2022年4月3日日曜日

ことわざ通りになったなぁ

歩いていると雨が降ったりやんだり…
ことわざ通りになりました…

太陽の周りに虹色の輪!天気下り坂のサイン現る」(ウェザーニューズ)
  生涯は一度落花はしきりなり  野見山朱鳥(あすか)

 自然の有為転変を観念として言い当てた言葉が飛花落葉であった。
中世期の連歌書でよく使われている。
飛花は落花と同類で、無常を秘めた季語ともなった。
高浜虚子の弟子として客観写生から出発。
やがて物から精神の写生へと一歩踏みこんだ心の美学を念頭に、落花と人生とを関連づけて、生命諷詠(ふうえい)を標榜(ひょうぼう)したのが掲出句である。
 桜はしきに散ってゆく。
美しい花の時期は短くて、命のはかなさを思わずにはいられない。
それを眺めながら一回限りの生をいとおしむのである。
昔ながらの日本人の感覚をぴたりと表現している。
  1917~1970 福岡県生まれ。「菜殻火(ながらび)」創刊主宰。
  句集『曼殊沙華』など。『野見山朱鳥全句集』。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
 江川紹子さんのTwitterに

「暴力はそれ自体だけでは生きていけない。常に嘘と結びついている。嘘だけが暴力を隠すことができ、暴力だけが嘘をつき通すことを可能にする」
ーソ連の反体制作家ソルジェニーチン氏がノーベル文学賞を受賞した際の講演の一節を、今日の東京新聞社説が紹介している。
タイトルは「嘘と暴力の共犯関係」


……
実はスラブ主義的な保守主義者のソルジェニーチン氏はプーチン氏と関係が良好で、互いに高く評価し合っていた、と同社説。
今、生きていれば、この現状を何と語るだろう…?


<社説>週のはじめに考える 嘘と暴力の共犯関係」(東京新聞)
プーチン大統領 支持率 “4年ぶりに80%超” 独立系の調査機関」(NHK 4月2日)
この数字に驚くことはない。

「レバダセンター」は「政権によるプロパガンダを信じる国民が多いことを示している。
地方の人たちや高齢者はプロパガンダを伝える国営テレビが情報源であり、
都市部の若者たちがSNSなどから真実を得る状況とはまるで違う」と分析しています。


中国の人々がプーチン大統領を支持する理由」(広岡延隆 日経ビジネス 3月23日)

「世界にまだロシアの友人はいるのか?」。
ロシア国営メディアに問われたロシア外務省のザハロワ報道官は2月28日、こう答えた。
「もちろんいる。中国だ」

中国は、台湾や東シナ海のことを睨んでいると思う。
 (「手と足をもいだ丸太にしてかへし  鶴 彬」つづき)

 大正デモクラシィの空気を吸った田中五呂八(剣花坊より25も若い)からみるといかにも旧態依然にみえる。
 五呂八というと、何だか藤山寛美の新喜劇一座の役者のようであるが、本名田中次俊、明治28年釧路生れ。北大中退。
剣花坊の主宰誌『大正川柳』へ投句をはじめてたちまちベテラングループの一人となる。
しかし既成川柳にあきたりなくなって剣花坊をはなれ、自分の柳誌『氷原』を発行する。
それが大正12年である。新しい川柳の胎動である。
(『川柳でんでん太鼓』田辺聖子 講談社 昭和60年)
 この五呂八という人は、あたまがよく犀利(さいり)な川柳評論を精力的に書いて、(その点は、彼より更に14も若い鶴彬も、同様だが)おのが唱道する「新興川柳」の意義を展開するが、これがまるで哲学の講義を聞くようにムツカシイのである。
しかしそれもこれも、川柳を外へ向けて匕首にするか、内なるものに向って自我を嚙むか、人生を賭けた川柳への熱情からだろう。
 五呂八は近代的なデリカシィを川柳に盛り、芸術至上主義の立場をとって、プロレタリア芸術の川柳を唱(い)う森田一二(かつじ)らと争った。
五呂八は政治にかかわることを拒(こば)み、特高警察の検閲をおそれること甚(はなは)だしかったという。
 坂本幸四郎氏の『雪と炎のうた』によると、五呂八は五尺七寸、二十余貫という巨軀(きょく)の壮漢で大めしぐらいで、大ぶりな五郎八茶碗を常用していた。
柳名(りゅうめい)はそこからつけたというのだが、巨軀にかかわらず日常の戸じまりでも細心小胆だったという。

  足があるから人間に嘘がある

  人間を摑(つか)めば風が手にのこり

  魂と一緒に瓶(びん)の栓(せん)がぬけ

  そこまで言ひ切つてしまつた。木枯

  日曜の続く明るい国ありや
          (田中五呂八)

 いまも古びぬ才気と、どこかニヒルのかげをたたえ、苦渋のくまどりがある。
<日曜の続く明るい国ありや>――怖(こわ)がりの五呂八は川柳の詩情をかばいつつ、新興川柳の挫折を予期したように、昭和12年42で死ぬ。
 新興川柳運動の中には、五呂八のように芸術性にとじこまらないで、プロレタリア・リアリズムに進む川柳作家がいて、その先頭が鶴彬だったのである。
 さて、鶴彬が検挙され、中野区野方(のがた)署に留置されたのは昭和12年12月3日のこと。
 その留置場には平林たい子も留められていた。
たい子は何度も留置場を出たり入ったりしているが、鶴彬も実は6年前に、金沢第七連隊に入営していたころ、連隊赤化事件で軍法会議にかけられて、大阪衛戍(えいじゅ)監獄に収監されているから、これがはじめての経験ではなく、しかもこういう句を発表すると検挙される恐れがあるとは、充分、ようく分っていたらしい。
――分っていて鶴彬はあえて叫ばずにはいられなんだのである。
  <手と足をもいだ丸太にしてかへし>
(『川柳でんでん太鼓』田辺聖子 講談社 昭和60年)

試し読みをする」にある

  働けばうづいてならぬ〇〇〇〇のあと

も鶴彬の句です。
〇〇〇〇」は伏字です。
この本は品切れ(絶版?)になっているので、重版もしくは復刊してほしいなと思います。
今朝の父の一枚です(^^)v
スズメが首を引っ込めて
「4月になったのにエライ、サムイナ…」
とボヤいているみたい(*´▽`*)


 春雨やものがたりゆく蓑と傘  句帳(夜半叟 句集)

[訳]しとしと降る春雨よ、何ごとか語り合いながらゆく蓑と傘。
[季]「春雨」春。
[語]蓑と傘―蓑を着けた人と傘をさした人。蘆本付句「蓑着ては恋笠きては恋」(三疋猿)。
[解]蓑と笠を着た人を、商家の主従、親子、恋に身をこがす男女、芭蕉と曾良、旅の道連れ、等さまざまに想像できる楽しさ。親密な物語まで聞こえてきそう。
…後略…
(『蕪村句集 現代語訳付き』玉城 司訳注 角川ソフィア文庫 2011年)