無事、海に戻られますように!
「大阪湾の淀川河口付近にクジラ 餌を求め迷い込んだか」(関西NHK)公園で、これから成人式に出るんだろうなぁ
振り袖姿の娘さんたちが写真を撮っている姿に出会いました(*´▽`*)
[成人の日] なぜ振袖を着るの? 成人式 成人祭
元服と呼ばれていたものが、20歳から成人だとされたのは、1876(明治9)年から。
近年は1月の第2月曜日が式日となっている。
成人式に目立つ振袖。
飛鳥時代には振袖の原型ができ、『万葉集』にも詠まれている。
江戸時代には元服前の男女が用いたが、次第に装飾性も増して長くなり、現在の形に近いものになったといわれる。
明治以降は未婚女性の最も格式高い着物として定着している。
若い女性は良縁を願って振袖を振るようになり、大振袖・中振袖・小振袖の3種類がある。
(『季語ものしり事典』新海均 角川文庫 令和3年) 古く、「振る」という行為には呪術的な意味があり、振ることで神の魂を呼び寄せ、身を清め、厄払いをすると考えられてきた。
これを「魂振(たまふ)り」といい、巫女(みこ)たちは長い布や袖で魂振りをしていた。
やがて人に対しても行われるようになり、意中の人を振り向かせたり、心を通わせるために、袖を振るようになった。
めでたく結婚できた後は袖の短い「留袖」となる。
もう「袖にする」ことなどないように……。
成人の日どこまでも街尽きず 星野高士
(『季語ものしり事典』新海均 角川文庫 令和3年)服飾―飛鳥・奈良時代―
袖(そで)と紐(ひも)
衣を「ころも」とか「そ」といったから、衣の手にあたる部分を「ころもで」「そで」とよんだ。
今日、袂(たもと)と袖とを同じもののように混用しているが、上代では区別している。
袂は手の本であり、肩から肘(ひじ)までの二の腕の部分をさすのが原義なので、衣のその部分にあたるところをいうようになった。
わが袖は手本(たもと<袂>)とほりて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ <万葉集・十五・3711>
(『日本古典風俗辞典』室伏信助他、角川ソフィア文庫 2022年) 奈良時代の文官礼服の表着を「大袖」、下着を「小袖」という。
大袖は広袖型、小袖は筒袖型だが、どちらも袖口の下方を縫い合わせない。
この二種が上代衣服の袖型である。
正倉院蔵の袍(ほう)には袖裄(ゆき)1メートル以上のものもあり、当代貴族の表着の袖は手の先を隠して余るほどゆったり仕立てたことがわかる。
一幅の袖の先に半幅の袖をつけた衣を、特に「袖付衣(そでつけごろも)」とよんだ。
宮人の袖付衣秋萩ににほひよろしき高円(たかまと)の宮 <万葉集・二〇・4315> 袖はまた、領巾(ひれ)などと同じく、呪術性をそなえる。
袖を裏返して寝ると夢で逢えると信じ、また両袖で床を払って清めたり、袖を振ったりすることにより、恋人の魂を招き寄せ、つなぎとめることができると信じられた。
白たへの袖折り反(かへ)し恋ふればか妹(いも)が姿の夢(いめ)にし見ゆる <万葉集・十二・2937>
逢はなくに夕占(ゆふけ)を問ふと幣(ぬさ)に置くにわが衣手は又そ続(つ)ぐべき <万葉集・十一・2625> 紐は、衣服がはだけぬように、巻き付けたり、穴に通したり、襟などに綴じ付けたりした。
この紐も男女の愛情のしるしとして結ぶという呪術性をもつ。
旅立つ夫の道中の無事を祈る心と二心なき愛とを斎(いわ)いこめて結ぶのは妻の役目なのだ。
淡路の野島の崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す <万葉集・三・251>
だから「紐解く」は、くつろぎのほかに、男女の情事を意味した。
筑紫なるにほふ児(こ)ゆゑに陸奥(みちのく)のかとりをとめの結(ゆ)ひし紐解く <万葉集・十四・3427>
紐の色にも気を配った。
紅・白・紫などが『古事記』『万葉集』の中に出てくる。
(『日本古典風俗辞典』室伏信助他、角川ソフィア文庫 2022年) 第九章 女性の一生
三
女子が成年に達してはじめて裳を着ける式を裳着(もぎ)といいます。
男子の元服に相当するもので、年齢は一定しておりませんが、だいたい12歳から14歳の間くらいに行われました。
『宇津保物語』の貴宮や、『源氏物語』の明石姫君は12歳で、また『栄花物語』(輝く藤壺)の彰子の裳着も12に年におこなわれたとしるしています。
(『平安朝の生活と文学』池田亀鑑 ちくま学芸文庫 2012年) 裳着
裳着の風習は種々の文献によってだいたい延喜以前から起こったようです。
吉日を選んで行われたものですが、今、宮中における裳着の模様を、『西宮記』(臨時九)によって一瞥してみましょう。
まず清涼殿の日御座をかたづけ、母屋の御簾を垂れ、北の御障子に近く錦端の畳を敷き、その上に地敷と茵(しとね)を敷いて内親王の御座とします。
御座の東に理髪の調度などを置き、北の二間に四尺の御屏風三帖を立て錦端の畳を敷いて、結髪理髪の座とします。
これは裳を着けるとともに、髪を結い上げるのが慣例だったからです。
腰は尊長の人が選ばれて結ぶことになっていました。
式がすみますと酒を賜い、禄をいただいて退出するのです。
…後略…
(『平安朝の生活と文学』池田亀鑑 ちくま学芸文庫 2012年)
◎ 道路は何に見える? セキレイ
…前略…
さて、ハクセキレイを見ていていつも思うのは、「都市部の舗装された地面や道路は、セキレイにとってどういう環境なのだろう?」ということです。
舗装面は明らかに草地ではありません。
ただ、道路の端、舗装の切れ目の部分にはわずかな隙間があり、草が伸びてきていることはしばしばあります。
また、歩道と車道の間に植え込みや並木があることも、珍しくありません。
こういった場所は土がむき出しで植生があり、ということは昆虫がいて、セキレイの採餌可能な場所になっているでしょう。
道路を歩くセキレイを見ていると、こういった場所や、車道と歩道の境目などを集中して狙っている様子がわかります。
こういった、線状に餌の分布が多い環境は自然界にも存在します。
まさにセキレイの住処である、水辺です。
河川の水際は線状に長く続く採餌場所なのです。
「開けた場所が細長く連続しており、その中に採餌に適した場所が伸びている」という構造だけを見れば、道路と河川には似たところがあるように思います。
…後略…
(『鳥類学者の目のツケドコロ』松原始 ベレ出版 2018年)
つづく…