ひんやりとした朝、歩くのにちょうどいい天気でした。
夕方近くに買い物に出かけると暑かった…今日は、春の土用
土 用
土用とは雑節の一つで、各季節の終わりの18日間(年によっては19日間)をいう。
すなわち、立春、立夏、立秋、立冬の前18日間が土用である。
しかし現在は、土用といえば夏の土用、つまり立秋(8月8日)の前、18日間だけを指すようになった。
…後略…
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)土用には、土公神という神様がおられるので土いじりをしてはいけないそうです。
どくじん【土公神】
陰陽道(おんみょうどう)で、土をつかさどる神。
春は竈(かま)に、夏は門に、秋は井に、冬は庭に在って、その場所を動かすことを忌む。
土神。土公(どくう・つちぎみ)。
(『広辞苑 第六版』岩波書店 2008年)ウクライナでは、土の中に埋もれてしまった危険物を見つけてくれているワンちゃんがいます。
「爆発物探知犬、チェルニヒウで活躍 ウクライナ侵攻」(BBCNEWS 4月16日)
今朝のEテレ日曜美術館「美は語る 激動のウクライナ」(見逃し配信:4月24日まで)
ウクライナの歴史を概観することができます。
「ウクライナへの思い イリヤ&エミリア・カバコフからのメッセージ」に
ウクライナから避難する家族を何組か支援して、そのうちの一組の母子は息子さんが音楽家です。
その母子はいまベルリン近郊にいます。
どういうところに住んでいると思います?
少年と母親はウクライナ人ではなくかつてソ連から移住したロシア人の家庭に身を寄せています。
ウクライナ人ではなくロシア人の家族が彼らに食べ物を与え、決して広くはないアパートの一室を提供してくれています。
国籍など関係ありません。
宗教も関係ありません。
ウクライナ人でもロシア人でも関係ありません。
復活祭の朝、家族全員がそろって、肉やその他の食物とともに教会で清めを受けた卵を、その一年の健康と幸福を願いながらおごそかな気持で口に運ぶ。
洗足木曜日と聖金曜日にとれた卵が特に効き目があるとされた。
家を新築する際に敷居の下に卵を埋めこんだり、棟木の下に入れたり、最後の麦束の中に束ね込んだり、卵の殻を亜麻の種の中に混ぜたり、畑に卵を埋めたり、畑を鋤く時、その卵の上に鋤を通したり、鋤く人がその仕事にかかる前に卵または卵ケーキを1個食べたりする風習のもとには、生命力の象徴としての卵によって、あらゆる災いを防ぎ、五穀豊穣を願う気持があると言える。
(『図説 ヨーロッパ歳時記―ドイツの年中行事―』福嶋正純、福居和彦 八坂書房 2016年)
今朝の朝日新聞「天声人語」には、復活祭について書かれていてウクライナ人でもロシア人でも関係ありません。
キリスト教では、今日は「復活祭」
なんとなく知っているのですが、とくに卵の風習について知らなかったです。
春 復活祭
◆復活祭の卵
復活祭と切り離して考えることのできないのは、卵を中心とした数々の風習である。
「キリストは復活祭の日の朝、ひながとじこめられていた卵の中から出てくるように墓の中から現れ出た(Reichardt,S.123)」といったように、復活祭の卵を復活した救世主の象徴とみる解釈もあったが、この卵をめぐる風習はすでに古代ゲルマンにもみられたものであり、自然が再び蘇ったこの時期に、自然の贈り物として非常に重要な卵を贈り合ったという。
R.バイトルの『ドイツ民俗学事典』によれば、この風習が民衆の間に広く行われるようになったのは、聖土曜日の朝、教会で行われる卵とその他の食物の清めが9世紀から10世紀頃、ローマ定式書の中にとり入れられたことにある。
それは卵というものが「生命と生命の復活の根源的シンボルであり、その最も明白な担い手」(A.シュパーマー)であるからであり、古代民族や原始民族の間でも魔法の薬、供物、副葬品として使われていたからである。
(『図説 ヨーロッパ歳時記―ドイツの年中行事―』福嶋正純、福居和彦 八坂書房 2016年)
さらには古くは教会が定めた、四旬節に食べてはならない食物の中に卵も入っており、この日の清めを受けた後ではじめて食べることが許されたという事情も加わった。なんとなく知っているのですが、とくに卵の風習について知らなかったです。
春 復活祭
◆復活祭の卵
復活祭と切り離して考えることのできないのは、卵を中心とした数々の風習である。
「キリストは復活祭の日の朝、ひながとじこめられていた卵の中から出てくるように墓の中から現れ出た(Reichardt,S.123)」といったように、復活祭の卵を復活した救世主の象徴とみる解釈もあったが、この卵をめぐる風習はすでに古代ゲルマンにもみられたものであり、自然が再び蘇ったこの時期に、自然の贈り物として非常に重要な卵を贈り合ったという。
R.バイトルの『ドイツ民俗学事典』によれば、この風習が民衆の間に広く行われるようになったのは、聖土曜日の朝、教会で行われる卵とその他の食物の清めが9世紀から10世紀頃、ローマ定式書の中にとり入れられたことにある。
それは卵というものが「生命と生命の復活の根源的シンボルであり、その最も明白な担い手」(A.シュパーマー)であるからであり、古代民族や原始民族の間でも魔法の薬、供物、副葬品として使われていたからである。
(『図説 ヨーロッパ歳時記―ドイツの年中行事―』福嶋正純、福居和彦 八坂書房 2016年)
復活祭の朝、家族全員がそろって、肉やその他の食物とともに教会で清めを受けた卵を、その一年の健康と幸福を願いながらおごそかな気持で口に運ぶ。
洗足木曜日と聖金曜日にとれた卵が特に効き目があるとされた。
家を新築する際に敷居の下に卵を埋めこんだり、棟木の下に入れたり、最後の麦束の中に束ね込んだり、卵の殻を亜麻の種の中に混ぜたり、畑に卵を埋めたり、畑を鋤く時、その卵の上に鋤を通したり、鋤く人がその仕事にかかる前に卵または卵ケーキを1個食べたりする風習のもとには、生命力の象徴としての卵によって、あらゆる災いを防ぎ、五穀豊穣を願う気持があると言える。
(『図説 ヨーロッパ歳時記―ドイツの年中行事―』福嶋正純、福居和彦 八坂書房 2016年)
…前略…
▼苦難の歴史ゆえに政治問題で黙しがちだった日本正教会は先月末、ロシア正教会トップのキリル総主教に「和解と紛争解決」を求めた。
同総主教は、軍事侵攻を擁護する発言を繰り返している。
内田司祭が声を上げたのは「黙っていたら神に背くことになる」からだ。
▼ローマカトリック教会のフランシスコ教皇も「武器を置いて、復活祭休戦を」と呼びかけたが、収まる気配すらない。
祝うべき生命の尊さも自然の息吹も踏みにじられた、重く悲しい春である。
「文豪トルストイのひ孫、スイスでウクライナ難民受け入れ」(AFP 4月16日)
自身を含めトルストイの多くの子孫が、
「私たち一族は、罪のない国を侵略するという現在の恐ろしい行為に反対します」と記した書簡に署名し、
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領宛てに送ったことを明かした。
自身を含めトルストイの多くの子孫が、
「私たち一族は、罪のない国を侵略するという現在の恐ろしい行為に反対します」と記した書簡に署名し、
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領宛てに送ったことを明かした。
解説にかえて
一巻目の『人は何で生きるか』に出会って、衝撃を受けた訳者は、その後入学した東京帝国大学(現在の東京大学)の学業に失望し、トルストイの作品を原文で読むため、知人の紹介で満州(中国東北部)のロシア人の家に下宿をして、ロシア語を学びます。
そして、そこで出会ったトルストイの作品の数々から、たとえ、戦争という隠れ蓑(みの)をかぶったとしても、人が人を殺すことは絶対に許されるはずがないことを、改めて心に刻みこみました。
(『トルストイの散歩道 2 イワンの馬鹿』北御門二郎 あすなろ書房 2006年)
訳者は、太平洋戦争の真っただ中、青春時代を迎えました。一巻目の『人は何で生きるか』に出会って、衝撃を受けた訳者は、その後入学した東京帝国大学(現在の東京大学)の学業に失望し、トルストイの作品を原文で読むため、知人の紹介で満州(中国東北部)のロシア人の家に下宿をして、ロシア語を学びます。
そして、そこで出会ったトルストイの作品の数々から、たとえ、戦争という隠れ蓑(みの)をかぶったとしても、人が人を殺すことは絶対に許されるはずがないことを、改めて心に刻みこみました。
(『トルストイの散歩道 2 イワンの馬鹿』北御門二郎 あすなろ書房 2006年)
ハルビンから病(やまい)を得て帰ってきてまもなく、当然のこととして、徴兵検査の知らせを受け取りました。
そして、そこで「兵役拒否(へいえききょひ)」をします。
そのことは、訳者にとって、一生に一度の大事件でした。
当時、兵役を拒否すれば、死刑は免(まぬが)れなかった時代のことですから、若い心は千々(ちぢ)に乱れ、悩みぬいたことはまちがいありません。 奇跡的に命永(なが)らえた訳者は、その後、終(つい)の住処(すみか)となる熊本県球磨郡(くまぐん)水上村(みずかみむら)の山の中に移り住み百姓になるのですが、それもこれも、じつは、この『イワンの馬鹿』の影響が大きかったようです。 兄の軍人のセミヨンや大商人のタラスのように、人は権力や物質に対する欲にとらわれると、限りなくその欲望に振りまわされてしまいがちです。
そしてその結果、本当の幸せからだんだんと遠ざかっていきます。
一方、イワンは争うことをせず、お金に執着せず、ただただ愚直(ぐちょく)に、額に汗して働きます。
そしてそのことが、結局、自分をもまわりをも幸せにすることができるのです。
訳者は「自分もそういう生き方がしたい」と思ったのでしょう。 もちろん、人が理想の生き方を追求するとなると、さまざまな、困難がつきまといます。
日頃、訳者は、その困難を乗りこえさせる大きな力を持ったこの作品をこそ、多くの、将来ある子どもたちに読んで欲しいと言っておりました。
2006年3月 小宮楠緒(なお)
(『トルストイの散歩道 2 イワンの馬鹿』北御門二郎 あすなろ書房 2006年)今朝の父の一枚です(^^)v
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方(はう)百里雨雲(あまぐも)よせぬぼたむ哉 新華摘(安永6.4.13 無宛名)
[訳]百里四方、雨雲を近寄せず咲き誇る牡丹よ。
[季]「ぼたむ」夏。
[語]方百里 一里は 4キロメートル弱。その百倍、広大な四方をいう。
芭蕉「そも野ざらしの風は、一歩百里のおもひをいだくや(野ざらし紀行)。
[解]四方雨に降り込まれている中で、牡丹が咲いているところだけ明るい。
「雨雲」は男女の性愛をいう「雲雨の情」(文選・高唐腑)を思い起こさせるが、それを寄せつけない凛(りん)として咲く牡丹の美しさ。
[参]中七「雨雲尽て」(無宛名)。
(『蕪村句集 現代語訳付き』玉城 司訳注 角川ソフィア文庫 2011年)