家を出る時は、風が冷たいと思いましたが
歩いていると日射しが初夏を思わせるほどの暖かさでした。
牡丹を活けておくれし夕餉(ゆふげ)かな 杉田久女
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』筑摩書房 昭和32年)
カルガモが田んぼの雑草を食べてくれているのかな(^。^)
胸までの紫雲英仔犬は迷ひゆく 草田男
(『基本季語五00選』)
五七の日追善会
卯花(うのはな)も母なき宿ぞ冷(すさま)じき (続虚栗)
この年(貞享4年)四月八日に死んだ其角の母、妙務尼の追善句である。
五七の忌日は五月十二日。
『続虚栗』には三つ物として出し、脇は其角の「香消え残る短夜の夢」。
母の忌に籠る家では、卯の花の白さも、すさまじいまでの寂寥の気をただよわせている、と言ったのである。
「冷(すさま)じ」は秋の季語とされているが、
元の意味は枕草子に昼吠ゆる犬や火おこさぬ炭櫃(すみびつ)などの例を挙げているように、
不調和でおもしろくないこと、興ざめなことである。
転化してものすごい、心細い意となり、凄・凛・荒涼などの字を当てる。
この意味で、ふだんは優しい卯の花の白さに、母のない家の感じから
凄冷の気味を引き出したのだ。
感覚の鋭敏さを見せている。
(『芭蕉全発句』)
◆竹林を愛す――余が家に竹林有り
余が家に竹林有り
泠泠(れいれい)数千干(かん)
笋(たけのこ)は逬(わき)でて全(すべ)て路を遮(さえぎ)り
梢は高くして斜めに天を払ふ
霜を経て陪(ますます)精神あり
烟(もや)を隔てて転(うたた)幽間(ゆうかん)なり
宜(よろ)しく松柏(しょうはく)の列に在るべし
那(なん)ぞ桃李(とうり)の姸(けん)に比せんや
竿(みき)は直(なお)くして節(ふし)は弥(いよいよ)高く
心(しん)は虚(むな)しくして根は愈(いよいよ)堅し
多(た)とす爾(なんじ)が貞清(ていせい)の質(しつ)
千秋(せんしゅう)希(ねが)はくは遷(うつ)ること莫(な)きを
わが家には竹の林がある。
数千本の幹がいかにも清らかで涼しげだ。
春には竹の子がニョキニョキとわき出て道がさえぎられて通れなくなるほどだし、
その梢は高く天を払うかのようだ。
この竹林は秋の霜に打たれると生気が増し、春にもやがかかると一層静かで奥ゆかしい。
竹は松や檜(ひのき)のように四季に変わらぬ節操ある植物の仲間に入れるべきで、
桃や李(すもも)のなまめかしさとは比較にならない。
その幹はまっすぐで節操はますます高い。
心は虚(むな)しく雑念がなく、根はますます堅い。
私はあなたの清潔で操(みさお)の正しい性質を愛する。
どうか永遠にその性質を変えないでほしい。
(『良寛 旅と人生』)
蕪村の句について前に竹西寛子さんの解説を紹介しましたが…
三井寺(みゐでら)や日は午にせまる若楓 蕪村
【鑑賞】
三井寺という大寺を舞台とした自然のひき緊(しま)った時の流れがみごとに実を結んだ一句。
若楓の嫩葉(わかば)をひろげきった爽やかな光いっぱいの一瞬を「日は午に迫る」と把握したところが眼目である。
日は正午の刻に迫ろうとしているというのは静止している時間をいうのではない。
今や午の刻になろうとしていながら、まだ午前の充実した感じが力いっぱいいきづいているのである。
それでいながら句を読みかえしてゆくと若楓を中心とした三井寺の時の流れは実に静かである。
この動きつつあるものをとらえて静謐(せいひつ)極まる一瞬と感じさせるところが、
この句に類がないまでの自然の充実感を生みだした眼目であろう。
▼どうしても見落とすことのできないのは「若楓」というものの、この句の中ではたらいている力である。
青楓といってしまってはもう楓のみずみずしい青への進行は固定してしまいそうであるが、
それを若楓というういういしいくそよぎあい、日の光を透しあう在り方でとらえたところが、
「日は午に迫る」という進みゆき動きゆく刻の感触と通いあっているのである。
▼この句は蕪村の句の中でも、自然をとらえた上で
「牡丹散つてうち重なりぬ二三片」とともに双璧(そうへき)をなすといってよいくらい充実感の高いものであろう。
これは三井寺という大寺の若楓を手がかりとして、蕪村の芸の気魄(きはく)を充分に生かした句と考えてよいと思う。
〔加藤楸邨〕
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
長(をさ)の子に妻めとらせむとおもひたる今日庭に咲く石楠花(しやくなげ)ゆたか
(『宮柊二歌集』)
そろそろ咲くかなと下を見て歩いていると咲いていました♪
シロバナタンポポは西日本に多いようですが、この公園で初めて出会いました。
もう花見の季節はとっくに終わったので静かな公園です(^-^)
宮中の宴が花見の始まり
花見の起源については諸説がありますが、奈良時代には梅が賞美されていたのが
平安時代には桜に変わり、宮中で催した宴(うたげ)が花見の始まりといわれています。
『源氏物語』の「花宴」の巻の中にも紫宸殿(ししんでん)の桜を愛(め)でる様子が描かれています。
平安時代に始まった花見は、いろいろなかたちをとりながら、
次第に庶民の間で行われるようになっていったようです。
さて花見にまつわる言葉は、花の客(きゃく)、花人(はなびと)、花の酒、
花見舟(はなみぶね)、花見扇(はなみおうぎ)とたちどころに思い浮かびます。
花見の宴に使う敷物は花筵(はなむしろ)。
毛氈(もうせん)は花毛氈(はなもうせん)。
夜桜に焚く篝火(かがりび)は花篝(はなかがり)。
道々の雪洞(ぼんぼり)は花雪洞(はなぼんぼり)といいます。
花見の衣装は花衣(はなごろも)といい、昔は桜襲(さくらがさね)をいいました。
花見は気持が高揚しますが、そのぶん疲れもするものです。
そんな有様を俳句では花疲(はなづかれ)と言い表します。
花衣ぬぐや纏(まつわ)る紐(ひも)いろいろ 杉田久女
(『もっと知りたい 美しい季節のことば』)
(いろ「いろ」はくの字点)
故郷の中国ではシャガは花の後に実をつけますが、
日本のシャガは染色体が3倍体なので実をつけることはできず、
地中の地下茎を伸ばして増えてゆきます。
それだけの方法でこれだけ増えているのですから驚きです。
他にも3倍体の植物はよく見られ、夏に咲くヤブカンゾウやオニユリ、
またヒガンバナなども3倍体で、花は咲いても種子をつけることができません。
これらはみな、根やムカゴで増えるのです。
(『花のおもしろフィールド図鑑(春)』)
ポツンと咲いていたけどセイヨウアブラナかな?
今朝の父の一枚です。
昨日σ(^_^;も撮していたのですが、
母を思い出して撮していました。
花言葉は「互いに忘れないように」
こんにちは~=^_^=
返信削除朝は少し冷えてますが10時頃になると暑い位になりますね
色々なお花綺麗です。
花言葉『互いに忘れないように』いい言葉ですね=^_^=
蘭☆☆さんこんばんは(*^O^*)/
削除いつもコメントをいただきありがとうございますm(_ _)m
蘭☆☆さんのブログを訪問していながら読み逃げばかりで心苦しいです(o_ _)o
>花言葉『互いに忘れないように』いい言葉ですね=^_^=
花言葉を知るとまた違った楽しみ方があります(^-^)