今日もギックリ腰が響いていて、妹を迎えに車を運転するくらいでした… お母さんが圧迫骨折で腰を痛めたのは2年ほど前、 以来、ズーッと痛みに苦しめられてきました。 毎日、遺影に向かって「本当によく頑張ったね」と声をかけ続けています。 | ||
テキストは古いのですが我妻栄氏の『法学概論』から一部転記します。 明治維新以後の約100年間におけるわが国の法律制度の民主化の途をたどろうとする本書にとっては、 明治22年(1889年)の大日本帝国憲法(以下明治憲法と呼ぶ)と昭和22年(1947年)の日本国憲法とは、二つの大きな拠りどころである。 前者によって、わが国の民主化は、制度としては半ばまでその道を進み、後者によって、ほぼ完成の域に達した。 もちろん、制度とその運用とは一致するものではない。 制度は、運用によって、一層民主主義の理想に近づくこともでき、 また、その反対に制度の趣旨が運用によって殺されることもある。 事実、明治憲法は、大正の時代において、その予定する以上に民主的に運用された。 大正デモクラシー時代と呼ばれるものである。 また、日本国憲法は、施行後20余年、それに含まれている完全に近い民主的な諸制度が、 果たして本来の趣旨に従って運用されているかどうか、疑問を抱かせるものも決して少なくない。(P2~3) (略) 日本国憲法施行後のわが国の実情は、憲法の理念の後退を示す――少なくとも当初の純真さを失っている――かに見えるのであるが、 (略) (『法律学全集2 法学概論』1974年)
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