2024年4月14日日曜日

間違いが多いなぁ…

暖かくなったので自転車で公園に向かいました。
シロバナタンポポが咲いていました。

いろいろなタンポポ」(小学3年)
昨日、桜湯を紹介した絵本を読んでいると
今まで、「胴吹き」を「ひこばえ」と一緒にしていた間違いに気がつきました(°°;)

胴吹(どうぶ)きやひこばえ

木が弱ると、本来芽のできない幹や根元から枝がのびることがある。
こうした胴吹きやひこばえは、木が若返ろうとしているサインだ。
木の上のほうの枝が元気なら胴吹きの芽をとって、枝先に栄養を送ってやるといい。
ぎゃくに上のほうの枝がだめになりそうなら、胴吹き芽を生かして枝としてのばし、上の枝を切って、木を若返らせるといい。
(『校庭の木・野山の木1 サクラの絵本』勝木俊雄 編 森谷明子 絵 農文協 2015年)

木の都合も考えてみよう」(山口県樹木医会)
今朝、他にも間違いがあるのに気がつきました
「MeToo」を「MeeToo」としてしまっていた(;´Д`)

寅子に「はて?」と言われるだろうなぁ……

朝ドラ「虎に翼」公式

なんだかマネしたくなる!?
寅子の口癖『はて?』を集めてみました!
ぜひみなさんもお使いください
朝日新聞「天声人語」

 …前略…

▼室町末期から江戸初期までには使われていた言葉らしく、能狂言の演目「真奪(しんばい)」のせりふにある。
刀を奪った男を主人が捕えた後で、ようやく従者が男を縛るための縄をこしらえ始めた。
「ハテ、今から繩をなふて間に合ふ物か」と主人。
あきれるという含意もあるようだ。
▼寅子のモデルは女性初の弁護士となった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんだ。
1938年に司法試験に合格し、戦後には女性も裁判官にするべきだと司法省に直談判した。
後に裁判官になり、女性で初めて家裁所長も務めた。
▼「初」から80年以上たったが、弁護士や裁判官で女性の比率は2割台にとどまる。
政治や経済でもジェンダー格差は縮まらず、平等には遠い。
「はて」は、まだまだ続く。
 2024・4・8
柚木麻子……成功譚の裏でとりこぼされた女性たちに迫る2冊【私の愛読書】〟(ダビンチ 2024/4/13)

柚木麻子さんのお話の中に

世の中には語られていない女性の偉人がたくさんいるのだと、『らんたん』を書いたときに思ったんですよね。
たとえば婦人参政権を実現させた市川房枝はもっととりあげられて、ドラマになってもいいと思うんですけど……


牧野富太郎が朝ドラの主人公になるのに市川房枝が取上げられないのは「はて?」と思います。
林芙美子(はやしふみこ)をモデルにした「連続テレビ小説 うず潮」が1964(昭和39)年に放送されたのですから。
(林芙美子)「泣くだけ泣かなきゃ いい人間になれませんよ
猪爪寅子と福来スズ子のモデル三淵嘉子と笠置シヅ子は、同じ1914年(大正3年)生まれなので時代背景が重なります。
朝ドラ「ブギウギ」の余韻がさめないうちに朝ドラ「虎に翼」が始まりましたが
続編をみているような気になっているの私だけかな?

春風亭一之輔、ありがとう、「ブギウギ」 「六郎」が配属されている部隊に慰問に行った夢を見た〟(AERAdot. 2024.04.07)

大空の弟』(歌・趣里)
春風亭一之輔さんのエッセーを読んでいると「ブギウギ」が始まる前に書かれているのに(2022年8月5日号)
スズ子の弟・六郎の手紙のような……

第四章 風物詩のまくら
 アイスクリーム


 コロナになりました。
喉の痛みを感じ、抗原検査で陽性。
PCRで再び陽性。
即、自宅療養です。
しばらくすると、咳も出てきました。
ちょっとしんどい。
(『まくらの森の満開の下』春風亭一之輔 朝日新聞出版 2023年)
 もっとキツいのはその最中、仕事先への報告、お詫び、中止or延期の相談……やることが山ほどあります。
独演会のキャンセルは心身とも堪えます。
年に一度しか行けない地方公演の中止は本当に申し訳なく感じております。
沖縄、市木、長野……全国ツアーでまた必ずうかがいますのでお待ちください。
 私が隔離された翌日、発熱外来に行った家内も陽性で「ルームメイト」になりました。
幸い子ども達は陰性だったので家事は任せることにし、半地下の寝室で夫婦二人の生活が始まりました。
 食事も最初は家内が細々とスマホで指示を出していましたが、何日か経つと子どもらに任せるように。
時折「白飯」「出汁の利いてない味噌汁」「ハム2枚」とか「コッペパン」「レトルトのコンソメスープ」「コンビーフだけを炒めたモノ」など……明らかに刑務所飯みたいな時もありますが、一生懸命やってくれているので感謝です。
まぁ、まるで動いていないので腹も減らないしちょうどいいか。
 宅配便も置き配です。
ちょうど御中元の時期、なにかしら頂けるのがありがたい。
そうめん、ゼリー、鰻の蒲焼き真空パック、果物……療養中には助かる食材ばかり。
(ゴディバのアイスクリームが届きました)と長男からLINE。
来ましたよ、我が家に救世主が!
翌日(昨日のゴディバを隔離部屋に二つおねがいします)とLINEした後、ドアをノックする音。
「持ってきてやったぜ」の合図です。
戸を開けると、ゴディバと明○のスー○ーカップが1個ずつ。
???(ゴディバ、どうした?)(セツヤク!)だそうです。
○ーパーカップ……普段なら大人な私はもうスルーするアイツ。
○より量のヤンチャな奴。
自然な流れでゴディバは家内に、スーパー○ップが私に。
 ……うめぇ。荒れた喉にストレートなバニラ。
食べても食べても無くならない(と思われる)圧倒的な量。
スーパーカッ○の後にゴディバを食べたら、あれ、ちょっとトゥーマッチ?
気まぐれに二つを混ぜてみました。
もっとうめぇ……気がする。
 翌々日(やっぱりゴディバをください)とLINE。
カルピ○バーが届きました。?? まぁいいか。!?
いつもよりするどいカ○ピス。カル○スバー、うめぇ。
 翌々々日(ゴディバはありませんか?)(なくなりました)と返事の後、ホー○ランバーが届きました。
食べたら……いつも通りでした。なんなんでしょう。
ゴディバによってみんなの実力が底上げされていたのでしょうか。
「あんな外国人助っ人に負けてたまるかい!」という叩き上げの奮起だったのか。
「助っ人が帰国」したら「凡庸な成績」に……。
 今は仕方なく氷を舐めています。
氷は波が無くて一番信頼出来ますね。
喉の痛みはようやくひいてきました。
あと療養期間は4日。
昨日、家内が言いました。
「あなたとはまるで話しが合わない」と。
結婚18年目にして。
 (2022年8月5日号)
(『まくらの森の満開の下』春風亭一之輔 朝日新聞出版 2023年)

六郎の手紙の「○○」は、どこにいるのか分りませんでしたが(^_-)
明治四十二年
 アイスクリーム
 <漱石全集>

 漱石の「それから」が、この年の五月から八月へかけて、東西の朝日新聞に連載せられたのであるが、その中に、誠太郎という子供とアイスクリームとのことが見えてくる。
「彼は妙な希望を持つた子供である。毎年夏の初めに、多くの焼芋屋が俄然として氷水屋に変化するとき、第一番に駈けつけて、汗も出ないのに、氷菓子(アイスクリーム)を食ふものは誠太郎である。氷菓子がないときには、氷水で我慢する。さうして得意になつて帰つて来る。……」
 この頃のアイスクリームは、まだまだ特別な、半ば貴重視されているほどの食物だったのである。
(『明治東京逸聞史 2』森銑三 東洋文庫142 1969年)
心筋梗塞を発症してから飲みに行けなくなったけど…
久し振りに店の前を通ると「閉店のお知らせ
時々、マスターやママさんに出会うと立ち話をしていました。
前からマスターは、体にガタがきていると話していました。
ママさんと旅行できる体力がある間に店を閉めた方がいいよと話していました。
昨日、マスターが店の片付けをしていたので「お疲れさまでした」と声をかけました。

個人経営の店は、厳しい時代。
先日、利用している眼鏡店から閉店を知らせるハガキ。
大型店が近辺にできたので経営が難しいのだろうなぁ
いつもお世話になっていたので近日中に挨拶にゆこうと思っています。