワジワ辛い。
南京事件の真実はロシアのように国民に知らされていませんでした。

南京陥落提灯行列」(東北大学史料館)

南京陥落を祝う提灯行列 昭和12年」(阿佐谷パールセンター商店街歴史資料室)

国民に知らされていた現地の映像は

南京の奉祝<戦捷第一次祝賀>」(NHKアーカイブス 1942年)
第一章 ジャーナリストの見聞
 石川達三の抵抗


 このように、見て見ぬふりで通した新聞特派員たちに比べると、フリーの作家・評論家のなかには、創作という形式を借りて、すれすれの線で「皇軍」のタブーに挑戦した人々がいた。
火野葦平、杉山平助、石川達三たちだが、なかでも石川達三の剛直な抵抗姿勢が光る。
 第一回芥川賞の受賞者で、新婚まもない石川が、『中央公論』の特派員として南京の土を踏んだのは1月4日頃であった。
八日間の滞在中に、彼は第16師団歩兵第33連隊の兵士たちを中心に取材したのち、帰国して一気に書きあげたのが「生きている兵隊」で、『中央公論』の昭和13年3月号の創作欄に掲載された。
330枚のうち、80枚は編集部で配慮して伏字にしたり削除したというが、2月18日発売と同時に内務省から頒布禁止処分の通告が来た。
(『南京事件(旧版)』秦郁彦 中公新書 1986年)
『中央公論社七十年史』によると、社員が手分けして書店をまわり、創作欄だけを破って歩いたというが、それだけではすまなかった。
石川と雨宮編集長は警視庁に連行され、8月4日起訴された。
9月5日、東京区裁から禁錮四か月。執行猶予3年の判決が下り、昭和14年5月より国民学術協会主事となった。
小俣記者が予感したとおりの災難が作家と出版社の双方にふりかかったのである。
 この作品は、ある小隊の数人の兵を登場させるフィクションの体裁をとっているが、第16師団の行動記録に照合してみると、一致点が多く、実質的にはノンフィクションと言ってよい。
作者もそれを自認してか、執筆の動機は、「戦争というものの真実を国民に知らせること」にあったと法廷で述べ、判事から、「日本軍人に対する信頼を傷つける結果にならぬか」とただされると、「それを傷つけようと思ったのです」と答えている。
 こうした発言自体が、卑屈なまでに時流迎合的態度をとっていたジャーナリストたちへの痛烈な皮肉になっているが、なぜか陸軍は石川に対して寛容だった。
また保釈中に、石川が武漢作戦への従軍を願い出ると、陸軍省報道部はあっさり許可を出し、その成果である「武漢作戦」は、同じ『中央公論』の14年1月号に掲載された。
 作者の執筆動機が反軍や反戦ではなく、純粋な文学的衝動に発したと感得したのか、中国大陸での現実に比較すれば、まだ生ぬるいと安心したのか、判じかねるが、この時期における内務省と陸軍の間に、報道政策をめぐって多少のずれがあったことを思わせる。
「生きている兵隊」は題名どおり、戦場における兵士たちの行動と心理を虚飾なしに描き出している。
母親の死体を抱いて泣き叫ぶ娘を「うるさい」と刺し殺した元校正係の平尾一等兵、それを「勿体ねえことをしやがるなあ、ほんとに」とからかい、捕虜の試し斬りに熱中する農村青年の笠原伍長、ジュズを巻いた手でシャベルをふるい敗残兵をなぐり殺す片山従軍僧、女の射って憲兵に捕まるが、釈放される医学士の近藤一等兵……いずれも、歴戦の勇者であり、生き残りである。
そして平常心を取り戻せば、平凡な市井の青年たちにすぎない、と作者は暗示していた。
 その彼らを一様に略奪、強姦、放火、殺傷にかり立てた契機が何であったかについては、作者は直接に答えていないが、十分な補給と納得の行く大義名分が与えられずに転戦苦闘すれば、兵士たちの心情が夜盗なみのれまで荒廃して行くものだ、と訴えているようにもとれる。
 また勇敢、温情の西沢連隊長が、「数千の捕虜をみなごろしにするだけの決断を持っていた」とか、南京城内の掃蕩戦で「本当の兵隊だけを処分することは次第に困難になって来た」とか、さりげない表現ながら、兵士たちの暴行が、軍上層の黙認ないし奨励のもとに成りたっていたことを示唆している。
これだけの目配りを利かせた第一級の作品が、軍隊とは無縁だった若い作家のよって、しかもわずか1週間の見聞で完成したことに驚嘆するが、「生きている兵隊」を闇に葬った内務省警保局は、日本軍の非行を国民の目と耳から封じようと、きびしい監視の目を光らせていた。
(『南京事件(旧版)』秦郁彦 中公新書 1986年)
ウクライナで市民を虐殺しているロシア兵たちも
平常心を取り戻せば、平凡な市井の青年たちにすぎない」と信じたいです。 

「時局に処する国民の覚悟」近衛文麿〟(NHKアーカイブス 1937年)

南京での日本軍の蛮行を知ったのは、敗戦後の東京裁判でした。

曝露された南京の大虐殺 -東京裁判」(NHKアーカイブス 1946年)

石川達三の『生きている兵隊』を、秦郁彦氏は新潮文庫(昭和48年)を参照されていますが
中公文庫で『生きている兵隊(伏字復元版)』を読むことができます。
後日、紹介できたらいいなと思います。
今朝の父の一枚です(^^)v

雨後(うご)の筍(たけのこ)
 同じような事が次から次へと現れたり、起こったりすることのたとえ。
【注釈】雨が降ったあと、たけのこがあちこちに続々とでることから。
(『用例でわかる故事ことわざ辞典』学研辞典編集部 2005年)

いいことが次々と起きるといいのだけど
Windowsアップデートは、エラーが続いている。
サポートセンターにメールを送って、その返信まち…

 笋(たけのこ)のうんぷてんぷの出所(でどこ)

[訳]笋がどこへ出るかは運で決っているのだなあ。
[年]文化12年。
[語]うんぷてんぷ――運否天賦。人の運はあらかじめ定められているから、運任せ。
[解]笋はどこに出るかで、小さいうちに採られてしまうか、大きく成長するかが決まる。
自分の運が良くないこと、出自のために場所を得ないことを笋に仮託した作。
「うんぷてんぷ」の用例は、宝暦12年刊『童の的』に収載する「うんぷてんぷの堀貫の井戸」の先例がある。
…後略…
(『一茶句集 現代語訳付き』玉城司訳注 角川ソフィア文庫 2013年)