今朝は、雲が空を覆っていて青空を見ることができませんでした。
昨日の記事で森田さんがイソップ寓話に
「太陽が結婚しちゃったり、冬が春をあざ笑ったり」する話があると書いていました。
どんな話か題名は書かれていませんでしたが
この話かなと思うのを転記したいと思います。
冬と春
冬が春をからかって、こんな悪口を言った。
春が来たとたん、もう誰もじっとしていない。
百合などの花を摘んだり、
薔薇の額の飾りにしたり挿頭(かざし)にするのが好きな人は、
野原や森へと繰り出すし、
また別の人は、船に乗り海を渡って、どこでもよい、よそ人の所へ行こうとする。
それに誰も、風のこと、豪雨のもたらす大水のことなど気にもかけなくなる。
(『イソップ寓話集』中務哲郎訳 岩波文庫 1999年)
それに対して、と冬は言葉を続けて、
「私は有無を言わせぬ王のようだ。
空を仰ぐことなく、地面に目を伏せ、恐れ震えていさせてやる。
時には,終日家に蟄居(ちっきょ)するも止むなし、とも思わせてやる」
と言えば、春の言うには、
「だからこそ、人間は君が去れば喜ぶのだ。
私はといえば、その名だけでも美しいと人々に思われている。
まったくのところ、世界一美しい名だ。
それ故、私が去っても人々は覚えているし、戻って来ると歓喜するのだ」
(『イソップ寓話集』中務哲郎訳 岩波文庫 1999年)
太陽と蛙
夏の盛りに太陽の婚礼があった。
動物たちは神様のために陽気な祝宴を張り、蛙も水辺のダンスにうち興じた。
すると、蟾蜍(ひきがえる)がそれを制止して言うには、
(『イソップ寓話集』中務哲郎訳 岩波文庫 1999年)
「お祝いの歌を歌っている場合じゃない。
心配して苦しまねばならぬ時だ。
今太陽は独身でも水たまりを残らず干上がらせるのに、
結婚してよく似た子を生んでみろ、俺たちがどんな災難に見舞われることか」
(『イソップ寓話集』中務哲郎訳 岩波文庫 1999年)
他にこんな話が載っています。
戦争と傲慢
神々が結婚式を挙げ、各々伴侶が決まった時、
戦争(ポレモス)は皆に遅れて、残り籤(くじ)のところに到着した。
そしてこれ一人しか残っていなかったので、傲慢(ヒュブリス)を娶(めと)ったが、
伝えによると、この奥方を恋い慕うこと一とおりではなく、
この女神の行くところ、どこへでも随(つ)いて行くのだ。
されば、傲慢が民衆に笑みを振りまきながら、
諸国民諸都市を訪れることのないように。
その後から、たちまち戦争がやって来るのだから。
(『イソップ寓話集』中務哲郎訳 岩波文庫 1999年)
この「戦争と傲慢」は、何処かの国のことを寓意していると思いませんか?
今朝の父の一枚です(^-^)
台風で倒れた後、伐採されたオーストラリアチャンチン
新しい芽(胴吹き)が出ているの撮していました。
「木の都合も考えてみよう」(山口県樹木医会)