今朝も5月のような陽気でしたが、やはり朝は涼しい(^-^)
カンサイタンポポが咲き出しました♪
てにひらの己(おの)が冷たさ哀れみてひとは寂しむ春楡(はるにれ)の下
(『無援の抒情』)
咲いた桜になぜ駒繋(こまつな)ぐ 駒が勇(いさ)めば花が散る
人口に膾炙(かいしゃ)した名歌。
延宝6年(1678)板行の『古今役者物語』所収、踊口説(くどき)に
「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めばノホホンノホホン、ノンホノフ、イヨイヨ花が散るちる」、
宇治加賀掾浄瑠璃所収の歌舞伎踊歌に
「咲いた桜に小鳥なとめそノホンヤ。鳥の羽(は)風に花が散るノホンヤ」とあるのによれば、
この小歌は江戸初期から、しかも「花が散る」に、
美しい女が男の血気によって処女性を奪われる寓意の歌として流布したものと思われる。
むろん「花」は若い男女の花やかな盛りをいい、特に美女・遊女をもさす。
『近松語彙』にも、宝永2年(1705)春初演の義太夫正本「雪女五枚羽子板」の
「咲いた桜になぜ駒繋(つな)ぐヨノ、勇めば駒が、駒が勇めば天にも上(あが)る雲雀毛(ひばりけ)や」を解して、
「この唄の意は、美人も嫁すればその身が窶(やつ)れるに至れるとて、年頃になった娘に良人を持たすことを惜しんだのである。
巣林子(近松)この唄を取って<花が散る>を作り替へて<天にも上る云云>とつづけたのである。」と記す。
これも現行民謡まで類歌が多い。
(『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』)
午後、図書室へ向かっていると桜が散りだしていました。
散(ちる)花や猫はね入てうごく耳 什 佐
庭前か何かの光景であろう。
猫が睡っている上に桜の花が散りかかる、
睡っていながらも猫は時々無心にその耳を動かす、というスケッチである。
其角は四睡図(しすいず)に題して「陽炎(かげろう)にねても動くや虎の耳」という句を作った。
多分猫から連想したのであろうが、この虎の句にしろ、猫の句にしろ、
一句の主眼というべきものは、睡っていても耳が動くという事実の興味にあるので、
陽炎なり落花なりは背景として趣を添えているに過ぎない。
が、同時にこの背景によって、その事実が麗(うららか)な春の中に浮かんで来ることは、
俳句の特色として多言を要せぬであろう。
(『古句を観る』)
久しぶりにヤマガラに出会いました♪
両足で挟んで上手に食べます(^_^)b
クマバチ(コシブトハナバチ科)も花見に来ていました(^^ )
思案顔のヤマガラ
朝ご飯を見つけたようです(^-^)
山雀や愚は人に多かりき 塩原井月
(『図説俳句大歳時記 秋』 昭和39年)
父の一枚です(^-^)
先日、母が桜を見ていた写真をプリントしてあげました。
その桜を撮していました。
妹にもあげたいからと二枚プリントしてくれと頼まれました。
他に、コゲラもいい感じでうつっていたので妹の分と合わせプリントしました。
妹に他の写真も見せるとみんな持って行かれたとぼやいていますが
本心はうれしいようです(^。^)
昨日紹介した蕪村の句ですが、今ひとつぴんとこなかったのでネットで検索しました。
ある方のサイトに竹西寛子さんの評釈を紹介されていてなるほどと思ったのですが
引用文献が載っていませんでした…
午後から図書室に行って調べるとその本だと思うのが見つかったので転記します。
なお「若楓」では初夏の季語です(^_-)
三井寺(みゐでら)や日は午(ご)にせまる若楓(わかかへで)
園城寺(おんじょうじ)。通称、三井寺。天台宗寺門派(じもんは)の総本山。
大津の町と琵琶湖を見下ろす規模壮大の寺。
「日は午にせまる」、正午近く、中天の太陽を受けて動じないのが三井寺の大きさであろう。
また、「日は午にせまる」で、若楓の冴(さ)え方がいっそう鮮やかになり、若い緑の量感もぐっと増す。
三井寺の寺格の高さまで言い得ている句だと思う。
加藤暁台(きようたい)の、「日のくれたり三井寺下(くだ)る春のひと」とともに鑑賞するのもよい。
直接に琵琶湖をよんでいないけれど、私がこの句を味わう時には、無意識のうちに湖水の輝きを呼び寄せている。
近くに湖を控えている由緒深い古寺の初夏。
ほかのどの国でもない、日本の夏景色だといいたくなる眺めである。
(『竹西寛子の松尾芭蕉集 与謝蕪村集』1987年)
0 件のコメント:
コメントを投稿
申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m