2023年12月3日日曜日

帰る頃になって

公園に着いたときは曇り空で
帰る頃になってやっと青空が見えてきました。
今朝、ニュースで津波注意報が流れていた

津波注意報すべて解除 気象庁“多少の潮位変化続く可能性”」(NHK)
帰ってテレビをつけると懐かしい曲が流れていた♪
みんなのうた「今日の日はさようなら

高校時代、みんなで歌っていたのだけど
仲間の迷惑を考えずに音程を外して歌っていた(^_^;)
朝食の用意をしていたとき手が止まった

こころの時代 シリーズ「空海の風景」 前編“天才”の旅立ち~大唐渡海の夢~

おばあさんが善通寺で線香に火をつけながら

「○○○ちゃん。弘法様のな ゆうべはな 祭りやったんでぇ。
○○○ちゃん。皆さんに好かれなさいよ。
人を好く前に 好かれなさいよ。


取材者に

毎朝です。 娘の供養に…。
娘が直腸がんいう病気で死んだ。
2年間、患
(わずろ)うて…。
ええ魂
(たましい)しとったのに。
何で、ああいう病気に取りつかれないかんのやと おばさん思います。
自分があとに残って…。

第四章 妻との対話
 酒浸りの日々


 医者の不養生と言われても仕方がない。
妻を亡くした私の支えになったのは酒だった。
 もともと酒には目がなかった。
居間の棚にはワイン、ウィスキー、日本酒、焼酎などが大量に備蓄されている。
私が買いためたものだ。
「お酒のことになると、どうしてそんなにいそいそとするのかしら」
 妻によく言われたものである。
(『妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録』垣添忠生 新潮社 2009年)
 しかし、うつ状態になっている私には、この酒がちっともうまくなかった。
というより味がしない。
ただ辛い気分を麻痺させるために杯を重ねた。
 ビールはアルコール度数が低すぎて、効率が悪い。
もっぱら、ワインや日本酒、さらにウィスキーといった濃い酒をあおった。
つまみは、買ってきたハムを厚切りにしてあぶったり、モヤシをバター炒めにしたり。
どちらも妻がいる頃から、自分でよく作っていたメニューだ。
 グラスは、必ず妻の分も用意した。
妻がいつも座っていた私の向かいの席に置き、ちょっと注いでやってから飲み始める。
最後はそれも私が空にするのだが……。
 酔えば酔うほど、妻のことが頭に浮かんでくる。
 いや、妻のことしか浮かんでこなかった。
陰陰滅滅とした酒はよくないとわかっていても、やめられなかった。
毎晩、一人で相当な量を飲んだ。
肝臓を壊さなかったのが不思議なくらいである。
 妻が亡くなった大晦日から、一週間、二週間と経っても、私の精神状態はいっこうによくならなかった。
 朝起きて、新聞を開いても読む気がしない。
一面の見出しを追うだけで、内容はほとんど頭に入ってこなかった。
 出勤するとき、玄関で妻の靴がチラッと目に入ると涙が噴き出してくる。
衣類を片付けていて、妻の好きだったブラウスやスカーフがヒョイと出てくると、また涙。
 妻といっしょうに何度となく通った道にさしかかると、思い出ととともに涙があふれて止まらなかった。
 食欲はまったくなく、酒とちょっとしたつまみを口にするだけだったから、体重はどんどん減っていった。
 ベッドに入っても睡眠剤がないと眠れない。
精神的な打撃は、思った以上に肉体に影響を及ぼしていた。
「じゃあ、これから行ってくるぞ」
 毎朝の出勤時、妻の写真にあいさつして気持ちを奮い立たせ、家を出る。
応接間のテーブルの一角に妻の写真と花を飾り、簡単な祭壇のようにしていた。
 日中は、これまでのように国立がんセンターに通い、とにかく仕事をした。
 本人の希望で葬儀はしなかったし、私も自分から積極的に人に話さなかったため、職場でも身近な人しか妻の死を知らなかった。
だから、私のどん底の精神状態にはお構いなしに、次々に仕事が押し寄せてきた。
 研究評価のための会議、研究発表会、講義、各種の理事会、機関の会合、厚生労働省のさまざまな会議に座長、原稿執筆……。
 総長を退職したのに、なぜこんなに仕事があるのかと思うほど忙しい。
仕方がないから夢中で取り組んだ。
そして、これが幸いした。
集中している間は妻のことを考えないですむ。
喪失感を感じる時間もなかった。
 もしかしたら、これは悲しみを忘れる最良の方法ではないか。
そう気付いた私は、ますます目の前の仕事に没頭していった。
 問題は、夜である。
 寒風の吹きつける中、コートのえりを立てて帰宅すると、明かりひとつ点いていない家が待っている。
日中、誰もいない部屋の空気は冷え切っていた。
 祭壇の前に座り、妻にきょうの出来事を報告する。
 だが、いくら話しかけても答えは返ってこない。
妻はもういないのだ。
 この事実が堪え難かった。
 入院中、消えゆく妻の命を見守る辛さは強烈なものだった。
しかし、病床にあるとはいえ、妻は私の目の前にいた。
手を触れれば温かく、言葉を交わすこともできた。
それが、どんなに心の支えになってくれたことか。
「話がしたい」
「口をきいてくれ」
 心の中で、何度叫んだことだろう。
もう永遠に声が聞こえない。
話すこともできない。
 静寂に包まれた家の中に一人でじっと座っていると、背中からひしひしと寂しさが忍び寄ってきて、身をよじるほど苦しかった。
…後略…
(『妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録』垣添忠生 新潮社 2009年)
今朝の父の一枚です(^^)/

マガモ(真鴨)

 マガモは真鴨と書き、「真」は名詞や形容詞につく接頭語。
現代語の辞典を開くと、その意味のひとつとして「生物の同類のなかで一番標準的なもの」とある。
そのとおり、真鴨の「真」はこの意味である。
「真」は古語である。
『岩波古語辞典』によれば、「真」は「そろっている、完全である、本物である、すぐれている、などを表す」とある。
真鯛、真鯖、真鯉、真雁などの「真」もこの意味である。

(中略)

「カモ」の語源については次の説がある。
①浮(うか)(む)鳥の略転。
②古くはカモメ類とカモ類は明確に区別されず、鴨群(む)れの約、という。
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』安部直哉 叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)