歩き始めは霜が降りていましたが
風もなく青空が見えて日向は暖かかったです(^-^)
昨日の「チコちゃんに叱られる」(関西なので土曜日の再放送)で
「年の瀬」は、「借金精算の攻防のときだから」とチコちゃんが教えてくれました(^^ )
この借金精算の攻防と言えば
井原西鶴の『世間胸算用』(京都大学附属図書館)を思い出しました。
巻一の「一 問屋(とひや)の寛闊女(くわんくわつをんな)」の
現代語訳を転記したいと思います。
ちなみに旧暦では31日がないので大晦日は30日のことになります。
一 問屋(とひや)の寛闊女(くわんくわつをんな)
世の中の定めとして大晦日が闇であることは、
天の岩戸の神代このかたわかっていることなのに、
世間の人は皆平素世渡りに油断していて、
毎年一つの胸でする胸算用が違って、
大晦日の支払いができかねて困るのは、各自の覚悟が悪いからである。
一日千金に替えがたい、冬と春との境である大晦日を
越えかねるのは借金のせいであるが、
その借金も人それぞれに子供という柵(しがらみ)があるからで、
子供というものは人の資産相応に費用がかかるものである。
それはさしあたって目には見えないが、年間に大きな額になる。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
たとえば、掃(はき)きだめの中へすたれてしまう破魔弓(はまゆみ)、
手鞠(てまり)の糸屑(いとくず)、このほか雛の摺鉢(すりばち)のわれた物、
菖蒲刀(しょうぶがたな)の箔(はく)の色の変わった物も捨てられれば、踊太鼓も破られ、
八朔(はっさく)の数珠玉(じゅずだま)につくり雀の飾り物も捨てられてしまう。
また、中の亥(い)の日を祝う亥の子餅の糯米(もちごめ)を買い、
氏神のお祓いに奉納する団子をつくり、弟子朔日(おとごついたち)、
厄(やく)払いに与える包み銭もいり、夢違いのお札を買うなど、
子供のために、宝船にも車にも積みきれないほどで、
それだけ出費になるものである。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
ことに近年はどちらでも一家の主婦が贅沢になり、衣服に不自由しない身で、
その時々のはやりの模様の正月小袖を考え出し、
羽二重(はぶたえ)一反銀四十五匁の絹地を買い、
千草(ちぐさ)の細染百色(ほそぞめももいろ)がわりに染めさせるが、
その染め賃は地絹より高く、金一両の費用を出すのだが、
それさえたいして人の目をひくほどではなく、あたら金銀を捨てることだ。
帯にしても古(こ)渡りの本繻子(ほんじゅす)で、一幅一丈二尺の物で、
一筋銀八十六匁の品を腰にまとい、
小判二両のさし櫛(ぐし)、今の米の値段に換算すれば、
本俵(ほんびょう)三石にあたるものを頭にさしているわけで、
湯具(ゆぐ)も本紅(ほんもみ)の二枚がさねをしめ、
白絖(しろぬめ)の足袋(たび)をはくなど、昔は大名の奥方もなされぬこと、
思えば町人の女房の分際として、冥加(みょうが)恐ろしいことである。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
それも、せめて金銀を自分の物として持ち余っての贅沢であればまだしもである。
降っても照っても、昼夜油断のできない利息のつく金を借りる人の身代で、
このような女の贅沢は、よくよく思案してみれば、
我ながらわが心の恥ずかしいことである。
これらを見ると、たとえ明日の日に分散にあっても、
女房の諸道具は競売の対象にならないので、
これを売って資金としてまた商売にとりつき、
世帯をたてるための材料にするのかと思われる。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
いったい、「女の知恵は鼻の先」の諺どおり、女はあさはかなもので、
分散になる日の夕方まで提灯を持った二人の供を連れて、乗物で外出し、
それも月夜なのだから無用の見栄で、闇夜に錦の上着を着て歩き、
湯を沸かして、その湯がさめて水になったあとで入浴するようなもので、
何の役にも立たない身持である。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
死なれた親仁(おやじ)が仏壇の隅からこの状態を見て、
「この世あの世の隔たりがあるから、残念に思っても意見することも難しい。
お前の今の商売の仕方は、世の中での偽りの総本家というものだ。
十貫目の品物を掛(かけ)で買って、
それを八貫目に売って現金を手に入れて金繰りをするくふうなど、
結局は経営困難だからである。
来年の暮れには、この家の門口に、
『売家、十八間(けん)口で、内に蔵が三か所、雨戸建具はそのままにしておく。
上・中の畳数二百四十畳、ほかに江戸廻船一艘(そう)、
五人乗りの御座船(ござぶね)に通い船をつけて売ります。
来(きた)る正月十九日に、この町の会所で競売』と
貼札(はりふだ)があることが評判になり、
財産は皆他人の物になることが仏の目にはっきりと見えて悲しく、
さだめても仏具も人手に渡るだろう。
その中でも青銅の三つ具足(ぐそく)は、この家に代々持ち伝えた品物で惜しいから、
来年の七月、魂(たま)祭りの送り火の時、
蓮の葉に包んで極楽にとって帰ることにする。
どうせこの家は来年だけのもの、お前の心底もその考えゆえ、
丹波(たんば)にだいぶんの田地を買いこみ、
分散後に引っ込む場所をこしらえているが、たいへんな無分別である。
お前が賢ければ、お前に金を貸すほどの人もまた利口で、
一つ一つ調べあげて、全部人の物になることである。
くだらない悪事を企(たくら)むよりは、何とぞもう一度商売をやり直せ。
死んでも子供はかわいいので、枕もとに現れてこの事を知らすぞ」と、
ありありに親仁(おやじ)の姿を見た夢はさめて、
明ければ、十二月二十九日の朝であった。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
この商人は寝室から大笑いして、
「さてさて今日と明日しかない年末の忙しい最中に、死んだ親仁の欲心を夢に見た。
あの三つの具足は菩提寺へ奉納せよ。
後の世までも欲のやまぬことだ」と親をそしるうちに、
諸方の借銭乞(こ)いが山のように集まって来た。
どうして始末をつけるかと思うと、この頃金をもたない商人たちが、
手元に金銀がある時、無利子で両替屋へ預けておいて、
また金が入用の時は借りるために、小利口な者が振手形というものを案じだしたが、
お互いにやりくりの都合のよいことである。
この亭主もその心づもりで、十一月の末から銀二十五貫目を懇意な両替屋に預けておき、
大晦日の支払い時に、米屋も呉服屋も、味噌屋、紙屋、魚屋も、
観音講の割当ての金も、揚屋(あげや)での遊興費も、
受け取りに来るほどの者に、「その両替屋で受け取れ」と、振手形一枚ずつ渡して、
全部始末をつけたと年籠(としごも)りの住吉参りに出かけたが、
さてその心中はおちつかない。
こんな人の賽銭は、貰われたところで神様もお気づかいなされるだろう。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
さてその振手形は、預金二十五貫目に八十貫目余りを振り出し、
それを持って押しかけるものだから、両替屋では、
「勘定してみて後で渡そう。この男の振り出した手形は預金より多い」と、
さまざまに調べるうちに、掛乞(かけご)いもその手形を支払いに充て、
また先方へ先方へと渡し、後にはどさくさと入り乱れ、
始末のつかない振手形を金の代わりに握って新年を迎えた。
一夜明ければ、豊かな正月となった。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
寛闊女 気性が派手で、伊達な服装をする女房。
問屋は、資産以上に華美な生活をするものとされていた。
分散 自己破産。多年の貸手からの借金を返済し得ない時、
全債権者の同意を得て、全財産を提供し、借金額に応じて配当返済すること。
分散の際、債権者が承諾する時は、財産の一部を自己に留保することができた。
年籠り 大晦日の夜から社寺に参籠して、年を送迎すること。
借金取りを逃れる手段として利用された。
埒(らち)の明けぬ振手形(現代語訳では「始末のつかない振手形」)
振手形が甲―乙―丙―丁というふうに渡って不渡りになった場合は、
その逆に返していって最初の甲と振出人との勘定になる。
年末の忙しい最中には、間に合わないことがあり、
この主人公は年参りに出かけているから、話のつけようがないわけである。
*問屋商売のやりくりを示す一例として、
不渡りを承知の振手形による年の越しかたを描いたもの。
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』
谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)