2023年12月31日日曜日

年の暮れ

心配していた雨もやんでくれました。
なんか暖かい
なんとレンギョウがポツポツと二つ咲いていました。
レンギョウの花言葉は「希望」とか「期待」なんだそうです。

帰る時にポツポツと雨が降ってきたので不安定な天気が続くようです。
西~東日本 日本海側中心に元日にかけ大気不安定 落雷など注意」(NHK)

梅もポツンと咲いていました。

100分de名著「“古今和歌集” (1)めぐる季節の中で
で紹介されていた歌

第1回 めぐる季節の中で
 凍てつく冬に春を探す

…前略…

   年の果てによめる    春道列樹
 昨日(きのふ)といふけふとくらしてあすか川流れて早き月日なりけり (冬・341)

 昨日が過ぎ、今日も暮れてと言いながら過ごしてきたけれど、明日はいよいよ新年。
飛鳥(あすか)川のように、月日の流れるのはなんと早いことか――。
「昨日」「けふ(今日)」ときて、飛鳥川を「あす」に掛けて詠んだこの歌は、弾むようなリズムがあって、新年を迎える喜びも伝わってきます。
(「100分de名著『古今和歌集』」渡辺泰明 NHK出版 2023年11月)
 作者の春道列樹(はるみちのつらき)が「流れて早き月日」を表すために飛鳥川を詠み込んだのには、もう一つ理由があるように思います。
それは古都・飛鳥周辺を流れる、古くから知られる川だからです。
『古今集』の撰者たちが『万葉集』の和歌を仰ぎ見ていたことは、冒頭でお話ししたとおりです。
彼らと同時代に活躍した列樹もまた、万葉の時代に思いを馳せ、あえて飛鳥川をここに据えたのだと思います。
 下の句の「流れて早き月日」は、大晦日の節目に「今年もあっという間に過ぎた。早かったなあ」と振り返っているだけでなく、古代から連なる時代の流れ、悠久の時の流れも含意した感慨でしょう。
いにしえの時代を象徴する古都の川の名が「あす」という言葉を含んでいることも、未来に向かって流れ続けるという意味で、新しい年を迎えんとする日の歌にふさわしいと考えたのかもしれません。
 列樹は、今の自分の感慨や思いを、より大きな文脈やスパンの中に位置づけて詠むことで、多くの人と共有可能なものにしています。
これは、まさに撰者たちが目指した、和歌を「社会化」する一つの方法だと言えるでしょう。
…後略…
(「100分de名著『古今和歌集』」渡辺泰明 NHK出版 2023年11月)
Ⅰ 暮しの周辺
  年の暮れ


 ガラスの水栽培容器に水を張って、ヒヤシンスの球根をおろしたのが先月の下旬。
そっと暗所から取り出すと、白い根がヒゲのように伸びて、器の底に届こうとしている。
そうして私の足裏も十二月にとどく。
窓を開けて、流れる雲に「年の暮れですねえ」と語りかけても返事がない。
永遠というものに人間が勝手につけた折り目に、答えがないのは当然である。
 この月、一年が底をついて、時間は鍋底のおしることのように濃密となる。
みなコッテリと働く。
たいそう忙しげである。
歳末福引大売出し、クリスマスセール、町は活気にあふれる。
それを寒気が外側から緊める。
(『焔に手をかざして』石垣りん ちくま文庫 1992年)
 官庁を皮切りにボーナスが出る。
その一方、労使間でまだ妥結をみないところの、ボーナス予想やら闘争経過がニュースになり、プラスアルファ何万円などと出る。
アルファ分だけでもあったら、と溜息をつく主婦もいる。
我が国は大別して、ボーナスの出る日本株式会社員と、そうでない人間とで成り立つ。
定年で宿下がりした私には、双方の気持に通うものがある。
 銀行、会社の新しいカレンダーや手帳が、ゆきかうのも十二月。
木の葉の吹き溜りに似て、あるところに集まり、ないところにはない。
紙幣の行方と風向きが同じ。
自然界の木枯らしはその一段上を吹く。
年賀状はお早目に、というのが郵便局のPRだけれど、早すぎてピンとこないオメデトウは、月刊誌の新年号なみ。
 歳暮景気にわくデパートの特設売場で、湯気の立ちそうな群像をみると、人間がいかに物に憑(つ)かれているかわかる。
自分が品物をもらって喜ぶなら、人も喜ぶ道理。
損得勘定(感情)を化粧箱に納めてノシをつける。
とんでもない! これはほんのお礼のしるし。
袖の下はくぐらず、白昼アルバイト配送員の手で、街の雑踏をくぐりぬけてゆく。
学徒がデパートに出陣する平和の世の中。
十二月八日の朝に、軍艦マーチでたたき起こされる心配はないのだ。
 贈り物作戦は家庭内に向かっても侵略を開始して、ニュー・ファミリー、小学生が親にまで物を買って進呈する。
だがクリスマスは親が子に。
サンタクロースの訪れる夢は、もう三歳の子供にもない。
幼時、私も枕もとに新しい靴下をさげて寝た。
西洋の風習にとんちゃくしない親が、翌朝届けてくれたのは「期待はずれ」という品。
この愉快な思い出は一生残った。
それなら日本流にお酉さまにでも詣でたか、といえばそれもせず、熊手で財宝をかき集めそこなってはや幾年。
 うさぎが月世界を追われて以来、餅つく家もめっきり減った。
門松はビルディングの玄関にまかせて、賢治の詩ではないが、正月の晴着を用意できないで悩む女性あれば、行って着飾らなくてもいい、と言おう。
母娘が白いエプロン姿でおせちの料理をする、というには狭すぎる最近の台所。
それでも一通り仕込んだ黒豆、蓮根、栗、数の子、こんぶ、新巻などいろいろ。
流し台のほとりにもし、トロ火、強火が燃えていたら、その幸を祈ろう。
五千円、一万円などと売り出されるおせち一式の体裁は、一箸つけたらくずれそうな底の浅さを見せて、ショーケースに。
 このごろの若者は挨拶ひとつ満足にしない、というけれど、オフィスで仕事納めともなれば、神妙に「来年もよろしく」とおじぎしてまわる。
その人たちを家に送り届ける電車は、連日休みを知らずに走り続け、ついには深夜運転へと――。
 紅白歌合戦で、歌手は働いているのだなァ、といってしまったのでは万事おしまいの大晦日がくる。
  (77・11・26「日本経済新聞」)
(『焔に手をかざして』石垣りん ちくま文庫 1992年)

blogにご訪問いただきありがとうございました。
来年こそは、平和な世界になりますように!
よい年をお迎えください。