雨が止んでくれて青空だったけど…北風が吹いて寒いのにナミテントウがいた( ・_・;)
ナミテントウ 並天道
「テントウムシ」という種名のままでは、グループ全体を指す言葉と同じで紛らわしい、という理由で、グループ内で最も普通のテントウムシが「並」テントウになったと考えられる。
しかし「並」という言葉には、単に「普通」というだけでなく、「ありきたり」に近い否定的なニュアンスもあり、こんな名前は虫に対して失礼では?と思ってしまう。
要は、「Theテントウムシ」ということが、洗練された日本語で表現できればよいのだが、考えてみると確かに難しく、どんな言葉に置き換えればよいのか、悩ましいところだ。
「天道」とは、お天道様のことで、枝先などから太陽へ向って飛んでいくイメージからこの名がつけられた。
本種は個体変異が著しく、斑紋にはさまざまなパターンがある。
(『散歩で見つける 虫の呼び名事典』森上信夫 世界文化社 2013年)
「テントウムシの模様」(小学3年)今朝のEテレ0655の日めくりアニメは操(あやつ)り人形でした。
学生時代、友だちに誘われて児童文化研究会を作って活動していたこともあって
朝ドラ「ブギウギ」のオープニングを初めて見たとき面白いなと思いました。
木の人形をマリオネットのような動かしていいなと思っていました。
「【ブギウギ】人形制作者が語る朝ドラオープニング映像に込めた思い 」(ニュースこまち NHK)
大学時代のことを思い出したのは、昨日、後輩が亡くなったと喪中はがきがきたのです。
I君の人懐っこい笑顔が目に浮かびました。
人の運命は分からないものです。朝ドラ「ブギウギ」では、表現への権力の介入がますますひどくなっています。
英語は敵性語だと楽器の呼び名を珍妙な名前に変えるだけでなく
梅丸楽劇団も解散になりました。
一方、アメリカでは、日本を知るために… Ⅰ 太平洋戦争のなかで
日本人兵士の日記
…前略…
一つの翻訳作業が終わると、私たちは、その次にやる仕事を要求することになっていた。
ある日私は、次の材料を受け取りに行きながら、今度は兵器のマニュアル、病院の備品リスト、あるいは古い貯金通帳なんかより、もう少し位やって面白いものが貰えるといいな、と思っていた。
その時資料室へ入っていって、悪臭ぷんぷんたるちっぽけな本がいっぱい詰まっている箱の存在に、初めて気がついた。
そこで私は、翻訳者のなかでも一番のベテランに、一体全体このちっぽけな本は何ですか、と訊いてみた。
(『このひとすじにつながりて』ドナルド・キーン著 金関寿夫訳 朝日文庫 2019年)するとこれはみな、戦死した日本兵や水兵の遺体から回収した日記帳だ、と教えられた。
その悪臭は、手帳に少なからず付着していた乾いた血から発するものだったのだ。
もちろん私は、そうした本に手を触れることすら避けたい気持ちだった。
しかしいつもの無味乾燥な資料には、ほとほとうんざりしていたので、なんでもいいから変わった材料がほしかった。
だから私は、なるべき血痕の目立たない手帳を一冊、慎重に選んで、それを読み始めた。
日誌は当然すべて手書きだったので、活字や謄写版(とうしゃばん)刷りの資料より、はるかに読みにくかった。
なるほど私たちは、語学校で、ある程度は草書体の字などを読む訓練は受けていた。
ところが今私が手に取って見ているのは、書道の達人の熟練より成る崩し字ではなく、おそらくどこかジャングルのタコツボ、ないしは孤絶した塹壕(ざんごう)の中で、目前にあるのは死のみ、という状況で兵士がなぐり書きしたものだったのだ。
それゆえ判読はむずかしかったが、それでも私は執念でやりとおした。
そしていつの間にか、押収された日記を読む仕事は、私のいわば特殊技能となってしまったのだ(事実、戦争が終わった時、その種の資料を読む私の能力に対して、米国海軍は私に勲章をくれたものだ!)私が読んだ日記のことごとくが興味深いものではなかったこと、これはいうまでもない。
そして一番私を夢中にさせた日記させ、退屈な部分を少なからず含んでいた。
しかしこれらの日記を書いた兵士たちは、いわば私の、最初の日本人の親友だったのである。
実際私は、彼らの家族のものよりも、彼らのことをより深く知っていたかもしれないのだ。
だが悲しいかな、私はついに彼らに直接会うことはなかった。
なぜなら彼らは、もはや生きていなかったからである。 私がパールハーバーで翻訳した日本兵の日記は、ガダルカナル島で押収されたものだった。
ところでこの島の名は、今四十歳以下の人には、おそらく耳馴れない名にちがいない。
実はこの島は、それまでいたるところの戦闘で勝ち続けていた日本軍が、初めてアメリカ軍の逆襲にあって、大敗を喫した(1942年8月)戦場だったのだ。
ほとんど六ヶ月間に亘って、この島の占領権をめぐって、太平洋戦争史の中でも最も凄絶な戦闘がくりひろげられたのである。
私が読んだ日記は、ガダルカナルをめぐる戦闘が、終結を迎えようとする少し前の時期に書かれたものだっった。
その時の日本軍は、アメリカ軍だけではなく、マラリアや飢餓とも戦っていたのだ。
日記によっては、ガダルカナルの名に、日本語音の省略で、「餓島(がとう)」という字を当てたものもあったほどだ。 そのような苦難と闘っている男たちが書いた日記を読んでいて、なんらかの感動を受けないわけいにはいかなかった。
かりにその時私がやっていたこと、すなわち軍事的情報を得るために敵軍から捕獲した記録を読むことが、私が現に読んでいる日記の書き手を殺すための手助けだったとしても、私はそうした日記の書き手に対して持った同情の念は、戦争に勝つという究極的な目的を、少なくとも一時的に忘れさせてくれさえしたのである。
…後略…
(『このひとすじにつながりて』ドナルド・キーン著 金関寿夫訳 朝日文庫 2019年)
一方、アメリカでは、日本を知るために… Ⅰ 太平洋戦争のなかで
日本人兵士の日記
…前略…
一つの翻訳作業が終わると、私たちは、その次にやる仕事を要求することになっていた。
ある日私は、次の材料を受け取りに行きながら、今度は兵器のマニュアル、病院の備品リスト、あるいは古い貯金通帳なんかより、もう少し位やって面白いものが貰えるといいな、と思っていた。
その時資料室へ入っていって、悪臭ぷんぷんたるちっぽけな本がいっぱい詰まっている箱の存在に、初めて気がついた。
そこで私は、翻訳者のなかでも一番のベテランに、一体全体このちっぽけな本は何ですか、と訊いてみた。
(『このひとすじにつながりて』ドナルド・キーン著 金関寿夫訳 朝日文庫 2019年)するとこれはみな、戦死した日本兵や水兵の遺体から回収した日記帳だ、と教えられた。
その悪臭は、手帳に少なからず付着していた乾いた血から発するものだったのだ。
もちろん私は、そうした本に手を触れることすら避けたい気持ちだった。
しかしいつもの無味乾燥な資料には、ほとほとうんざりしていたので、なんでもいいから変わった材料がほしかった。
だから私は、なるべき血痕の目立たない手帳を一冊、慎重に選んで、それを読み始めた。
日誌は当然すべて手書きだったので、活字や謄写版(とうしゃばん)刷りの資料より、はるかに読みにくかった。
なるほど私たちは、語学校で、ある程度は草書体の字などを読む訓練は受けていた。
ところが今私が手に取って見ているのは、書道の達人の熟練より成る崩し字ではなく、おそらくどこかジャングルのタコツボ、ないしは孤絶した塹壕(ざんごう)の中で、目前にあるのは死のみ、という状況で兵士がなぐり書きしたものだったのだ。
それゆえ判読はむずかしかったが、それでも私は執念でやりとおした。
そしていつの間にか、押収された日記を読む仕事は、私のいわば特殊技能となってしまったのだ(事実、戦争が終わった時、その種の資料を読む私の能力に対して、米国海軍は私に勲章をくれたものだ!)私が読んだ日記のことごとくが興味深いものではなかったこと、これはいうまでもない。
そして一番私を夢中にさせた日記させ、退屈な部分を少なからず含んでいた。
しかしこれらの日記を書いた兵士たちは、いわば私の、最初の日本人の親友だったのである。
実際私は、彼らの家族のものよりも、彼らのことをより深く知っていたかもしれないのだ。
だが悲しいかな、私はついに彼らに直接会うことはなかった。
なぜなら彼らは、もはや生きていなかったからである。 私がパールハーバーで翻訳した日本兵の日記は、ガダルカナル島で押収されたものだった。
ところでこの島の名は、今四十歳以下の人には、おそらく耳馴れない名にちがいない。
実はこの島は、それまでいたるところの戦闘で勝ち続けていた日本軍が、初めてアメリカ軍の逆襲にあって、大敗を喫した(1942年8月)戦場だったのだ。
ほとんど六ヶ月間に亘って、この島の占領権をめぐって、太平洋戦争史の中でも最も凄絶な戦闘がくりひろげられたのである。
私が読んだ日記は、ガダルカナルをめぐる戦闘が、終結を迎えようとする少し前の時期に書かれたものだっった。
その時の日本軍は、アメリカ軍だけではなく、マラリアや飢餓とも戦っていたのだ。
日記によっては、ガダルカナルの名に、日本語音の省略で、「餓島(がとう)」という字を当てたものもあったほどだ。 そのような苦難と闘っている男たちが書いた日記を読んでいて、なんらかの感動を受けないわけいにはいかなかった。
かりにその時私がやっていたこと、すなわち軍事的情報を得るために敵軍から捕獲した記録を読むことが、私が現に読んでいる日記の書き手を殺すための手助けだったとしても、私はそうした日記の書き手に対して持った同情の念は、戦争に勝つという究極的な目的を、少なくとも一時的に忘れさせてくれさえしたのである。
…後略…
(『このひとすじにつながりて』ドナルド・キーン著 金関寿夫訳 朝日文庫 2019年)