2018年4月7日土曜日

4月7日入院日記

ドレーンが抜けたので6時25分に、談話室でテレビ体操をしました。
夜中に考えていたのは、舞鶴で市長が倒れたときに女性が土俵に上がったこと
そのとき周りの男性はただ見ているだけ(そのままだと救命が遅れ、命に関わるし、助かっても障碍が重度化する)。
その時に女性が駆け上がり何もしていない(できない)男性をかき分け心マッサージを行った。
この時、女性たちに土俵から降りるようにとアナウンスがあったり、
土俵でも男性から同じような声をかけられたようだ。
土俵で救命に当たった女性の初期対応、医師が絶賛「相当トレーニングを積んだ方と思われます」
土俵に女性が上がると穢れるということだけど
「女性」「女」という人称名詞で言うから平気で言えるのだと思う。
「母」や「母さん」に置き換えたら言えるのかな?
「母さんは穢れている」と言えるのだろうか
自分には決して言えないし「穢れ」という言葉自体差別意識が現れていると思う。

その後、大量に塩がまかれたそうだけど、清めるだけでなくケガなどをしたときにもまかれるとネットでの書き込みがあった。
まず浮かんだのは因幡の白兎

古事記の時代に塩で清めるという発想があったのかな?
現代の人間からすれば塩に対してそんなに貴重なものだという感覚がないだろうけど、
塩の道や「敵に塩を送る」という言葉があるように
塩が貴重だった時代はそう昔ではなかったはずだ。
その塩をまいて清めるということがいつから始まったのかな?
古事記の時代、清めるといえば伊耶那岐(いざなき)が黄泉の国から戻ってから
川に入って禊をすることが書かれている。
水は身を清めるのに多くの国で使われていると思う。
インドではガンジス川で沐浴をするし、
基督教では洗礼に水をかけたり水に体を浸したりする。
などなど考えていた。
結局、伝統と言う言葉を使い、女性蔑視などを改めることができない相撲協会から暴力事件や不祥事はなくならないだろうなと思った。

退院後、父に聞くと即座に相撲は女相撲から始まったと答えました。
後日、日本書紀からその箇所を転記したいと思います。
伝統と言う以上は、歴史を知っていてほしいですよね。
朝食は、膵臓食で
五穀パン(ママレード)、プチオムレツ、カル鉄飲料(ピーチ)、果物(マンゴー)
完食しました(^_^)b
今朝から手術前2週間からストップしていた
コンプラビン(血液凝固を防ぐ薬)が追加される。
ベッドを窓側に移動(今までは廊下側)。
昼食は膵臓食で
鮭寿司(米飯210g)、煮物(野菜)、白菜の浸し、清汁(豆腐)
鮭寿司は食べても食べても減らない感じだったけど完食。
残したのは生姜を少し。
と言うのも以前は、野沢菜などの漬け物は出てこなかった。

窓からツバメが飛んでいるのが見えた(^。^)

1時から入浴。ちょっとコワゴワだったけどスッキリしました(^_^)v
ドレーンの跡、ガーゼ交換。

2時過ぎに父と妹が見舞いに来てくれました。

2階廊下を歩いた後、エレベーターで4階へ
4階から6階まで階段で上がる。

4時過ぎ6階から9階に階段で上がったけど息切れ気味(^0^;)
その後、階段で6階に降りてエレベターで下りて
2階の廊下を歩き内科の前の血圧計で測りました。
(最高血圧117 最低血圧86 脈拍数84)
夕食は、膵臓食で米飯210g
豆腐グラタン、ピーマンのマリネ、サラダ(ブロッコリー)、
スープ(キャベツ・にんじん)
完食しました。

7時45分 妹から一時危篤になっていた伯母が泊まりはできなくても
家に帰ることができるまで回復したとのメールが入った!(^^)!
情熱大陸で門脇麦さんがわたしのバイブルと言っていた。
そういえば村田諒太さんも父から送られて心の支えにしていると言っていた。
お二人とも霜山徳爾訳を読んでおられました。
こちらも素晴らしいですが、旧版(1947年版)と新版(1977年版)では、かなりの異同があるようです。
できたら二つを読み比べるといいと思います。

夜と霧【新版】』訳者あとがきより

 受難の民は度を越して攻撃的になることがあるという。
それを地でいくのが、21世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。
フランクルの世代が断ち切ろうとして果たせなかった悪の連鎖の終わりをもたらす叡智(えいち)が、今、私たちに求められている。
そこに、この地球の生命の存続は懸(か)かっている。

 このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。
これは、夜陰(やいん)に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。
しかし、フランクルの思いとはうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。
相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。
夜と霧が私たちの身辺にたちこめることを拒否できるのだということを、忘れないでいたい。
その一助となることを心から願い、先人への尊敬をこめて、本書を世に送る。
  2002年9月30日  池田香代子