曇り空だったけど蒸し暑かったです
夕方頃には雨が降るようです…
クサイチゴの実がなっていた
確か実がなるのは5月下旬くらいのはずなんだけど…
6月頃の気温になっているせいかな? 昨日は青空が広がり真夏日の地域もあったようです。
「関東・山梨 気温上昇 各地で真夏日に 体調管理に注意を」(首都圏NHK 4月28日)
水浴びの画像は、昨日、撮影しました。
気持ちよさそうでうらやましかったなぁ…朝ドラ「虎に翼」で寅子の飲みっぷりに、
こんなに美味しそうに飲む笑顔を初めて見たなぁと感心したのだけど
Yahoo!ニュースでこんなタイトルの記事がありました。
昭和10年女子は本当に「ビールを飲んでいた」のか…朝ドラ『虎に翼』の根幹につながる「違和感」
違和感を感じることは自由なんだけど、コラムニストの調査範囲は祖母と母親
コラムニストとして執筆活動をされているなら
当時の風俗などを調査したうえで「根幹につながる」記事を書くべきだと思うのですが。「ちなみに商売女は昔から、飲むのがふつうだった」
モガ(モダンガール)は、極端な例だとは思いますが「商売女」ではない。
アルコールと煙に酔う
◆◇◆お酒とタバコ◆◇◆
『婦人世界』の1929年(昭和4)7月号に載せられた「モダンガールの資格十ヵ条」には、第四条に「洋酒と名のつくものはひと通り飲んで、しかも名前を覚えなければならない」として、洋酒をたしなむことをモガの条件にあげている。
プロの女給やホステスではなく、一般女性もカクテル(洋酒)をたしなむようになっていたのである。
(『モダンガール大図鑑 大正・昭和のおしゃれ女子』生田誠 河出書房新社 2012年) 昭和初期のビール各社のポスター、絵葉書には、ビールを飲む女性たちが登場する。
彼女たちは、男を招く酒場の女性であったのだろうか。
かならずしも、プロの女性だけではなく、なかには、一般の女性もいたのだろう。
絵の女性たちは、お酒をたしなむ同性の目も意識していたはずである。
シガレット(タバコ)をくゆらせる優雅な女性像。
そんなモダンガールのイメージも、絵葉書のなかに見ることができる。
1933年(昭和8)に開かれた、タバコ展覧会の記念物セットのうちの一枚である。
当時は、今のようにタバコの害が説かれることは少なかった。
洋装の美女とタバコという組み合わせも、肯定的にとらえられていたのであろう。◆グラスを持つ女性 サッポロ・アサヒビール絵葉書 昭和初期
この時代の酒造メーカーは、女性をモチーフにしたポスター、絵葉書を競い合うように作っていた。
日本酒は和服の女性、ビール会社は洋装の女性を描くのは定番。
◆タバコを吸う女性(煙草展覧会)絵葉書 1933年(昭和8)
切り紙のような花を散らした壁の前で、紫煙をくゆらす女性。
ドレスと手前の手すり(塀)の色が統一されており、シンプルかつ洗練された印象を与える。
作者不詳ながら、優れたデザインとして有名な絵葉書。
(『モダンガール大図鑑 大正・昭和のおしゃれ女子』生田誠 河出書房新社 2012年)こちらのコラムの方がなるほどと思ったのでリンクを貼っておきます
〝「はて?」が持つ力とは…朝ドラ毎日レビュー10年目のライターが、『虎に翼』寅子を「待ちに待ったヒロイン」だと思ったワケ〟
先日紹介した山川菊栄の母についてその後が書かれているので転記しますφ(.. )
現在「品切れ」になっているので増刷してほしいなぁ あとがき
私の母は自分が育ったころの水戸の様子だの、若い時分、東京へ出たころの思い出ばなしなどをよく私に話してきかせました。
話すというよりも、その思い出を味わい、たのしむかのように縫物をしながら、なかばひとり言のようにつぶやいていたものです。
その時代の大抵の女と同じように、家庭へはるとともに世間と交渉を断たれ、台所と子供の世話と世帯のやりくりに追われて暮した母にとって、娘時代の思い出だけが、せめてもの心のオアシスだったのではないかと思います。
長い間にぼつぼつ語られ、よくくり返された母のそういう思い出ばなしはそれが母の体験か、私自身の経験か分らないほど、私の心の中にしみこんで親しみふかいものとなっています。
母の亡くなったあと、肌身はなさずといっていいほど大切にしていた、たぶん父のフランスみやげらしい、青いへりのとってある古い絹のハンカチに固く包んだひとたばの書類をひろげてみると、明治二十年前後までの旧友旧師の手紙でした。
この本の中にすこしばかり引用してあるのもその一部です。
(『おんな二代の記』山川菊栄 岩波文庫 2014年) 「女は文盲なるをよしとす。……和順なるをよしとす」(松平定信)
といわれて家庭の奴隷として奉仕することしか教えられなかった娘たちが、明治の幕あきと同時に、若い心にどんなに知識にうえて、まだ女には開かれない学問の戸をたたいて歩いたか、わずかに得た知識をどんなに強い感激と熱情とをもって吸収したかを、当然のこととして小学校から大学まで共学でいける今の若い方たちはどうごらんになるでしょうか。
母の時代よりはだいぶよくなっていたはずの私の時代でも、女の歩く道はいたるところ袋小路で、のびる力をのばされず、くらやみを手さぐりで歩くようなもどかしさ、絶望的ないらだたしさは、学生時代のたのしさ、若い時代のよろこびというものを私に感じさせませんでした。 明治はいい時代だった、すばらしかったとかいう人もありますが、この本をごらんくださる方には、人類の黄金時代は、過去にはなく、未来にしかありえないこと、それを現実のものとするための闘いの途上、私たちの同志先輩がどんな犠牲をはらい、どんな過ちをおかしたかをいくぶん知って頂けるでしょう。
この本は私たち母子二代の思い出話にすぎないのですが、進んでよりよい世の中を作るために社会運動の正しい歴史を学ぶ機縁にもなればしあわせと存じます。
1956年4月
山川菊栄
(『おんな二代の記』山川菊栄 岩波文庫 2014年)そして令和の時代になっても
朝日新聞「天声人語」に
…前略…
▼少子化が進むのは、子どもを産む年齢の女性人口が減るためだ。
だから自治体は、この層を減らさない対策を講ずるべきである――。
分析を要約すれば、そういうことになる。
同じ日本で、出産する女性を取り合うかのようだ。
▼子どもは女性だけでは生まれない。
少子化の最大の原因は、男女の晩婚化と非婚化にある。
しかも、生涯未婚で過ごす人の割合が増える「非婚化」の傾向は、とりわけ男性に目立っているという(佐藤龍三郎ら編著『ポスト人口転換期の日本』)。
だが、今回の分析には男性は含まれない。
…中略…
▼決定的に欠けているのは、女性の視点や声ではないか。
人口減を語る指標は他にもある。
家事や子育てを平等に分担できる働き方や男女の賃金格差の解消など、政策で変えるべきものは多い。
▼そもそも女性は、子どもを産むためだけに存在しているのではない。
「個人」の幸せのために、生きたいように生きたいのだ。
2024・4・29 今日は「昭和の日」
私がおもしろいと言うのは、毎年、滅多に仏滅にならぬ日があるということである。
=三浦綾子 占い雑感
それは天皇誕生日だった4月29日である。
この先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六曜は今日でも生活の中に食いこんでおり、結婚式だ葬式だと、人々は熱心に日柄を選ぶ。
だがもし六曜に意味があって、その順に日が並んでいるとすれば、誰の誕生日であろうと同じ率で仏滅がめぐってくるはずだ。
適当な操作が暦の上に行われているのである。
新しい天皇誕生日はどうなっていくか。
真の21世紀はまだ遠い。
1月26日
(『おんなの言葉365日』相星雅子 高城書房出版 1991年)この六曜が広く行われるようになったのは幕末以降
「吉凶を表す言葉①六曜」(日本の暦 国立国会図書館)
『徒然草』の第91段には(現代語訳)
〔第九一段〕
赤舌日(しゃくぜつにち)という凶日は、陰陽道(おんみょうどう)では何ともいわないことだ。
昔の人は、この日を忌まなかった。
近ごろ誰かがいい出して、忌み始めたのだろうか、「この日にあることは、あげくがうまくいかない」といったり、「その日にいったこと、したことは、うまくいかず、得たものは失ってしまう。企てたことも成就しない」などというのは、つまらないことだ。
吉日を選んでしたことでも、あげくのうなくいかなのを数えてみたら、――凶日にしたことでうまくいったのと――割合はきっと同じことにちがいない。
(『改訂 徒然草』今泉忠義訳注 角川文庫 昭和32年改訂) そのわけは、この世は恒久性がなく移り変わりのひどいところで、あると見るものも存在しないし、始めのあることも終わりがない。
目的は達せられないくせに、欲望は絶えない。
人の心も定まらないもので、万物みな幻のように移り変わる。
どんなこともしばらくの間でもじっとして、そのままでいることはありはしない。
人は、この道理を知らないのだ。
「吉日に悪行をすると必ず凶であり、凶日に善行をすると必ず吉である」ともいわれている。
要するに、吉凶はする人によることで、日によるのではない。
(『改訂 徒然草』今泉忠義訳注 角川文庫 昭和32年改訂)