男山ケーブルに乗って
男山ケーブル
所要時間約3分で男山山麓-山上をつなぐ男山ケーブルは、
大正15(1926)年、男山索道が八幡口 ― 男山間を開業、
昭和3(1928)年には男山鉄道に社名変更するが
昭和19(1944)年に戦時中の鉄資材供給のため廃止されました。
昭和30(1955)年、京阪電気鉄道鋼索線として
八幡口(現・八幡市)― 八幡宮(現・男山山上)間を再開業し、
毎年多くの参詣者を運んでいます。
鉄道の中程には、ケーブルカーの鉄橋としては日本一の橋脚(約50m)があり、
車窓から途方を望めば、眼下に木津川・宇治川を擁した南山城平野が一望できます。
(「境内のご案内」)
私の知る限りでは仏教に関連するのは山上にあるお地蔵様だけですが…
祠の周りは、散華をしたみたいでした(*^-^*)
参道が少し雨でぬれていました。
あぢきなや椿落(おち)うづむにはたず(づ)み
にはたずみ―行潦。急雨のため庭にたまり流れる水。
(『蕪村俳句集』尾形 仂 校注 岩波文庫 1989年)
若楓枝を平らに打重ね 富安風生
(『現代日本文學体系95 現代句集』筑摩書房 昭和48年)
石清水八幡宮参道 山上駐車場への分岐
(正面)右 つのくにそうじ寺みち
大坂下りふ祢のりば道
(右面)右 はし本みち
(左面)左 かわちミち
(裏面)元禄十丁丑年(1667)
施主 八幡嶋村吉太郎 五月吉祥日
◇参道から休憩所(石翠亭)の分岐部。
◇正面に攝津の総持寺道と大坂下り船のりば碑文。
(『「石清水八まん宮道」に誘う道標群』)
石清水八幡宮参道 手水舎の手前
(正面)自是至下馬七町
(右面)寛文六年(1666)宿坊
奉寄進 鈴木重貫
十二月吉日 瀧本坊
◇この道標は石清水八幡宮境内の距離を示した「町(丁)石」で八幡市内で最古の町石碑。
◇本殿参道の手水舎手前のあまり目立たない場所に設置されている。
(『「石清水八まん宮道」に誘う道標群』)
今日は、私が退院できたことのお礼と、
田舎の伯母の回復を祈りにきました。
父が祈っていると可愛い男の子が上がってきました。
実はこの子は、この前に南総門を下りて来たところで出会っているのです。
お祈りするのが楽しいみたいで引き返してきました(^。^)
「楠木正成公必勝祈願参拝の際奉納の大楠」も若葉でした(^-^)
桜はすっかり葉桜になっていました。
石清水八幡宮には春と秋の2回紅葉する楓があるそうです。
駅で父と別れて天満橋の本屋さんに向かいました。
天満橋で昼食をと思ったのですが、
造幣局で桜の通り抜けが昨日から始まっいて(~17日まで)
食堂街は一杯だったので
途中下車しなくてもすむ京橋駅構内にあるビガールで
ポテトフライカレー(無料で増量できますが(^^ )…)。
入院中ラジオで聞いた「物語としての旧約聖書」(毎月1回第2日曜日)の中で、
講師の月本昭男さんが話していたのが
(「第一回 天地創造 四 人類という視点」より)
「国生み」神話においてイザナキとイザナミが生み出す世界は日本の国土に限定されています。
アジアの国々を視野に入れることはなかったのです。
なぜか、人類の誕生も物語られません。
それとは対照的に、創世記の天地創造物語はこれを残した古代イスラエルの民と国土にふれることはありません。
むしろ、人類の創造を含む、天地のはじまりを物語るのです。
それに続く神話的な色彩の濃い説話群もイスラエルに言及することはありません。
(『物語としての旧約聖書(上) 』)
こんにちは~=^_^=
返信削除ケーブルカーに乗ってお参りですか いいですね
kazeさんは色んな所に行けて羨ましいです
でも無理しないようにして下さいね=^_^=
蘭☆☆さんこんにちは(*^O^*)/
削除手術をしていなかったら下りは歩くのですが
まだ無理をせずにケーブルで往復しました。
主治医の先生からは、いつものように動いてもいいですと行ってもらっていますが
徐々に体を慣らして行きますp(^-^)q
蘭☆☆さんは腰の痛みがひどいのでしばらくは安静ですね…?
旦那さんの花粉症がひどくならなければいいですね。