昔からよく読み返していた本に和辻哲郎の『古寺巡礼』(岩波文庫版)があります。
この古寺巡礼の初版(ちくま学芸文庫版)がでたときに、
早速購入して読んでいたのですが、その時は気にもかけなかった言葉が
再読すると今の気持ちにピタッとくる…
久しぶりに親兄弟の中で一夜を過ごした。
逢う時に嬉しいと思うだけ別れる時にはつらい。
今僕は哀愁に胸を閉(とざ)されながら、窓外のしめやかな五月雨を眺めている。
愛とは悲しいものだ。
涙にぬれた心のみが、本当に他の心を抱擁するのだ。
大慈大悲(だいじだいひ)という言葉の妙味が今は頻(しき)りに胸にこたえて来る。
(「哀愁のこころ」P21)
(『初版 古寺巡礼』ちくま学芸文庫)
岩波文庫版を読み返すと印象がかなり違っていました。
哀愁のこころ――南禅寺の夜
久しぶりに帰省して親兄弟の中で一夜を過ごしたが、
今朝別れて汽車の中にいるなんとなく哀愁に胸を閉ざされ、
窓外のしめやかな五月雨がしみじみと心にしみ込んで来た。
大慈大悲という言葉の妙味が思わず胸に浮かんでくる。(P24)
(『古寺巡礼』岩波文庫)
カットされた「愛とは悲しいものだ。 涙にぬれた心のみが、本当に他の心を抱擁するのだ。」に心を揺すぶられました。
プロバイダーのサービス終了に伴いblogはなくなりましたが
2011年7月31日、僕が心筋梗塞で入院してICUから一般病棟に移り
8月20日に見舞いに来てくれたときの両親の画像です(以前、紹介しました)。
廊下の窓から見送る僕に気がついて父が手を振ってくれましたし、
2月に足を骨折した後、歩くのが不自由だった母が
「顔を見ると安心できる」と、
入院中、毎日、猛暑の中をバスに乗って見舞いに来てくれました。