2023年12月2日土曜日

日向が暖かい

 気温は低かったのですが日向がポカポカしていました。
日本は、広いなと思うのが、もうすでに雪が積もっている地方があって

津軽鉄道 冬の訪れ告げる「ストーブ列車」の運行始まる」(青森NHK 12月1日)

日本でも見ることができるんだと思ったのが
道内各地で「低緯度オーロラ」目撃 夜空を薄い赤色に染める〟(北海道NHK)
“戦闘再開後170人以上死亡” ガザ地区の保健当局」(NHK)
戦闘再開」という言葉に違和感を感じていたのですが

高橋美香さんの投稿(12月1日)に

パレスチナについての原稿を書きながら、「戦闘再開」という名の虐殺再開を目にする。
何千回も日々感じてきたことだが、この現実を前に無力感で絶望しそうになる。
虚しすぎる。
それでも絶望することなんて許されない。
目を閉じ口を閉じてしまうあいだに、またひとり、ひとりと分刻みに命が奪われゆく
朝ドラ「ブギウギ」 第9週「カカシみたいなワテ」 (45)で、
スズ子に
これで 寂しいのん消えるん?……酔っ払ぱろうたら消えるんやろ?
と、訊かれた梅吉が
消えへんよ。余計 会いたなるわ。
梅吉の姿を見ていて
こころの時代~宗教・人生~「医師と禅僧 生と死をめぐる対話」(9月17日放送)
での垣添忠生さんの話を思い出していました。
第2章 死別の悲しみの諸症状
 ◆逃避・依存―「お酒を飲んでまぎらすしかない」「仕事に没頭し、束の間
(つかのま)でも苦痛を忘れたい」

  飲んでも飲んでも、いっこうに酔えないのです。悲しみから逃れたいと思って酒に頼っているのに、頭は冴(さ)え、こころはシンと冷えて、恐ろしいような落ち込んだ気分になります。「喉(のど)が焼けただれてもいい」という思いで酒をあおり、結局、酩酊(めいてい)するまで飲んでしまいます。それを毎日、一カ月以上も続けています。自宅でしか飲まないようにしていたのでだれにも気づかれないと思っていましたが、職場で同僚から「毎日、飲みっ放しだろう。だいじょうぶか」と声をかけられて、目が覚めたようになりました。周囲はみな、わたしが憔悴(しょうすい)した様子で朝から酒臭いことに気づいていたそうです。それを聞き、悲しみに流されてはいけない、しっかりしようと決め、まともな暮らしに戻ることができました。
   49歳の妻を乳がんで喪った50代の男性

 こころは自動的にさまざまな防御反応を起こしますが、同時にわたしたちは意識的、あるいは無意識的に悲しみをまぎらす行為をおこなって、苦痛をやわらげようとします。
(『悲しみの中にいる、あなたへの処方箋』垣添忠生 新潮文庫 平成25年)
…中略…

 悲しみをまぎらすための行為が度を超したときには、それが何であれ、健康を害することになりますが、とくに気をつけたいのはアルコール、タバコ、そして仕事への依存です。
 アルコールの影響については個人差が大きいため、一概にはいい難いのですが、適量の場合には一時的に心身のストレスから解放され、リラックスする効果があることはよく知られています。
 私がそうであったように、死別を体験した方の中には、お酒によって悲しみから気持ちを逸(そ)らせていたという方は少なくないようです。
もともとお酒が好きだった男性に限らず、ほとんど飲むことがなかったという女性でも「悲しみを一瞬でも忘れたい」という気持ちから飲むようになるケースがあります。
 飲酒が健康におよぼす悪影響は申し上げるまでもありません。
ひどい場合は肝臓や脳神経系に深刻な問題を起こしますし、アルコール依存症というやっかいな病気にもなりかねません。
 冒頭でご紹介した、奥様を亡くされた50代の男性は、同僚の忠告というきっかけがあって深酒の習慣を絶つことができました。
しかしそれがなければ、自分はなにか病気になって倒れるまで飲み続けただろうと語っておられました。
 また、お酒を飲む習慣がなかった澄江さん(63歳)は、ご主人を肺がんで亡くされた後、一度だけお酒の苦い体験をしたことがあると話してくれました。
「飲んで忘れる、という言葉が頭に浮かんでグラスを手に取りました。お酒で本当に忘れられるとは思いませんでしたが、とにかく酔って、束の間でもいいから苦しさをごまかしたいと、居間のキャビネットから夫の残したお酒を出して飲みました。
 ウイスキーをグラスに四、五杯、ほとんど立て続けに飲むと、しばらくして目が回り、何もかもが夢の中のようなぼやけた印象になって、たしかによい『ごまかし』にはなりました。その後、もうろうとしながらクッションを抱き、大きな声を出して泣いたのをぼんやりと覚えています。普段はひとりで家にいてもそんなふうに泣けなかったので、よい発散になったように思いますが、とにかく翌日の体調がひどく、二度とお酒は飲みたくないと思いました。
 わたしは、体質的にあまりお酒が飲めないのでアルコールに溺(おぼ)れるようにはなりませんでしたが、もし飲めるタイプだったら、お酒に逃げるようになっていたかもしれません」
 お酒の害をこうむらないようにするためには、本人にとって「適当な量」を「適当な頻度」で飲むことが大切であり、お酒に逃げることを習慣化してしまうのは問題です。
とくに死別悲嘆が原因でお酒を飲む場合、酩酊するまで大量に飲む、毎日飲む、というケースが多いため、病気になる危険が増大します。
 依存症になると、お酒を飲む、飲まないという決断を理性でコントロールすることができなくなります。
初期のうちは精神的な依存ですが、進行すると、お酒を飲まないと禁断症状が出るようになり、それがつらいためにお酒を渇望(かつぼう)するようになります。
何よりも飲酒を優先し、一日もお酒なしではいられなくなり、日常生活や社会生活にさまざまな支障をきたします。
 アルコール依存症の方は多くの場合、自分の状態に気づいているのですが、職場ではなんとか体裁を保とうと努力し、初期のうちはそれがうまくいきます。
周囲の人々に、飲酒癖の問題を抱えていることを悟られず、自分でも「まともに仕事ができているのだから、自分はアルコール存症ではない」と言い聞かせられます。
しかし早晩、とりつくろうことができなくなります。
 顔の色つやは不健康になり、睡眠の質が悪くなるため居睡りをしたり、遅刻をしたり、怠惰になったり、また集中力や理解力がおちるので仕事の能率が低下し、ミスが多くなります。
身なりも生活もだらしなくなり、朝からお酒臭い息を吐いていることに、周囲の人も気づきます。
人によっては、穏やかな性格だったのが攻撃的になったり、本来は几帳面(きちょうめん)な人が投げやりで怠惰になるなど、人格の変化がみられることもあります。
 この段階では、残念ですが自力で回復するのは困難です。
またアルコール依存症の場合、自分から治療を受けようとするケースは少ないので、健康を取り戻すためには、周囲の人々が介入することが必要になってくるかもしれません。
「この悲しみが癒(い)えたら、お酒も必要なくなるに違いない」と考える人も多いようですが、それは誤った見通しだということを申し上げなくてはなりません。
 依存症が進んでしまったときには、お酒を飲む原因が解消されたかどうかに関係なく、お酒を強く求めます。
つまり「悲しいから飲んでいる」のではなく、「依存症だから飲んでいる」といった状態になります。
そしてもうひとつ大事なことは、お酒でごまかしている限りは、悲しみが本当に癒えることはないということです。
 ただ、アルコール依存症はときに人生を破壊しますが、専門医の治療を受けることで、安全に着実に回復を実現していくことができます。
…後略…
(『悲しみの中にいる、あなたへの処方箋』垣添忠生 新潮文庫 平成25年)

書籍版は品切れになっていますが、電子書籍が発売されています。