昨日からの天気予報と今朝の予報で寒さを覚悟して出かけました。
曇り空で予報通りだなと思いながら歩いていると
雲がどこかに行ってくれて晴れてくれました(^_^)b
「強い冬型続く 北~西日本の日本海側中心に大雪に警戒を」
曇り空で予報通りだなと思いながら歩いていると
雲がどこかに行ってくれて晴れてくれました(^_^)b
「強い冬型続く 北~西日本の日本海側中心に大雪に警戒を」
長歌と反歌ですが、長歌は現代語訳を転記したあとに古文を転記します。
(反歌は古文→現代語訳の順です)
巻第十八 4111 大伴宿祢家持(おほとものすくねやかもち)(反歌は古文→現代語訳の順です)
◆橘の歌一首と短歌
口に出して言うのもまこと恐れ多い。
皇祖の神の御代に、田道間守が常世に渡り、八矛を持って帰参して来た時に、
いつという時を定めない香久の木の実を、恐れ多くもお残しになったので、
国も狭くなるほどいっぱいに生い茂り、
春になると枝先に小枝がつぎつぎ芽生え、
ホトトギスが鳴く五月には、咲いたばかりの花を
枝ごと手折って娘たちに贈り物としてやったり、
(白たへの)袖にもしごき入れて、香りがいいので枯れるまで入れておいたり、
落ちた実は玉に貫いて手に巻いて見ても飽きることがない。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
秋になると時雨が降って、(あしひきの)山の梢は紅に色づいて散るが、
橘の成っているその実は、輝くばかりでますます見ていたいほどで、
雪の降る冬になると、霜は置くけれどもその葉は枯れず、
変わることなく栄えるばかりである。
それだからこそ神代の昔から、まことにふさわしく、
この橘を時じくの香久の木の実と名づけたらしいことよ。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
(古文)
橘(たちばな)の歌一首 短歌を幷(あは)せたり
かけまくも あやに恐(かしこ)し 天皇(すめろき)の 神の大御代(おほみよ)に
田道間守(たぢまもり) 常世(とこよ)に渡り
八矛(やほこ)持ち 参(ま)ゐ出来(でこ)し時
時じくの 果久(かく)の菓子(このみ)を 恐(かしこ)くも 残したまへれ
国も狭(せ)に 生(お)ひ立ち栄(さか)え
春されば 孫枝(ひこえ)萌(も)いつつ
ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花(はつはな)を
枝(えだ)に手折(たを)りて
娘子(をとめ)らに つとにも遣(や)りみ
白(しろ)たへの 袖(そで)にも扱入(こき)れ
かぐはしみ 置(お)きて枯(か)らしみ あゆる実(み)は
玉に貫(ぬ)きつつ 手に巻(ま)きて 見れども飽(あ)かず
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
秋付(づ)けば しぐれの雨降(ふ)り あしひきの 山の木末(こぬれ)は
紅(くれなゐ)に にほひ散れども
橘(たちばな)の 成(な)れるその実(み)は
ひた照(て)りに いや見(み)が欲(ほ)しく
み雪降(ふ)る 冬に至れば
霜置(しもお)けども その葉も枯(か)れず
常磐(ときは)なす いやさかばえに 然(しか)れこそ
神の御代(みよ)より 宜(よろ)しなへ
この橘を 時(とき)じくの 香久(かく)の菓子(このみ)と 名付(なづ)けけらしも
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
(注を抜粋)
▽橘を誉め、その橘の名を負う橘家、中でも橘諸兄の繁栄を祝う歌。
作歌した天平感宝元年(749)閏五月二十三日は太陽暦で7月16日に当たり、
すでに花はなく、実が育っている頃であろう。
伝承にいう「時じくの香久の菓子」を強く意識しての作になっている。
第五句「田道間守」から第十二句「残したまへれ」までは、
古事記および日本書紀(垂仁)の伝承による。
垂仁天皇の御代、田道間守は勅命を受けて
非時香菓(ときじくのかくのみ)を探しに常世の国へ行き、
十年後にその「縵(かげ)八縵、矛八矛」(古事記)を持ち帰ったが、
その時すでに天皇は崩御していたので陵の前に泣き伏して死んだという。
「八矛」の「矛」は、橘の実を竿に付けたものかと言う。
「残したまへれ」の主語は垂仁より後の代々の天皇。
第十五~四十六句「春されば…いやさかばえに」は
四季ごとの橘のうるわしさを称揚する。
「孫枝」は枝先からさらに分かれた小枝。
「あゆ」は落ちる意。
完全に熟さないうちに落ちた実を、緒に通して手に巻くのであろう。
「然れこそ」以下の末尾は、春夏秋冬に橘の枝葉と花実が美しいことを承けて、
「時じくの香久の菓子」の名にふさわしい橘の不変を賞讃する。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
巻第十八 4112
反歌一首
橘は花にも実(み)にも見つれどもいや時じくになほし見が欲(ほ)し
閏(うるふ)五月二十三日に、大伴宿祢家持(おほともすくねやかもち)の作りしもの
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
橘は花でも実でも見たけれども、変わらずにもっと見ていたいものだ。
◇閏五月二十三日に、大伴宿祢家持が作った。
▽橘諸兄が橘姓を賜わった時の御製歌
「橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の木」(1009)にならうところがあるか。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
寒いのにカミキリムシがいました(カタシロゴマフカミキリ?)
見慣れない虫が…ミミズクの幼虫かな?
(虫にもミミズクがいます(^_-)…)
今朝の父の一枚です(^-^)
モズ♂に出会っていましたp(^-^)q