2018年4月10日火曜日

母の命日

午前中は、耳鼻科を受診しました。
以前、記事にしたことがあるのですが、
2011年、退院した翌日(9月14日)に耳鼻科を受診した時、
帰ろうと病院の戸を開けると心配そうに母が外で待っていました。
母の心配そうな顔が目に浮かびます。
どんな思いで病院の出入り口を見ていたのかなぁ。
あの時、母に文句を言ったことを申し訳ない思いで一杯です。

午後からY歯科マウスピースの点検と歯周病予防を受けました。
T先生の診察が終わり、歯周病予防の処置をしていただいていると
隣からT先生の声が聞こえてきました。
歯の痛みを訴えておられる患者さんにテレビは真っ直ぐ見ていますかとか
ズーッと同じ姿勢で作業などをされていませんかと聞かれていました。
姿勢が悪いことも歯の痛みの原因になるそうです。
パネルで遮られて隣の様子が見えなかったのですが、
首筋などを押え、患者さんの腕を動かしながら痛みの具合を聞かれているようで
患者さんがなるほどと納得されていました。
今日は母の命日。
父と妹と三人で思い出話をしながら夕食をいただきました。
三人の共通する思いは、今も母に助けてもらっていることを実感することが何度もあるということ。
例えば、今回の手術も不安や恐怖感があまりなかったです。
ネットで検索すると腹腔内に炭酸ガスを入れておなかを膨らませて行う手術なので、
心臓や肺の機能の落ちているとリスクが高くなる場合があると書かれていました。
私の場合は、心臓機能が三分の一しかないと言われてるのでリスクが非常に高いです。
実を言うと場合によってはと思い、葬式代も用意していました。
父に言うと心配が増すので、妹にだけ伝えていました。
手術室に向かう時でも何も考えなかったし
手術台に横になっても恐怖感が湧きませんでした。
強い人間かというと怖がりでビビリです。
以前、カテーテル検査を受けて、途中で血管が詰まっていることがわかり
検査から手術に変更しますと告げられた時に
冷や汗が出て、安定剤を追加してもらったことさえあります。
そんな私が、あまり不安感を感じずに手術を受けられたのは
母が見守ってくれているという安心感があったからだと思います。
(2012年4月14日)
一面に桜の花の絨毯ができていました。
前日からの雨が止むのを待って散歩に出かけました。
風が吹くたびに花びらが散るのをジーッと見つめていました。

日本書紀に書かれている相撲を転記します。

(雄略天皇 十三年)
 秋九月、工匠(こだくみ)の猪名部真根(いなべのまね)が、石を台にして斧で材(き)を削っていた。
終日削っても、誤って刀をつぶすことがなかった。
天皇がそこへおいでになり、怪しんで問われ、「いつも誤って石にあてることがないのか」といわれた。
真根(まね)は「決して誤ることはありません」といった。
そこで天皇は采女(うねめ)を召し集めて、着物を脱いで、ふんどしをつけさせ、皆の前で相撲をとらせた。
真根は少し手を休め、それから仰ぎ見ながら削った。
覚えず気を奪われ、斧を台石にあてて刃を傷つけた。
すると天皇は責めて、「どこの奴だ。朕(われ)を恐れず、不貞の心の奴が、妄(みだ)りに軽々しいことをいって」といわれた。
刑吏に渡し、野で処刑しようとされた。
工匠の同僚が真根を惜しみ嘆いて、歌を詠んだ。

  アタラシキ、ヰナベノタクミ、カケシスミナハ、シガナケバ、タレカカケムヨ、アタラスミナハ
  (ああ、惜しむべき猪名部の工匠(たくみ)よ。
   彼の掛けた墨縄の技術、立派なものだった。
   彼がいなかったら、誰が彼の妙技を継ごうか、継ぐ者はないだろう。)

 天皇はこの歌を聞かれて、後悔され嘆いて、「うっかり人を失うところだった」と。
赦免(しゃめん)の使いを、甲斐(かい)の黒駒(くろこま)の乗せ、刑場に走らせ、刑をゆるされた。
そして結え綱を解き歌を詠まれた。

  ヌバタマノ、カヒノクロコマ、クラキセバ、イノチシナマシ、カヒノクロコマ。
  (甲斐の黒駒に、もし鞍を置いたりしていたら、手遅れになって、
   工匠は死んでいただろうなあ。甲斐の黒駒よ。)
(『日本書紀(上)』)
*原文通りではありません。

相撲協会の言っている伝統と日本書紀に記載されている記述とどちらが歴史のあることなんでしょうかね!
雄略天皇は自分が間違っていたことを改めていますね!
後日、垂仁天皇の「角力の元祖」を転記します。
尚、“相撲における「女人禁制の伝統」について”(北海道教育大学紀要)が参考になると思います。

4 件のコメント:

  1. Kazeさん

    こんばんは
    退院おめでとうございます

    桜は散ってしまいましたが
    お母様はいつもそばにいらっしゃいますね

    もう普通にお食事なされるのですか
    体重が戻るのも時間の問題ですね

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    1. becoさんおはようございます(*^O^*)/
      なんとか退院することができました(^-^)
      開腹手術だったら心臓がもたなかったかもしれないです。
      医学の進歩と主治医の先生や看護師さん、スタッフのみなさんのおかげだと思っています。
      そして母が支えてくれました。

      桜は散ってしまったのですが、去年は母の告別式の時に満開の桜を見せることができました。
      今年は、母の一周忌に桜が満開でした。
      母は、天国で桜を楽しんでくれたと思っています。

      胆のうを摘出しましたので脂肪分の多いのはあまり食べないようにしています。
      昨夜は天ぷらを食べたのですが、体調にあまり違いはありません。
      入院で減量したのですが、本当は平均体重でこれ以上増えない方が心臓にはいいのですが、
      次第に体重が増えているみたいです(^0^;)

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  2. こんにちは~=^_^=
    本当 お母様が見守っていてくれているんだと思います
    私も父を亡くしたとき色々と不思議な体験をしました。
    あぁお父さんが見守っていてくれて助けてくれているなって
    kazeさんのお母様もいつも傍にいらっしゃると思いますよ=^_^=

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    1. 蘭☆☆さんおはようございます(*^O^*)/
      私だけでなく父も妹も母に助けてもらっていると感じることがいっぱいです(^_^)v
      母のおかげで今回の手術も乗り越えることができました。
      実は、病室も母が7階で私が6階でしたが、同じ号室でした。
      母が上の階で頑張っていたよなと思いながら
      入院の日々を送っていました。

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m