気温も高くサクラも満開で来園者が多く
駐車場も満車で、外になが~い列ができていました。
歩いている公園は大阪城公園ではありませんが(^_-)
「大阪城公園もサクラ満開 花見客にぎわう」(関西NHK)朝ドラ「虎に翼」第1週「女賢しくて牛売り損なう?」 (4)で
寅子が「モン・パパ」を歌いながら内の声として
「何で女だけニコニコこんな周りの顔色うかがって生きなきゃいけないんだ?
何で こんなに面倒なんだ?
何で みんな スンッとしてるんだ!?」この「スンッと」について感じは分るのだけどと思っていたら
ある方が『広辞苑』に載っていると教えてくれました。
古語辞典にも
すんと〘副詞〙
①張りがあってさっぱりしたさま。「顔立ち――して見紛ふ」<評判・役者大鑑>
②すまして愛想のないさま。つんと。「――した花に癖あり女郎花」<俳・砂川上>
(『岩波古語辞典(旧版)』大野晋他編 岩波書店 1974年)我妻栄の講演記録に戦争前のエピソードが紹介されていました。
家庭生活の民主化
15 「理想の母」
さて、つぎに、子を自殺の道連れにする親をとりあげましょう。
かような親と、喰いものにする親とでは、その気持のうえに雲泥の差がある、と私には思われます。
自殺は親みずからが決心したことでしょう。
しかし、子を自殺の道連れにするのは、あの世の旅路をにぎやかにしようという親の利益のためではありますまい。
自分と一緒に死ぬほうが子のために幸福だと考えたからでしょう。
その意味では、まさに子のためを思う親心であります。
ただ、子の幸福とということを考える、その考え方が誤っている。
子は自分とは違った一個の独立の人格者であることを忘れている。
自分の幸福だと考えること、そのまま子の幸福として、これを子に強いている。
そこに誤りがあります。
(『法律における理窟と人情』我妻榮 日本評論社 1987年) しかし、子を独立の個性をもった人格者と考えることを忘れ、自分の幸福と思うことをそのまま強いる、という点になると、子を自殺の道連れにする親だけの話ではありません。
わが国の多くの親にそうした欠陥があるのではないかと思われます。
このことを明らかにするために、世間で「理想の母」と考えられているものを観察してみましょう。 理想の母とはどういうものかと申しますと……
まず子供を幼稚園に入れるときから苦労します。
自分で教えたり、家庭教師を頼んだりして、一生懸命になって子供に知恵をつけて幼稚園に入れる。
幼稚園を終えると、優れた小学校に入れる。
小学校が終わると、こんどは評判のよい中学校。
さらに、大学入学率の高い高等学校を選択する。
その間母親は常に子供と一緒に勉強する。
学校へもしじゅう行って先生と相談する。
PTAの会合も欠かさない。
受験準備のためには万全を期する。いよいよ大学に入るときには、文科にしたらよいか理科にしたらよいか、法学部にしようか経済学部にしようかと、母親が子供以上に苦労して考えます。
近頃では、大学の入学試験のときにも、母親が付き添ってきて、いちょう並木のところで、心配そうな顔をして子供の受験の終わるのを待っている姿を見るようになりました。
卒業すると、どこに就職させるか、会社がよか官庁がよいか、会社の中でも、実業会社がよいか銀行がよいか、母親がまっさきになって苦労します。
そして最後にお嫁さんをもらう。
その努力はまったく涙ぐましいものであります。 もっとも、こうした母親の中にも、子の能力をはからずに、もっぱら自分の虚栄心のために、有名な学校に入れようとしたり、官吏にしようと望んだり、あるいは家柄のよいところから嫁を探そうとするものもありましょう。
しかし、それは、ここにいう理想の母ではありません。
私がここに理想の母といっているのは、まったく子供のためだけを考え、子供の幸福のために自分を犠牲にしていとわない母親であります。 ところで、この理想の母親は、はたして理想であろうかということを反問してみたいのです。
穂積先生からこんな話を聞いたことがあります。
戦争前、先生が東京大学の法学部長をしておられた時のことです。
夫に死に別れて、ただ一人で子供を育ててきた理想の母がありました。
その母親が苦労に苦労を重ねて、子供を大学に入れたのですが、その子は相当優秀な成績でいよいよ卒業することになって、先生の世話で就職が内定した。ところが、その翌日、母親が穂積先生のところにかけつてきて……うちの子を日本窒素肥料株式会社というところに世話してくださったそうですが、とんでもない、肥料会社など、この母親は承知できません……。
肥料会社といったのでオワイ会社と思ったのですね。(笑声)
……私がこれまで苦労して育ててきて、肥料会社に就職させたのでは、長年の苦労も水の泡になるし、死んだ夫に対して申しわけない……。
穂積先生は驚いて、肥料会社といっても、それは化学工業会社である。
化学工業というものは新しい近代産業だと説明されたけれども、お母さんはなかなか聞き入れない。
自分の子は官庁かもっと大きな組織の中で伸びてゆく才能をもっていると考えて譲らない。
しかたがないから内定を取り消した。そうしたところが、あとでお母さんがおじさんか誰かに聞いたらしい。
日本窒素肥料株式会社といえばたいしたものだ、その当時、朝鮮窒素と一体となって、隆々たるものだから、どんな大きな才能のある者にとっても不足はない。
お母さんはいろいろ考えてようやく理解したらしい。
そこでまた、穂積先生のところに来て、先日はたいへん申しわけないことをいたしましたが、日本窒素肥料株式会社はいい会社だそうですから、もう一ぺん入れてくださいと頼んだということです。 この母親には、虚栄心もあったかもしれません。
しかし、夫に死に別れてから、りっぱに子を育ててきて、子の性格や才能を知りつくしてのうえの判断というのですから、簡単に虚栄心とかたづけてしまうこともできないような気がします。
少なくとも自分では子の幸福を考えているのだということは、認めてやらねばならないようです。
ただ、その子の能力なり才能なりを理解したと考え、子の幸福をはかるのだと思っている際に、子が自分とは違った別個独立の人格者だということを忘れている。
そして、自分の考えて理想だと思うことがすなわち子供の理想であり、自分が幸福だと思うことがすなわち子の幸福だときめてしまって、それを子に押しつけようとしている。
そこに問題があるといわねばなりません。 子が結婚する場合になると、母のこうした誤りはいよいよはっきりしてきます。
「私はあなたを小さいときから育ててきたのですから、私くらいあなたのことをよくわかるものはありません。その私が、このお嬢さんはだめで、こっちのお嬢さんがよいというのだから、そこに間違いがあるはずはないのです。(笑声)あなたはまだ世の中のことを知らない……」と主張する母が多くなります。
(『法律における理窟と人情』我妻榮 日本評論社 1987年)話題にのぼっている東京大学の法学部長をしておられた穂積先生は
穂積重遠(ほづみしげとお)だと思います。
戦前の東大の法学部長に意見を言う母親はすごいなと思いますが
穂積法学部長は、母親の話を聞いてあげる温厚な紳士のようです。
穂積重遠は三淵嘉子(みぶちよしこ)の生涯の師であり
朝ドラ「虎に翼」の穂高重親(ほだかしげちか)のモデルだと思います。
なお穂積重遠は、渋沢栄一(しぶさわえいいち)の初孫だそうです。
そして日本窒素肥料株式会社は
「4 チッソはどのような会社だったのですか?」(水俣病資料館)今朝の父の一枚です(^^)/
母が好きだった枝垂れ桜もだいぶ花が散ってしまいました。
第3章 植物の形に秘められた謎
Q23 枝垂れ桜や枝垂れ梅などは、なぜ枝垂れるのか?
…中略…
「なぜ枝垂れるのか」にお答えする前に、ふつうの樹木がなぜ枝垂れないのかを説明します。
幹を切ると年輪が見えます。
年輪の中心は必ずしも中央ではありませんが、おおよそ同心円状に並んでいます。
ところがサクラのなどの被子植物の枝では、年輪は同心円状ではなく、枝の上側で広く、下側で狭くなっています。
つまり枝の上半分が発達して枝を引っ張り上げているので、枝垂れないと考えられます。
この上半分の材を「引っ張りあて材」とよんでいます。
では枝垂れる種の枝ではどうかというと、年輪の幅に上半分と下半分で差がありません。
引っ張りあて材が発達していないのです。
枝垂れ種の枝の先端の芽(頂芽)に、植物ホルモン(160ページ「コラム11」参照)のジベレリンの溶液を与えると、引っ張りあて材が形成されて枝垂れなくなります。
このように、引っ張りあて材の形成にジベレリンのような物質が関係しているらしいのですが、詳しいことは分かっていません。
また、被子植物と裸子植物では枝を支える仕組みが違います。
裸子植物では被子植物とは逆に、枝の下側の年輪の幅が上側より広くなっています。
引っ張りあて材がない代わりに、枝の下側に「圧縮あて材」が発達し、枝を下から支えているのです。
ただし裸子植物の枝垂れと圧縮あて材の関係や、圧縮あて材の形成に対する植物ホルモンの影響などについては調べられていないと思います。
(『これでナットク! 植物の謎』日本植物生理学会編 ブルバックス 2007年)