朝から気温が上がり、暑かったです(゜o゜;)
なのに週末はグ~ンと気温が下がるとか…
「12月なのに各地で夏日の記録的暖かさ 大気不安定 落雷など注意」
夕方、生ぬるい暖かさの風が吹き
雷も光り、大雨になりました(°0°)
昨日は、伊勢物語69段の現代語訳を転記しましたが、
古文を転記しますφ(..)
六十九
むかし、男ありけり。
その男、伊勢の国に狩の使(つかひ)に行(い)きけるに、
かの伊勢の斎宮(いつきのみや)なるける人の親、
「常の使よりは、この人、よくいたはれ」といひやれりければ、
親のことなりければ、いとねむごろにいたはりけり。
朝(あした)には狩にいだし立ててやり、
夕さりはかへりつつそこに来(こ)させけり。
かくてねむごろにいたづきけり。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
二日といふ夜、男、「われて逢はむ」といふ。
女もはた、いと逢はじとも思へらず。
されど人目しげければえ逢はず。
使実(つかひざね)とある人なれば、遠くも宿さず。
女の閨(ねや)近くありければ、女、人をしづめて、子(ね)一つばかりに、
男のもとに来たりけり。
男はた、寝られざりければ、外(と)のかたを見出して臥(ふ)せるに、
月のおぼろなるに、小さき童(わらは)を先に立てて人たてり。
男、いとうれしくて、我が寝(ぬ)る所に率(ゐ)ていりて、
子(ね)一つより丑(うし)三つまであるに、まだ何ごとも語らはぬに、かへりにけり。
男、いとかなしくて、寝ずなりにけり。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
つとめて、いぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、
いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、
女のもとより、言葉はなくて、
君や来(こ)し我や行きけむおもほえず
夢かうつつか寝てさめてか
男、いといたう泣きてよめる。
かきくらす心の闇にまどひにき
夢うつつとはこよひ定めよ
とよみてやりて、狩に出でぬ。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
野に歩(あり)けど心はそらにて、こよひだに人しづめて、
いととく逢はむと思ふに、国(くに)の守(かみ)、斎宮の守かけたる、
狩の使ありとききて、夜ひと夜酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、
明けば尾張(をはり)の国へたちなむとすれば、
男も人知れず血の涙を流せど、え逢はず。
夜やうやう明けなむとするほどに、
女がたより出(いだ)す杯(さかづき)の皿に、歌を書きて出(いだ)したり。
とりて見れば、
かち人の渡れどぬれぬえにしあれば
と書きて、末はなし。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
その杯の皿に、続松(ついまつ)の炭して歌の末を書きつく。
また逢坂(あふさか)の関は越えなむ
とて明くれば、尾張の国へ越えにけり。
斎宮は水尾(みのを)の御時、文徳天皇の御むすめ、
惟喬(これたか)の親王(みこ)の妹。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
狩の使 朝廷の用に供する鳥獣の狩猟に遣わされた使者。
国々の情勢を視察する任を帯びていた、と言われる。
伊勢の斎宮 伊勢神宮に仕える未婚の皇女。
天皇一代の間、任にあるのを原則とした。
この段の「斎宮」は、清和天皇の時、文徳皇女恬子(やすこ テンジ)内親王だという。
「斎宮なりける人」は、「斎宮の許(もと)に仕える人」の意ではなく、
「斎宮である人」の意であろう。
とすれば、その「親」は紀静子を指すことになる。
静子にとって業平は姪(有常娘)の夫にあたる。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
何ごとも語らはぬに 満足に語らうこともないうちに。
神に仕える斎宮に不可欠の身の清浄を考えると、
肉体的に契らぬうちに、のことともとれる。
ただし恬子と業平との間についての噂話は、この一夜の契りで恬子は懐妊し、
生まれたのが高階師尚(たかしなもろひさ)だ、という伝えを生んだ。
真偽のほどは不明だが、後に藤原道隆の孫の敦康(あつやす)親王(定子の子)が、
この師尚の血を引くという理由で、道長の孫の後一条天皇(彰子の子)との、
皇位継承争いに敗れた、という記録を残した人もあり、
早くから信じられていたらしい。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
*有名な段で、『伊勢物語』の名の由来とされるほどである。
事実これを冒頭に置く伝本があったらしい。
少なくともこの段を中心とする伊勢斎宮関係の諸段、
二条后関係の諸段とともに、『伊勢物語』の二本柱の観を呈する。
斎宮という神聖な女性と業平らしい男との一夜の恋は、悲恋物語とうけとられ、
注四(「何ごとも語らはぬに」)に示したような伝えが信じられていたほどだから、
次々と諸段が書き加えられたのだろう。
それは伝説で恬子に過ちはなかった、という意見は当然あり、
またそうとも読めるこの段の表現だが、
事実問題を抜きにした「男」と「斎宮なりける人」とは、
一夜限りの契りを持ったと読むのが自然と思う。
なお『古今集』には「斎宮なりける人」と
「業平」との贈答として「君や来し」「かきくらす」をあげる。
ただし後者は「世人(よひと)定めよ」で、『伊勢』が「こよひ」に改めつつ、
翌日の話を追加して悲劇性を強めた可能性がある。
(『伊勢物語(旧版)』渡辺実 校注 新潮社 昭和51年)
シメ(アトリ科)
急に冷え込んだ秋の朝、葉を落とし始めた木のてっぺんで、
ピチッ、ピチッという固いものを割る音のような声がする。
この声の主、シメは北国からの冬の使者だ。
【鳴き声】
チチッまたはピチッと聞こえる声は、ホオジロ類よりもつまった感じ。
また、飛びながらなど、スィーとかチーといった声も出す。
さえずりを聞くことは、繁殖地でさえ少ないという。
【みつけ方】
冬枯れの木の高いところにぽつんとつまっている丸っこい鳥。
浅い波形を描いて飛ぶが、このとき翼に白い模様が見える。
〔人気と魅力〕
太っていて、飛び立つのもめんどくさそうなふてぶてしさが、
かえって妙に憎めないところだ。
(『鳥のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)
【生活】
冬、新しい雪が降っても降っても、その上にカエデの実が落ちている。
冬中かけてゆっくりと落ち続け、
そして竹とんぼのように風に乗って遠くまで飛んでいく実。
シメはこうしたカエデの種子や、ヤマハゼ、エノキなどの種子を好んで食べる。
繁殖シーズンの初夏には昆虫も食べるが、
固い種を主食にできるそのくちばしは30kgもの力を出すというから、
やわらかい虫などでは食べた気がしないのでないだろうか。
アトリ科の鳥は社会生活や食生活が異なるふたつのグループに大別される。
広いなわばり分散をするアトリの仲間と、せまいなわばりを密集させるヒワの仲間だ。
シメはヒワ類に属するが、つがいごとに広いなわばりを確保して散らばる場合と、
数つがいがせまいなわばりを密集させる場合があるという。
体つきや食生活はれっきとしたヒワなのだろうが、社会のしくみはどっちつかずだ。
しかし、シメもヒワの仲間としてご多分にもれず、
つがいの仲は良い(目つきは悪いといわれるが)。
卵をあたためるメスは自分でも食事に出かけるが、
1日に何回かはオスに食べ物を運んでもらう。
北海道では繁殖しているが、大半はシベリア方面からやってくると思われる。
年により多い少ないの差はあるが、
得てして北帰行の前の3月頃には数が増え、群れて飛び回る。
(『鳥のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)
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