2023年12月7日木曜日

大雪

今朝は、気温は昨日より高いはずなのに、
空が曇りだして風が吹いてきたので寒かったです。
今日は二十四節気の

 大雪
(たいせつ)

 山では雪が積もり、平野部でも雪が降り始める季節なので大雪という。
吹く風は冷たく、吐く息が白く見える。
本格的な冬の到来である。
ヤブコウジやナンテンの実が赤く色づき、ヒイラギの純白の小さな花からほのかな芳香が漂う。

 (ひいらぎ)花のこぼれや四十雀 浪花
(『季節の生きもの観察手帖』NPO法人自然観察大学企画・編集 全国農村教育協会 2017年)
朝ドラ「ブギウギ」でスズ子がうたった「大空の弟」(YouTube)
その歌詞の中に

いつも○○○部隊 ○○方面 ○○隊 
○○○ばかりなり ○○○ではわからない


部隊名や配属先などは機密事項になり「○○」と伏せ字にするしかなかったのです。
六郎は、日米開戦前に戦死しているので日中戦争で戦死したと思います。
 梅原仲作

  岩手県江刺郡田原村出身。
生家は田五反三畝、畑四反、山林六町と若干の小作地をもっていた農家。
次男で江刺郡羽田村村田茂山にムコ入りした。
子供はなかった。
昭和12年8月23日・上海呉淞(ウースン)にて戦死。
三十歳。海軍一等兵曹。
(『戦没農民兵士の手紙』岩手県農村文化懇談会編 岩波新書 1961年)
横須賀にて 父・重右衛門氏宛
 前略
 時局重大なる折柄小生もこの度、第一特別陸戦隊第一中隊第一小隊に編入になりました。
 目下のところ即時待機中元気に出発の日を待って居ります。
 内命には青島方面に向う予定ですが未だ決定せず。
秘密故口外せぬ様に。
何日頃出動するやら今のところ不明であります。
 先ずは乱筆にて御一報まで。又折をみてお知らせす。
 皆様 御身大切にお祈ります。
  十二年七月十二日午後十時書く   草々
妻・及川ワカさんから 戦地の仲作氏へ
 前略
 今頃は何処の国にて活躍遊ばして居るでしょうか。
 二十九日、午後四時半頃でした。
山居様からのご伝言ですとてお手紙を頂きました。
それより直ぐ家の方に電報を打ち、中里の叔父さんに来て頂き相談の結果、山居様にお会いしなければ帰れませんから三十一日の午後立つ事にしたのです。
 私滞在中は皆様に色々御世話様になりました。
又帰りの節にはお土産まで頂戴致し見送りまでして頂きました。
叔父さんには上野まで送って頂きましたし、山居様の御紹介にて横須賀より花巻まで行く姉さんのお友達が出来、少しも淋しい思いもせずに帰郷致しました。
其の人も私と同様ご主人が出征なされ、実家に帰る人でした。(満州に居った人)
 山居様には下宿の事から貴方の留守中並びに私の帰郷後の事など色々面倒なお願いして参りました。
下宿の支払書、山居様の方からお送り下さる事と存じますから何も書きません。
下宿の計算の結果、三十二円五十銭也、支払わねばならないそうでいた。
それ頂く金は十七円五十銭で私は拾円頂いて参りました。
後の七円五十銭は後程お返しするとのお話でした。
それから証書を取って居った人からは拾円頂きました。
それで計算の結果新しく八十八円の証書書き替え山居様に預けて置きました。
松田様からは五円、家に帰ると直ぐ月掛の方へ二円貯金致しましたが大きい方に皆貯えましょうか。
それとも月掛の方へやりましょうか。
 大田代に行っては貴方の荷物の事から下宿の計算、貯金の在り高等皆お話致し一泊して参りました。
 親類の人達皆元気で村中の神様詣りをし毎日忙しい日がつづき今日ヤット落着いた所でございます。
 今度は皆様のお情けにてお逢い致しました事は只々嬉しく言うに言われず、書くに書けない心理状態にあります。
私さえ四月頃に来横すれば皆様に対して心配を掛けずよかったに余りにも自分の意志が弱かったのです。
お赦し下さいませ。
下宿の叔母さまからは毎日申されました。
 貴方さまには、出征致した限りは決して家の事など心配せずに御国を守る軍人の一人として、その本分を尽す様心掛けて、そして部下を可愛がって下さいませ。
 もとの私は弱い弱い女でしたがけれど今の自分はそんなくよくよしためめしい女ではございませんからご安心下さいませ。
 只心配なのは気候とか風土が違えば病気等が気にかかりますからそれだけはくれぐれもお気をつけて下さいませ。
余り夜間食をなさらぬ様に。
 家の人達はラジオのニュースはみな真剣になって聞いて居りますの。
決して家の事等心配なさらぬ様に。
大田代でも皆達者でおります。
 では又後で書きます。
ではくれぐれも食事等にお気を付けて働いて下さいませ。
遠き故郷にて御無事で凱旋なさる日をお祈りしております。
 御無事に凱旋なさる暁にはお迎えに参ります。
その時こそゆっくり見物もして帰る様皆様からも話されました。
 田舎出の私には半月も下宿に御厄介になりましたが、都会の人はみなこういうものかとしみじみ分かりました。
ましてや老年期に入らるる年の為かも知れませんが叔母さまには五郎叔父さんに来てくれといわれますけど、私の考えでは良く考えてからにして下さいとお願いしました。
もし面白くもない事があっても叔父さんにはお気の毒ですから。
 色々くだらぬことばかり書きまして済みません。ではまた後に。
  八月八日      かしこ
〔追伸〕
 御手紙も出せない事とは思いますがもし良かったならお便り下さいませ。
何処にお出でですか分かりません。
貴方、万年筆お忘れになりましたね。
それみな私持って参りまして使って居ります。
それからハガキ入れ一ツ持って来ました。
あの着物仕立てて着て来ましたの。
写真はお持ちでしょうね。
(『戦没農民兵士の手紙』岩手県農村文化懇談会編 岩波新書 1961年)

今日は、更新を休憩するつもりでしたが、
朝ドラ「ブギウギ」でのスズ子の歌う姿を見て圧倒されました。

これはもう、魂で歌ってくれた趣里ちゃんとスタッフのみなさんに感謝。