昨日も天気が良かったのだけど、着がえた後
急に体調が悪くなったので自宅で休養していました。
今まで毎日、日記をつけようと散歩等をしていないときも
何らかの記事を書いていましたがもっと気楽に書こうと思います。
クリスマスと言えばやはりこの曲ですよね♪
〝「きよしこの夜」初演奏から200年 各地で記念イベント〟
サンタさんは忙しいからプレゼントを持ってやってきたのは♪
〝「オバマサンタ」小児科病院をサプライズ訪問〟
クリスマスソングで好きなのは
ジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」(YouTube)
War is over,if you want it
War is over now
「天皇陛下お誕生日に際し(平成30年)」のお言葉も心に響きます。
クリスマスとは関連しませんが(^_-)
『徒然草』第八十九段の現代語訳を転記しますφ(..)
〔第八九段〕
「奥山に猫またというものがいて、人を食うんだって」とある人がところが、
「いやいや、山でなくてこの辺にも、猫が年をとって、
猫またというものになって人を取ることもあるんだそうだからな」
というものもいた。
(『徒然草』今泉忠義訳注 角川文庫 昭和32年改訂)
それを、何阿弥陀仏(あみだぶつ)とか連歌する坊さんで、
行願寺の近くに住んでいた人が聞いて、
ひとり歩きをしたりする自分みたいな者は、
気をつけなければいけないなと思った折も折、
あるところで夜の更けるまで連歌をやって、たった一人で帰ってくる途中、
小川の縁で、噂に聞いていた猫またが、
はたして、足もとにひょっと寄ってきて、
そのまま飛びつくが早いか、頸(くび)の辺りに食いつこうとする。
(『徒然草』今泉忠義訳注 角川文庫 昭和32年改訂)
肝をつぶして、防ごうにも防ぐ力もなく、足も立たないで小川に転びこんで、
「助けてくれえ、猫まただあ、よう、よう」と叫んだので、
どの家からも松明などともして、走り寄って見ると、この辺でおなじみの坊さんだ。
「これは、これは、どうしたということだ」といって、川の中から抱き起こしたが、
連歌の賞品を貰って、その扇や小箱など懐中に入れて持っていたものも、
水の中につかってしまった。
九死に一生を得た思いで、ほうほう自分の家に帰った。
(『徒然草』今泉忠義訳注 角川文庫 昭和32年改訂)
実は、自分の飼っている犬が、
暗いうちにも主人とわかって、飛びついたんだそうな。
(『徒然草』今泉忠義訳注 角川文庫 昭和32年改訂)
行願寺 当時は、京都の一条の北、油小路の東にあった。通称、革堂(こうどう)。
小川 行願寺の近くを流れている川の名前。
評
人間が心理的に追いつめられて、思い込んで誤った判断を下すことを、
巧みな語り口で書き、最後の一文で真相が判明する。
一種のすぐれた心理劇である。
騒ぎを聞きつけて人々が家から出てくることや、
さんざんな目に遭うことが、前々段の具覚坊と似ている。
ちなみに、『続江戸砂子』には、
江戸の小石川の「貍橋(ねこまたばし)」という橋の由来として、
ある道心者が夕暮れ時に、白い獣に追いかけられて小石川に落ち、
人々に猫又に出くわしたと語ったことが書かれている。
小石川と小川の類似性もあるところから、徒然草の話が、換骨奪胎されたのだろう。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
防衛費がどんどん膨らんでゆくのを見ていると
この何阿弥陀仏というお坊さんを笑えません。
今朝も50mmのマクロレンズ(MF)だけで撮影することにしました。
こういう時に限ってカワセミやエナガに出会う…
考えてみれば、病気になる前、山を歩いているときも
体力がないので重い望遠レンズは諦めて
50mmレンズで撮影していました(^^ゞ
今朝の父の一枚です。
カワセミに出会えて喜んでいましたp(^-^)q