2022年4月15日金曜日

気温が低いとの予報…

天気予報では、前日に比べて9度近く気温が下がるとのことでしたが
歩いていると蒸し暑さを感じました。
遠く離れているけど台風1号の影響かな?

午後から買い物に出ると、小雨交じりで風が冷たかったです。

台風1号 小笠原諸島に最接近 暴風や高波 土砂災害など厳重警戒」(NHK)
卯のはなのうきよの中のうれたさに
     おのれ若葉のかげにこそすめ


卯のはなの 「憂き世」にかかる枕詞
うれたさ 嘆かわしさ
(『樋口一葉 日記・書簡集』関礼子編 ちくま文庫 2005年)

昨日、サポートセンターからの返事をもとに
SoftwareDistributionフォルダーを削除したあと
システムファイルチェッカーを実施しましたが
「Windows リソース保護により、破損したファイルが見つかりましたが、それらの一部は修復できませんでした。」という結果になりました。
去年の5月と同じ状況…(-_-;)
リカバリをすることになりそうです(T_T)
来週、通院前の血液検査の予定なのでその時にしようかな…
気が弱いので、うまくいくかとドキドキして血圧が上がるだろうなぁ
 安田純平さんのTwitterに

今後、ロシア軍に拘束されたウクライナ兵が
「街を破壊したのはウクライナ軍」と言わされる映像が流されるかもしれない。
拘束されている人間が話す内容を自分で自由に決められるわけがない、
ということが分からない人がメディア内も含めて大量にいる。
その人達があっさり引っかかるのはまず間違いない。

ほんの少し考えれば分かりことであり、はっきり言って知性の問題だと思うが、
そういう人々が画面で流れているものをそのまま信じて、
悪意ではなくむしろ良いことをしているつもりで拡散させるのだから、放置しておいてよいものではない。
陰謀論はそうやって軽く考えている間に広がっていく。
 日本軍の捕虜観念

 ここで、当時の陸軍全体の空気と中央部の政策が関わってくる。
 日中戦争は前段階の満州事変をふくめ宣戦布告なき戦争であった。
戦場が華北から華中に拡大し、大本営が設置されて、まぎれもない全面戦争の様相が濃くなったにもかかわらず、日本政府は「北支事変」を「支那事変」と呼びかえただけで、あくまで事変で押し通した。
宣戦布告を要件とする戦争をしないと、国際法上、少なからぬ不利不便が生じる。
(『南京事件(旧版)』秦郁彦 中公新書 1986年)
 それでも日本が宣戦をためらったのは、軍需物資と原料の主要輸入先だったアメリカから交戦国の双方に軍需物資の供給を禁じた中立法を適用されるのを回避するためであった。
そのかわり、中国の戦場付近を米英など外国の艦船が往来しても、苦情を申し立てるわかに行かなかった。
パネー号、レディーバード号事件などを軍は外国勢力の故意妨害だと宣伝して国民の反英米感情を煽ったが、それは宣戦回避を選択した結果の自業自得と言えなくもなかった。

(1937<昭和12>年12月12日 南京攻撃戦で米艦パネー号を撃沈、英艦レディバード号を砲撃<14日 政府、米英に陳謝>。『新版 日本史年表』)
 事変を泥沼のような全面戦争に拡大したくないという主観的な願望も影響している。
それでいてトラウトマン交渉を打ち切ったのは矛盾するが、「蒋介石を対手とせず」という奇想天外の発想も、こうした願望の歪んだ副産物と見ることができよう。
 中国軍との関係でも、国際法の交戦法規をどこまで適用するかが当然問題になった。
 12年8月5日、陸軍次官から北支那駐屯軍参謀長にあてた依命通牒(陸支密第198号)には、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約ソノ他交戦法規ニ関スル諸条約中、害敵手段ノ選用等ニ関シ、コレガ規定ヲ努メテ尊重スベク……」とある。
一応は、交戦法規を尊重する主旨に見えるが、加登川幸太郎氏が指摘したように、それは「害敵手段ノ選用」などであって、交戦法規の全部ではない。
 さらに、この通牒の別の箇所では、「日支全面戦ヲ相手ニ先ンジテ決心セリト見ラルルガ如キハ努メテコレヲ避ケ」と指示している。
 読みようによっては、俘虜の待遇をふくめ国際法を守らなくてもよろしい、と説いているかのようであるが、明示はせず、解釈の責任は受けとる方に任せて逃げた、ととった方が良いかも知れない。
 いずれにせよ、陸軍中央部は、捕虜管理のための機構(俘虜情報局、俘虜収容所など)を作らず、要員も配置しなかった。
日露戦争や太平洋戦争では、捕虜に関するジュネーブ条約を準用すると約束し、機構や要因も準備しているから、事変だからという理由だけではなく、中国人に対する抜きがたい蔑視感情も影響したにちがいない。
 また日本軍人が捕虜になることを明文で禁止した「戦陣訓」(昭和16年)はまだ公布されていなかったとはいえ、理由を問わず捕虜をタブーとする観念はほぼ定着していた。
とくに第一次上海事変で空閑(くが)少佐が重傷で意識不明のまま捕虜となり、釈放後に自決したのが国民的美談となっていらい、このタブーはますます強まった。
 捕虜になることを禁じられた日本兵が、敵国の捕虜に寛大な気持で接せられるはずはなく、上官としてもそれを強要できるものではない。
ました上海・南京戦のような激戦、苦戦の直後はなおさらだったろう。
 昭和20年、父島でアメリカ人の捕虜飛行士を処刑してその人肉を食った猟奇的事件が起った。
責任者の立花芳夫中将以下がグアム島軍事法廷で死刑を宣告されたあと、連座した一人の大尉は、見舞った堀江芳孝少佐に、「捕虜になると国賊扱いにする日本国家のあり方が、外国捕虜の残虐へと発展したのではないでしょうか。捕虜の虐待は日本民族全体の責任なのですから、個人に罪をかぶせるのまちがっていませんか。……私は国家を恨んで死んで行きます」と涙を流しながら訴えた(堀江「父島人肉事件」)。
 捕虜処刑の深層心理をえぐった証言だろう。
  中国軍の方も、情報価値のある将校や飛行士を除くと、第一線や護送の途中で日本兵の捕虜を殺してしまう例が多く、漢口で外国人記者に捕虜を見せると約束して「現物」が到着せず、八路軍から捕虜を借りて間に合わせた、と鹿地亘が書いている(『日本兵士の反戦運動』)。
昭和13年中期頃からは、蒋介石軍も情報収集や反戦工作に利用するため、日本兵捕虜を保護するようになったが、日本軍の方にも捕虜を労働力ないし傀儡(かいらい)軍の兵士として活用しようとする発想が一部に生れた。
 南京の捕虜収容所からも、生き残りの一部が維新新政府(のち汪政権)の軍隊に編入され、なかには少将まで昇進した例もあった。
また第16師団経理部は、相当数のヤミ捕虜を物資の輸送などの使役に当てた、と自身も三百人も使っていた金丸吉生主計軍曹が証言しているが、これらはあくまで例外で、捕虜処刑の習慣は日中戦争の全期を通じて変らなかったようだ。
(『南京事件(旧版)』秦郁彦 中公新書 1986年)
今朝の父の一枚です(^^)v
惜しいことにシロハラの顔が切れてしまったのですが
こんなに太いミミズを丸呑みしたとビックリしていました。

■鳥には歯がない
 そういえば、鳥の嘴には歯がありません。
そのためでしょうか、鳥がくちゃくちゃと噛んでいる姿を見たことがありません。
何でもみんな「ごっくん」です。
 鳥がこの世に現れたのは,中生代といわれています。
実はその頃の鳥の中には、歯がある種類がいたことが化石からわかっています。
しかし、現在の鳥では、歯がある種類は1羽もいません。
進化の過程で、より有利に飛ぶために重たい歯を捨ててしまったのです。
 人間では歯がないと、食べものを磨りつぶせないので消化できず、死につながります。
なのに鳥が平気というのはどういうことでしょう。
 実は、鳥にも歯の役割をするところがあります。
それが「砂肝」です。
焼き鳥にあるコリコリとした食感の肉ですが、これが鳥の歯なのです。
 砂肝は、正しくは「筋胃または砂のう」といい、強力な筋肉でできた胃袋です。
丸呑みした食べものを筋肉の胃袋を動かして磨りつぶすことができます。
また、多くの鳥は、筋胃に砂を入れ、より強力に食べものを磨りつぶします。
だから砂肝というのです。
 砂は、食べ物といっしょに排出されてしまいます。
ですから定期的に砂を食べなければなりません。
よく鳥を捕らえて食べ物を与えても、やがて死んでしまうのは、磨りつぶす砂がなくなってしまったことが原因のことが多いのです。
歯がなくなったのと同じ事だからです
(『ポケット図解 鳥の雑学がよ~くわかる本』柴田佳秀 秀和システム 2006年)

鳥はなぜ飛べるの?~消化の不思議編~」(京都市動物園)