2023年1月11日水曜日

受診日

主治医の先生が血液検査の結果を見ながら
水分補給がおろそかになっているのではと仰った。
と、言うのは赤血球の値が高い。
寒いので水分を摂るのがついつい少なくなっています。
中性脂肪の値も高くなっている…
水分補給と運動量に気をつけるようにと注意されました(^^;

中国を訪れる日本人へのビザ発給を一時停止 東京の中国大使館」(NHK)
中国から出国するのも停止しないのかな?

待ち時間に読んでいたのは、先日、「世界 2023年2月号」の載っていた
飯島渉さんの「中国、ウィズコロナへの転換」を読んで図書館で借りました。
感染症の中国史 公衆衛生と東アジア
この本は、2009年に出版されている。
新型コロナの感染が爆発する前なんだけど参考になると思いました。

第Ⅰ章 ペストの衝撃
 国際ペスト会議と政治化


 1911年3月末、満州南部でのペストの流行が収束すると、4月中旬奉天全省防疫総局も廃止され、各地での特別措置が停止されました。こうしたなか1911年4月3日、奉天で国際ペスト会議( The International Plague Conference )が開催されました。
 清朝中国の代表は、錫良(しゃくりょう)のほかに外務部右丞施肇基(しちょうき)、伍連徳(ごれんとく)、王恩紹(おうおんしょう)で、日本から北里柴三郎、柴山五郎作、藤浪鑑(ふじなみあきら)、守山道碩などが参加しました。
他に、ロシア、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、オランダ、オーストリア・ハンガリー、イタリア、メキシコから代表が参加しています。
 外国代表は、中国在住の医官が中心でしたが、アメリカ代表のストロングは、マニラの生物学研究所の研究者、イギリス代表のピートリーはインドのペスト委員会のメンバー、オランダ代表は東インド軍の軍医でした。
また、北京の協和医学校のヒルとアスプランド、奉天で医療伝道にあたっていたクリスティー、上海共同租界工部局のスタンレーなども会議に参加しています。
 筆者は、上海の公文書館でこの時期の工部局の資料を読んだことがあります。
主たる関心は、上海共同租界でのペスト対策のあり方でした。
そのとき、国際ペスト会議に参加したスタンレーのメモを見つけました。
彼は、詳細に会議の内容をメモしていたのですが、興味深いことに会議に参加した二人の人物、すなわち、伍連徳と北里柴三郎の様子を会議資料の片隅に落書きしていました。
そこでの北里はいささか強面(こわもて)の印象です。
 少し話はそれますが、中国は行政文書をきちんと保存している国で、最近では公開が急速に進んでいます。
その背景には、行政文書を整理して保存することが政権の正統性を示すと強く意識されていることがあります。
清朝政府や中華民国政府の外交文書は、北京や南京、そして台北の公文書館に保存されています。
上海租界の行政文書は、そのまま上海に残され、現在、これを公文書館で閲覧することができます。
こうした状況は、重要な公文書を破棄してしまうことが多かった日本とは明らかに異なっています。
…後略…
(『感染症の中国史 公衆衛生と東アジア』飯島渉 中公新書 2009年)