しだいに青空が見えてきました。
天気予報では、明日、雨が降るみたいですが
「今夜~あす 日本海側山沿い中心に雪強まる 関東でも雪のおそれ」(NHK)
小寒から大寒のころ寒中の初芝居
一月五日は「小寒」。
この日をもって「寒の入り」、いよいよ本格的な寒さの到来です。
この日から四日目が寒四郎(かんしろう)、九日目が寒九(かんく)。
ともにきびしい寒さを告げる言葉です。
ことに寒九は寒九の水、寒九の雨などといい、飲めば元気なる水、降れば豊作の兆しとされています。
十五日のちの一月二十日は「大寒」です。
寒さが強いのは大寒よりもむしろ小寒以後大寒までですが、一年中でもっとも寒いのがこの時期です。
…後略…
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)1月6日 天保2年(1831.2.18) 〔忌〕良寛(りょうかん<74、75とも、禅僧>)
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)
良寛を描いた小説で好きなのは
貞心尼(ていしんに)の視点でつづられた瀬戸内寂聴さんの『手毬』です。
その中から最後の場面を転記します( ..)φ…前略…
見舞客は断り、遍澄(へんちょう)さんと私のふたりでずっと看病する。
今年の十二月十日に年号が変り天保元年となったので、新年は天保二年として迎えた。
御病気を気づかって能登屋の正月も例年になくひっそりとされていた。
それでも暮のうちは威勢よく餅(もち)もつき、その杵(きね)の音が病床にも聞えてきて、良寛さまは首をのばしてその音を愉(たの)しまれていた。
もうかりそめにも床に上に起き上る気力はなく、お苦しみは薄らいだものの、体力は日と共に落ちていくのがわかる。
(『手毬』瀬戸内寂聴 新潮文庫 平成6年) 餅のひとかけらも、もう召しあがれなくなっていた。
汚れていない雪を掬(すく)い、蜂蜜(はちみつ)をかけたものを、さしあげてみると、しゃりしゃりと三すくいほど召しあがった。
それにはげまされ、軒のつららを折ってさしあげると、美味(おい)しいと口の中でふくまれる。
おもゆさえ、ほとんど受けつけなくなっていた。
正月四日になって由之(ゆうし)さまが見えられた時は、数日の間にまたげっそりと面変(おもがわ)りされたと愕かれていた。その中から最後の場面を転記します( ..)φ…前略…
見舞客は断り、遍澄(へんちょう)さんと私のふたりでずっと看病する。
今年の十二月十日に年号が変り天保元年となったので、新年は天保二年として迎えた。
御病気を気づかって能登屋の正月も例年になくひっそりとされていた。
それでも暮のうちは威勢よく餅(もち)もつき、その杵(きね)の音が病床にも聞えてきて、良寛さまは首をのばしてその音を愉(たの)しまれていた。
もうかりそめにも床に上に起き上る気力はなく、お苦しみは薄らいだものの、体力は日と共に落ちていくのがわかる。
(『手毬』瀬戸内寂聴 新潮文庫 平成6年) 餅のひとかけらも、もう召しあがれなくなっていた。
汚れていない雪を掬(すく)い、蜂蜜(はちみつ)をかけたものを、さしあげてみると、しゃりしゃりと三すくいほど召しあがった。
それにはげまされ、軒のつららを折ってさしあげると、美味(おい)しいと口の中でふくまれる。
おもゆさえ、ほとんど受けつけなくなっていた。
由之さまと交代でお伽(とぎ)をしている時、私はさりげなく、
「お心にかかることはございませんか、御心持は如何(いかが)でしょうか」
と申しあげた。
良寛さまは薄目をあけて、まっ直(すぐ)私の目を捕らえ、
「死にとうない」
とつぶやかれた。
聞きちがいかと、一瞬目を大きくしたが、その私の表情をごらんになって、うっすらと微笑され、
「死にとうない」
ともっとはっきりいわれた。
「こんなにやさしい人たちに囲まれているのだもの、もっとこの娑婆(しゃば)にながらえたい気がする」 もはや薬も食事も自ら断たれているようなので、私も覚悟を決めていった。
「御辞世は」
良寛さまは半分眠ったようなうつらうつらとした声音で、
「散る桜、残る桜も散る桜」
とつぶやかれ、そのままひきこまれるようにすとんと眠りに入られた。
理につきすぎて良寛さまらしくないお歌だった。
やはり辞世というのはまだ神経のしっかりしている時につくっておくのがいいのだろうか。 正月六日申(さる)の刻近くであった。
ふいに私と遍澄さんに上体を起すようにいわれ、ふたりで支えあって床の上に坐らせた。
背の方から遍澄さんが上体を支えていた。
私は前に回り、良寛さまのお膝(ひざ)を抱いていた。
高僧は死に臨んで坐(ざ)してそれを迎えると聞いていたからだ。 森閑とした時があった。
ふと見上げると、端然としたまま良寛さまはすでにひっそりと示寂されていた。
眠るが如(ごと)きお静かな美しいお顔は、私の方にほのかに笑いかけていらっしゃるように見えた。
私の背後から由之さまのすすり泣きの声がしめやかに洩(も)れてきた。
屋根の雪がすべり落ちる静かな音が窓の外にした。
(『手毬』瀬戸内寂聴 新潮文庫 平成6年)今朝の父の一枚です(^^)/
恋のメロディが美しいとは限らない
カワラヒワは早春になると、河川敷などで「ビィーン、ビィーン」と濁った声でよく鳴いています。
その合間に、「キリリリ♪ コロロロ♪」と可愛らしい声も聞こえます。
後者がさえずかと思いきや、前者の「ビィーン」という単調な濁った声が、カワラヒワのさえずりとされています。
鳥の声は多きく分けると「さえずり」と「地鳴き」の2種類があります。
一般的には、さえずりは英語で「 song 」といわれるように、歌のように複雑で美しい声です。
求愛やなわばり宣言の意味を持っているといわれています。
一方の地鳴きは、英語でいう「 call 」です。
警戒や威嚇、恐れ、喜び、集合の合図、存在の確認など、声ごとに様々な意味があります。
傾向としてはさえずりよりは単調で短い声ですが、カワラヒワのようにわかりにくい例もあります。
…後略…
(『身近な「鳥」の生きざま事典』一日一種著 SBクリエイティブ 2021年)昼から心臓リハビリに行ってきました。
月初めは、心電図を撮ってもらっています。
理学療法士さんと中国では“ウイルスの主な症状は下痢で特定の胃腸薬が効く”との未確認情報が拡散しているようだけど
下痢を止めると細菌やウイルスが体内に残り症状がいっそうひどくなる場合があることを話していました。
かつてO-157の感染で下痢止めを飲んだために亡くなった方がいました。
「下痢の正しい対処法」(日本臨床内科医会)が参考になると思います。
薬で下痢を止めてはいけない!?
近年、マスコミやインターネットの影響か、医療の専門情報に驚くほど詳しい方が多くなりました。
しかし、その情報が不十分なかたちで広がり、誤解につながっていることもあります。
「下痢を薬で止めてはいけない」というのも、そんな情報の一つ。
確かに、食中毒や細菌感染で起きた発熱や血便を伴う下痢など、腸の中にある毒素や異物を早く取り除くため、安易に腸のぜん動運動を止めるべきではないケースもあります。
しかし、そうでない場合は、体力を消耗し、脱水などのより危険な状態を招きかねないので、薬も適切に使いしっかり対処しなければなりません。
近年、マスコミやインターネットの影響か、医療の専門情報に驚くほど詳しい方が多くなりました。
しかし、その情報が不十分なかたちで広がり、誤解につながっていることもあります。
「下痢を薬で止めてはいけない」というのも、そんな情報の一つ。
確かに、食中毒や細菌感染で起きた発熱や血便を伴う下痢など、腸の中にある毒素や異物を早く取り除くため、安易に腸のぜん動運動を止めるべきではないケースもあります。
しかし、そうでない場合は、体力を消耗し、脱水などのより危険な状態を招きかねないので、薬も適切に使いしっかり対処しなければなりません。