カリンの蕾からチョコンと姿を見せていました。
入院中ほとんど寝ていたので体力的に不安…
重い望遠レンズ(ズーム)は諦めて
90mmマクロレンズ(MF)で撮影することにしました。
そんな時に限ってモズ♀に会える…(^0^;)
われは常に過ぎゆく一人雪の中に菜の花を配るをとめらを見て 三国玲子
三国の歌は、いちはやく暖地に訪れた春の花を配することによって
その身の孤独をなお深めるものである。
(藤井常世)
(『岩波現代短歌辞典』書籍版)
春へ窓をひらく
(『山頭火著作集Ⅰ あの山越えて』大山澄太編/潮文社 昭和47年)
囀りの声々すでに刺すごとく森には森のゐたたまれなさ
(『明石海人詩集』)
「明石海人顕彰会」
巻第十(春の相聞) 1926
春山(はるやま)のあしびの花の悪(あ)しからぬ君にはしゑや寄(よ)そるともよし
春の山のあしびの花のように、悪(あ)しからぬ君になら、ままよ、噂をされてもかまわない。
▽上二句は「あしび」から「悪し」を導く序詞。
「しゑや」は投げやりな気持を表す感動詞。
「寄そる」は、下二段「寄す」の受身。二人に関係があるように言いはやされる意。
(『万葉集(三)』)
まだ蕾だなと思って見るとカンヒザクラが開いていました。
母はこのサクラを見ると沖縄を懐かしがっていました。
紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ
とある垣の内に紅梅が咲いている。
その紅梅の色香を慕って近づくと、垣の内に玉簾(すだれ)を垂らしてひそかな佇まいである。
その内にはどのような美しい上﨟(じょうろう)があろうかと、まだ見もせぬ恋心を募らせるのである。
謡曲『鸚鵡(おうむ)小町』に見える
「雲の上はありし昔にかはらねど見し玉だれのうちやゆかしき」(十訓抄)の歌を踏まえる。
垣ほの梅にまだ見ぬ人を偲ぶのも古今集以来の古典情緒である。
物語体の発句を芭蕉は試みたのである。
(『芭蕉全発句』)
いくばくの命椿の私語を聞き 小林文枝
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
入院している間にもう出てきたんだな…
ツクシ(土筆)
サンシュユが満開に近かったです♪
1本の木に紅白の梅(源平咲き)。
アンズも咲き出しました♪
なんか眠そうな目をしたオオイヌノフグリ(^▽^)
こちらはとぼけた顔をしたホトケノザ
今朝の父の一枚です。
ヒガンザクラにメジロがやってきています。
Kazeが横を通り過ぎたとき、カメラマンが大勢いたので遠慮しました。
(2012年3月26日)
今日は、母の月命日。
母がルーペでのぞいているのはカリンの蕾。
母がルーペでのぞいているのはカリンの蕾。
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m