2018年12月6日木曜日

今にも降り出しそうでした

暗い空を見ていると今にも降りそうだなと思いながら歩いていました。
歩いている間は大丈夫でしたが
帰る頃に雨がポツポツと降り出した。
黒い実がなっていました。
ここはヒガンバナ(紅白)や
ショウキズイセンが咲いていた場所なんだけど…
雨の降るしくみ
雨が雲から降ってくる過程を明らかにするには、
解決しなければならない多くの問題があった。
たとえば雲粒の直径は100分の1ミリの桁で、雨粒はふつう1~2ミリである。
体積は直径の三乗に比例するから、
一粒の雨粒は雲粒100万~800万個分の大きさに相当する。
雲粒がいかにしてそのような大きい雨粒に成長するのであろうか。
単純に凝結だけで個々の雲粒が雨粒の大きさまで成長するには40~50時間かかる。
それなのに夕立のときなどは1時間足らずで大粒の雨が降ってくる。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
雲粒同士が衝突合併して雨粒に成長すると考えたらどうか。
遠くから見る雲は、水滴がぎっしりつまっているように見えるが、
雲の中に入ると隙間だらけである。
雲粒をピンポン玉の大きさとすれば、
雲粒は「六畳間に2~3個ぐらいの割合」ほどにまばらに並んでいるに過ぎない。
そう都合よく衝突しそうもない。
このようにして雲粒が雨粒になる「しくみ」は長い間、
気象学者にとって謎であった。
が、次に述べるような「しくみ」が明らかになった。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
雲の中に過冷却の水滴、つまり氷点下でも水の状態でいる雲粒の層がある。
その中に氷晶(氷の結晶)の雲粒がまじると、
水と氷の飽和水蒸気圧の差により、
水の雲粒は蒸発し、その分氷晶がみるみる成長する。
これは実検でも確かめられている。
成長した氷晶は重くなって落下する。
すると雲粒との衝突が多くなる。
広場に人がまばらでも、大型自動車で走り回れば
人と衝突する確率が高くなるのと同様である。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
台風21号の強風で倒れた後、伐採された木から芽が出ていました。

ひこばえ・胴吹きの意味
 根元から出る枝を「ひこばえ」、
幹や枝の途中から出るのを「胴吹き」と呼びます。
出る位置によって名前は違いますが、出る理由は一緒。
葉が足りないので、応急処置として急きょ葉を出します
 ひこばえや胴吹きの枝は、「みっともない」、
「栄養を取る」といわれ剪定されるのですが、
切ったら出なくなるものではありません。
栄養を取られるなら最初から出さないし、
出して維持ができないなら自分で枝を枯らすでしょう。
樹上に十分に枝葉があれば根元は日陰になるので、出す必要はなくなります。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
日本のマツは、ひこばえ・胴吹きの枝を出せません。
崩壊地に暮らすヤナギ類などは、倒木したときの保険としてひこばえを出しています。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
切り株から、枝葉(ひこばえ)が伸びている木を見たことがありますか?
木は伐採されても、完全に枯れたわけではありません。
生きている根や樹皮があれば、そこから新しい枝葉を出して、
また一から始められるのです。
ただ、若木の方が芽を出しやすく、年を取るほど出しにくくなります。
昔は根元から木を切って、ひこばえを出して育て(萌芽更新 ほうがこうしん)、
薪や炭の材料にしていました。
主に若い広葉樹で行われていました。
針葉樹はひこばえが出ないものが多く、根元で切ると枯れてしまいます。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
三十二 春道列樹(はるみちのつらき)
  山川(やまがは)に風のかけたるしがらみは 
  流れもあへぬ紅葉なりけり

 山あいの渓流に、もみじが淀(よど)んでいる風景は、私達もよく見ることがある。
それを「風のかけたるしがらみ」にたとえたのは面白い。
しがらみは、川の堰(せき)から転じて、何かをひきとめるもの、
人間の絆といったようなことにまで及んだが、
ここではそんな所まで深読みする必要はない。
谷川のしぶきと、紅葉の色の対照が美しく、
定家の時代には、新鮮な感覚として持囃(もてはや)されたであろう。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)
「古今集」の詞書(ことばがき)には、「しがの山ごえにてよめる」とだけ記し、
京都から大津へ越える山道で、実景を見て詠んだと想像される。
近江(おうみ)の人に聞いた話では、古(いにし)えの「志賀の山越え」は、
逢坂山(おうさかやま)からは北よりで、崇福寺のあたりをいったらしい。
が、ある特定の場所ときめなくてもさし支えはない。
春道列樹とは珍しい名前だが、新名宿禰(あらなのすくね)の子とのみで、
詳細は知られていない。
歌人としても有名ではなかったようで、
「風のかけたるしらがみ」という詞の面白さだけで、百人一首にとられたのであろう。
「吉野の白雪」から、忽然(こつぜん)と鮮やかな紅葉に展開するところに、
当時の人々は新しい趣向を感じたに相違ない。
やはり百人一首を鑑賞する場合は、ばらばらに読むよりも、
ひとつづきのものとして味わった方が趣がある。
単一ではさして美しくない歌でも、前後の関係で生きて来るものがあると思う。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)

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