2018年12月12日水曜日

雨が上がって

朝早く大雨のメールが届き本降りになっていました。
天気予報を見ているとまもなく曇になり
午後から晴れるようですが、風が吹くようなので
雨が止むのを待ってリハビリ散歩に出かけました。
 ハンノキは雌雄の花芽がまるで裸です。
いくら裸芽といっても、あまりにもむき出しだと思ったら、
真冬に咲いているようです。
冬は葉がないから、花粉が葉について無駄にならないため?
だったら早春でもよくね?
他の木は芽をしっかり覆い寒さに耐えますが、
寒さ対策が面倒なのか、節約なのか、怖いもの知らずです。
葉芽はワックスがけで対策しますが、
やや手抜きな葉っぱが開きます(葉脈は頑丈です)。
過湿な場所で暮らすのは大変で細かい所まで手が回らないのかもしれません。
しかし実だけは繊細、ミニ松ぼっくりでタンニンを含み、がっちり種を守ります。
子どもには優しい肝っ玉母ちゃんです。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
82 一雨一度ってどういうこと?
「一雨一度(ひとあめいちど)」ということばがある。
春から夏は一雨ごとに少しずつ暖かくなり、
反対に秋から冬にかけては少しずつ寒くなる、という意味だ。
たしかに雨が降ったあとは、季節が少し進んだことを肌で感じることがある。
(『お天気キャスター森田さんの天気予報がおもしろくなる108の話
                    森田正光 PHP 1997年)
 秋から冬にかけての場合、
低気圧が通過するとそのあとには必ず冷たい空気が日本に入ってくる。
低気圧とは、空気が集まって上昇し、気圧が低くなったところのことである。
反時計回りに空気が集まってくる。
だから低気圧が日本付近に近づいてくるときは
南から暖かい空気を取り込んで気温が上がるが、
通過したあとは、
これを追うように北西の方向から冷たい空気が流れ込んでくるので、
日本はその風の影響で寒くなる。
低気圧が通過するときは、天気が崩れて雨が降ることが多い。
だから一雨一度の一雨とは低気圧のことと考えればいい。
(『お天気キャスター森田さんの天気予報がおもしろくなる108の話
                    森田正光 PHP 1997年)
 冬へのプロローグである晩秋の11月は、
平均して5~6回低気圧が日本を通過する。
そして11月1日と30日を比べ、
一カ月間の気温の下降率(東京)を見てみると、平年の平均で5~6度である。
低気圧が5~6回で5~6度下がる。
まさに一雨一度なのだ。
(『お天気キャスター森田さんの天気予報がおもしろくなる108の話
                    森田正光 PHP 1997年)
 11月の終りごろから、大陸の寒気(シベリア高気圧)が強まってくる。
秋には移動性の高気圧と低気圧が西から交互に日本へやってきて、
一雨一度で寒くなっていくが、大陸の寒気が強くなって日本の西方を覆うと、
移動性の高気圧や低気圧の入るスキを与えない。
したがって、12~2月にかけて気温が下がっていくのは、
移動していく低気圧による一雨一度では説明がつかない。
 冬の寒さは低気圧ではなく、大陸の寒気の強さなのである。
(『お天気キャスター森田さんの天気予報がおもしろくなる108の話
                    森田正光 PHP 1997年)
 ところで、トーゴーサンの法則をご存じだろうか。
東郷さんという偉い人が作った法則、というわけではない。
一介のお天気キャスターである私が作った「十五三(トーゴーサン)の法則」のことだ。
この法則を知っていれば、大まかな日最低・最高気温がわかる。
日最低気温がわかっていたとして、
その日が晴れなら「十五三」の十を足した数が最高気温になる。
たとえば、最低気温が13度で晴れなら、10を足して、最高気温は23度というぐあいだ。
逆に最高気温がわかっていれば、そこから10を引いた数が最低気温になる。
曇りの日はプラス五、雨の日はプラマイナス三である。
 もちろん、実際に天気予報の予想最高・最低気温を出すときはもっと厳密である。
これにはスーパーコンピューターを使う。
コンピューターに、水蒸気量、風速、雲の量、係数、誤差などなど、
40あまりの項目を組み込み、コテコテ計算して出すのである。
さすがのトーゴーサンもこれにはかなわない。
(『お天気キャスター森田さんの天気予報がおもしろくなる108の話
                    森田正光 PHP 1997年)
エンジュ(マメ科 エンジュ属)
 冬を迎えて半乾きになったグミキャンディーは鳥たちに人気のごちそうです。
見れば、鳥は実をくわえるとグイッと横に引っ張り、
一口サイズにちぎってから飲み込んでいます。
なるほど実のくびれは鳥用の「ミシン目」。
食べやすいようにという心遣いだったのですね!(下心はあるけれど。)
・晩秋のエンジュには鳥が集まり、まるで「鳥の木」のようです。
・熟して半乾きになった実は、ちょっと粘り気があってグミキャンディーみたい。
 ヒヨドリ、ムクドリ、オナガなどが好みます。
(『実とタネキャラクター図鑑』多田多恵子 誠文堂新光社 2017年)
九 小野小町(おののこまち)
花のいろはうつりにけりないたづらに 
我身よにふるながめせしまに


 実在したが架空の人物でもあったという説が、
もっともよく当てはまるのは小野小町かも知れない。
一応「出羽(では)の郡司が女(むすめ)」として知られているが、
それが小野氏の誰であったか不明である。
生没年は勿論(もちろん)のこと、実名もわかっていない。
たしかなことは、仁明(にんみょう)天皇の頃、宮廷に仕えていた、
たぐい稀(まれ)なる美女であり、歌の上手として知られているだけで、
在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)
僧正遍昭(へんじょう)などと親しかったのは、
「古今和歌集」の問答歌から知ることが出来る。
前に私は、「夢に生きる女」という題で、小町について書いたことがあるが、
実際にも夢の歌が圧倒的に多いだけでなく、
古今を通じて大衆の「夢の中に生きた女」でもあった。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)
「花のいろは」の歌はせつめいするまでもないが、下の句には技巧が凝らしてあり、
世に経るという詞(ことば)に、びて行くと、雨が降る意味を重ね、
ながめ長雨にかけて、短い句のなかで複雑な表現を行っている。
もともとながめという日本語は、微妙な陰影のある言葉で、景色を眺める、
歌を詠めるから、退屈な気持、物思いに沈む風情(ふぜい)までふくまれていた。
それは漢字ではとても言い現せない言葉であり、万葉の歌が、
古今・新古今の世界へ発展して行く背後には、
仮名と草書の発達が、大いにあずかっていたと思われる。
小野小町は、それらの特徴を自在に駆使した歌人で、
定家が右の一首をえらんだのも、そういう才能を高く評価したからであろう。
掛詞や縁語を無視して味わっても、この歌は充分うつくしい。
「李花(りか)一枝雨を帯びたる」とは、まさにこういう姿をいうのだと思う。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)

※「経る」「」「降る」「ながめ」「長雨」に脇点(、、、
 うるわしい容姿と才能で有名になった彼女は、
伝説につぐ伝説を生み、ついにほんとうの姿を失うに至った。
小町が住んだところ、小町の墓と称するものは、日本中の至るところに散在している。
「小野」という地名も、殆(ほと)んど彼女の伝説と結びついているが、
出羽の出身というところから、東北地方にも少なくない。
室町時代には、「玉造小町壮衰書(たまつくりこまちそうすいしょ)」という説話と混同され、
老いさらばえて、乞食になったという話に発展した。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)
  百年(ももとせ)にひととせ足らぬ九十九髪(つくもがみ)
  われを恋ふらし面影に見ゆ

 という「伊勢物語」の歌を元に、猿楽は九十九歳の小町の姿を、
「卒塔婆(そとば)小町」「鸚鵡(おうむ)小町」「関寺(せきでら)小町」などに
戯曲化し、その伝説に拍車をかけた。
それにはおそらく深い理由があった。
(いにしえ)ほかいびととは異なるが、
物語を語って歩く巫女(みこ)とか比丘尼(びくに)のたぐいが、
小町の逸話をたずさえて、諸国を放浪したからである。
彼等は古代の語り部(べ)の末流で、同じく諸国を巡業した猿楽者や田楽者が、
それらの語りものの中から素材を得た。
そういう風にして、小町の物語は途方もなくふくらみ、
実際の人間とは似ても似つかぬ映像を造りあげて行った。
小野氏という家柄が、語り部と関係が深かったことも、大きな要因の一つといえよう。
そして、この比丘尼か巫女が旅先で死んで埋葬されると、
(すなわ)ち小町の墓所ということになったのも、
素樸(そぼく)な人々の心情としては自然なことであった。
小町の伝説には、日本人のさまざまな性格と傾向が現れていて面白い。
彼女も猿丸大夫(さるまるだゆう)や喜撰法師(きせんほうし)と同じように、
長い年月と多くの人々の手を経て、創造された一つの偶像なのである。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)

※「ほかいびと」に脇点(、、、、、

昨日の記事に少し書きましたが、
高校時代のクラス会の写真プリントをデジタルデータにする作業をしています。
もう天国に旅立った仲間の笑顔が写っています。
そんな写真を見ながら人の運命は分らないもので
Kazeよりも健康で元気だった仲間が先に天国に行ってしまっています。
最近の私の口癖は、「会えるときに会っておかないと」
私が今こうして生きているのも神様がくださったおまけの時間だと思っています。