2016年9月20日火曜日

警報が出たけど…

 大雨・洪水・暴風警報が出ているのでどうかなと思ったけど
入り口の扉を開けてくださった(^-^)
明日は,倒木などの点検で開園が遅くなるかな…
 巻第十 秋の相聞 2283
吾妹子(わぎもこ)に相坂(あふさか)山のはだ薄穂(すすきほ)には咲き出でず恋ひ渡るかも

吾妹子に逢う,相坂山の薄のようには穂は咲き出ることもなく,恋いつづけることよ。

「はだ薄」は穂に出ない薄という。旗薄は出たもの。
咲き  穂に出ることをいう。尾花と同内容。
(『万葉集(二)』)
    不忍池
蓮枯(かれ)て夕栄(ゆうばえ)うつる湖水哉
(『子規句集』)

雨宿りをしていました(^。^)
  秋かぜのうごかして行案山子哉  蕪村

 宝暦十年の秋,江戸に居住していたころの知己であった尾張の俳人,渡辺雲裡房(うんりぼう)が蕪村をたずね,しきりに筑紫行脚をすすめた。
が,画業に専念していたかれは,心動かされながらも同行をことわった。
右の句には「雲裡房つくしへ旅たつとて我に同行をすゝめけるに,えゆかざりければ」と前書されている。
秋風が吹いてきて案山子をゆり動かしてゆく。
私は行きたいのだがその案山子のように,行けないのだ,という意を寓した句である。
だが,その寓意をとり払ってありのままにこの句を受けとっても,
この句は秋風の過ぎゆくさまを描きつくしてあますところがない。
この情景は,案山子が風に動かされているというのではない。
風が案山子を動かしてゆくのだ。
その風の音が耳もとで鳴るような気さえしてくる。
(『詩人与謝蕪村の世界』森本哲郎著/至文堂 昭和45年)
(太字&下線の原文は,傍点の「、、、、、、」)
 巻第十(秋の相聞) 2247
秋の田の穂向(ほむ)きの寄れる片寄(かたよ)りに我(あれ)は物思ふつれなきものを

秋の田の稲穂の向きが一方に寄っているように,私はあなたの方へひたむきに思いを寄せる。
私には無関心なあなたなのに。
(『万葉集 (三)』)
お彼岸のお彼岸花をみほとけに
(『山頭火大全』講談社 1991年)
眼帯の取れしその日の白木槿
(『鈴木真砂女全句集』)
日本産のヒガンバナには種ができず,球根で増えます。
人が植えたとは思えない所でヒガンバナを見かけます。
イヌとかカラスがくわえていったとか」で増えるそうですが…(・・?
白萩の雨をこぼして束ねけり  杉田久女
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』筑摩書房 昭和32年)

 四季薔薇颱風圏に入りたるいふ
(『句集 春雷』)
恨みは数々多けれども よしよし申すまじ この花を御法(みのり)の花になし給(たま)

◇小田垣能登守(おどがきのとのかみ)作と伝えられる謡曲「朝顔」の一節。
京都,仏心寺に咲く朝顔の精が現われて,朝顔を見捨てて萩を賞翫(しょうがん)する旅僧に対し,恨み言を述べる場面。
現行能本にはこの直前に「咲く花に,うつるて名は包(つつ)めども,折らで過ぎ憂(う)き今朝(けさ)の朝顔と,もてはやさるるも有るものを,ただ萩のみを御賞翫(ごしょうがん)の」とあり,「恨みは数々」と続く。
「よしよし」は,もうよい,ままよ。不満はあるが咎めないでおこう,という意。
「御法」は仏法を崇(あが)めていう語。
「法の花」に草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)を説く『法華経』を暗示する。
「恨み言は数々あるが,いやもうよい,それは言うまい。この朝顔の花を,仏への手向(たむ)け草としてください。」
(『新訂 閑吟集』)

( 画像はコヒルガオ
露草が露をふくんでさやけくも
(『山頭火著作集Ⅰ あの山越えて』大山澄太編/潮文社 昭和47年)
 マメアサガオになみなみと…(*゜∀゜*)
今朝の雨は冷たかったです
次第に風雨が強くなってきました…
サクラが咲いていた…
志賀直哉あゆみし道の蝸牛
(『西東三鬼全句集』沖積舎 昭和58年)

殻の大きさが1cm以下なので赤ちゃんだと思いますが…