2018年4月19日木曜日

墓参り

昨夜、義弟の弟Yさんから大阪に来ているとの電話があり
急遽、義弟の墓参りに行きました。
Yさんは、福井の叔父が亡くなったので葬儀に参列した後、大阪に来てくれました。
義弟が亡くなってもう10年になります。
Yさんは、北海道で酪農をしているので
墓参りができずにいたのを気にかけてくれていました。
Yさんも5年前に胆石で胆のうの摘出手術を受けたそうです。
その後、2年ほどおなかの調子が悪かったそうです。
私も手術後間もないので、午前中、おなかの調子が悪く苦労しています。
四天王寺を出る時に、Yさんが「ここは寺なのか?神社なのか?」と私に聞きました。
と言うのは石の鳥居があったからです(^_-)
日本人の宗教観からすれば、神仏習合について違和感がなかったのを
明治政府によって神仏分離が行われたことを話しました。
Yさんもそうだねと肯いていました。
Yさんは大阪空港12時5分発の札幌行きの飛行機を予約しているというので
急いで大阪空港に向かいました。
(父には見送りに同行することを諦めてもらいました)
空港に着いたのが11時20分頃だったので間に合うか心配しましたが
なんとかギリギリ搭乗することができました。
妹と二人で空港にあるレストランでランチを食べました。
食事の後、一緒にモノレールと京阪電車で戻り、妹は帰宅。
私は、電車にそのまま乗って本屋さんに向かいました。
お目当ての本は『真理のことば』と『ほんとうの法華経』です。
4月17日の記事で紹介した『シンガーラへの教え』について検索すると、
かなり高価な本なので諦めかけたら中村元さんの『真理のことば』にその解説があったのです。
その中から一部を抜き書きします。
この本は、中村元さんがラジオで行った連続講義の記録なので読みやすいです。

  妻への奉仕と夫の心がまえ

第三は夫と妻のあいだです。

  実に夫は、次の五つのしかたで、西方に相当する妻に奉仕すべきである。
  すなわち、〔一〕尊敬すること、〔二〕軽蔑しないこと、〔三〕道をはずさないこと、〔四〕権威を与えること、〔五〕装飾品を提供することによってである。
  西方に相当する妻はこれらの五つのしかたで夫に奉仕されるのである。



 妻に「奉仕すべきである」とありますが、原文はまさにそうなっております。
つまり、亭主関白で勝手なことをやっちゃいけない、心せよという意味なんでしょう。
 まず第一に「尊敬する」、妻を尊敬しなければならない。
第二に「軽蔑しない」、世間ではどうかすると、人を見下した荒々しいことばを使う人がいますね。
しかし、そういう荒々しことばを妻に向けてはならない。
第三に「道を踏みはずさない」、これを西洋の学者は「姦淫(かんいん)せざること」と訳しておりますが、さきほどふれた仏教学者ブッダゴーサの注釈によりますと、もっと精神的な意味で、「妻以外の婦人といっしょに外へ出て歩き回るようなことをしない」というのです。
 第四に「権威を与える」、これについてブッダゴーサは、こういうことを言っております。
「女人というものは、たとえ蔓草(つるくさ)のようなゆったりとした大きなサリー(インド人の着る独特の衣装)を与えられても、食物を分配する自由を与えられないと怒る。
だから、杓文字(しゃもじ)を持たせて、おまえの好きなようにせよと言って自由にさせて、権威を与えることだ」というのです。
 第五に「装飾品を提供する」、これは世間の男性方にとってはちょっと脅威的な発言であります。
しかし、実際には、ブッダゴーサの注釈にしたがって、内容を理解し、実生活の指針とするといのが行われていますので、それによりますと、装飾品の提供は夫の能力に応じて、ということになっております。
それならば、男性の方々もちょっと安心なされましょう。
なお、装飾品を妻に買って与えるということは、よく世間でいわれる貯蓄増強という精神に反するのじゃないか、そういうことを懸念される方がおられるかもしれません。
しかし、そうではないのです。
南アジアの国々の人々は、いまでも、あまり銀行にお金を預けたりしない。
お金ができるとすぐ、貴金属、金などを買ってしまったりします。
それは腕輪にしたり指輪にしたり耳飾りにしたりして、自分の身につける。
そして、お金がいるというときになりますと、それを一つ一つ売るのです。
ことに戦乱もあり、政治情勢が安定していないというときなど、自分の身に宝をつけて逃げて行けば、暮らすことができますね。
昔ならとくにそうですから、そういう生活の知恵がここに反映しているので、つまり、妻に装飾品を買って与えるというのは、貯蓄増強というのと趣意は同じことになるのです。
 これに対して、「妻は次の五つのしかたで夫を愛する」、つまり、ただ表面的に夫に従っているのじゃいけない、心のなかから夫を愛するということが必要であるということを言います。

  すなわち妻は、〔一〕仕事をよく処理し、〔二〕眷属(けんぞく)をよく待遇し、〔三〕道を踏みはずすことなく、〔四〕集めた財を保護し、〔五〕為すべきすべての事がらについて巧妙にして且(か)つ勤勉である。

(…略…)

  西方に相当する妻は、これらの五つのしかたによって夫から奉仕され、またこれらの五つのしかたで夫を愛するのである。
  このようにして、かれの西方は護られ、安全で、心配がない。

(『真理のことば』)

本来の、仏教が伝わっていないことで、大相撲や財務省高官のセクハラ問題が起きている一因になっているように思うのですが

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    いいお天気でよかったですね。
    飛行機から美しい風景が眺められたことでしょう!!

    >妻への奉仕と夫の心がまえ
    より丁寧に教えていただきました。(^-^;
    〔五〕装飾品を提供することによってである。の箇所もよくわかりました。
    なるほどです。
    ちょっと考えてみます。

    妻の部分も、できうる限りに心掛けたいと思います。


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    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/
      昨日今日と青空が広がっていますよね!
      北海道から来てくれたYさんは、暑さにビックリしていました(°°)
      この夏はどれだけ暑くなるのかと不安になります(ーー;)

      『シンガーラの教え』など原始仏教の経典を読むと日本仏教とかなりの違いがあるなと思います。
      経典は、民衆に解る言葉で書かれているのに
      日本人はお経を聞いていも意味が分りません。
      漢訳されたままで、民衆の言葉になっていません。
      聖書は、宣教師が日本人に分るように日本語訳するのに長年努力を積み重ね
      何度も改訂されています。
      意味の分らない漢訳のままお経を聞いているのは不幸なことだと思います。
      仏典を読むシリーズは中村元さんの講義をテープ起こしした本なので
      分かりやすいと思います(^_^)v

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