万葉集第一巻に天智天皇が内大臣藤原朝臣(鎌足)に,
春山の万花のあでやかさと秋山の千葉の彩りと,
どちらの方に深い趣があるかとたずねられたときに
額田王が判定した歌があります。
巻第一 16 額田王
冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみぢ)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山われは
冬がすぎて春がやって来ると,今まで鳴かなかった鳥も来て鳴く。
咲かなかった花も咲く。
しかし,山はしげり合っていて,入って手にとれもせず,草も深く,手折ってみることもできない。
一方,秋の山の木の葉を見るにつけ,黄葉を手にとっては賞美し,青い葉を措いては嘆く。
そこに思わず恨めしさを覚える。そんな心ときめく秋山こそ。私は。
(『万葉集(一)』中西進訳注 講談社文庫 1978年)
額田王は双方の美しさを比較することはあえてせず,
手に持つことできる,秋の紅葉の方をよしとする。
中国古代の詩文では秋はもっぱら悲傷すべき季節とされ,紅葉の美の表現も見られない。
(『万葉集(一)』佐竹昭広他 校注 岩波文庫 2013年)
忙しそうにしているのは…
春山の万花のあでやかさと秋山の千葉の彩りと,
どちらの方に深い趣があるかとたずねられたときに
額田王が判定した歌があります。
巻第一 16 額田王
冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみぢ)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山われは
冬がすぎて春がやって来ると,今まで鳴かなかった鳥も来て鳴く。
咲かなかった花も咲く。
しかし,山はしげり合っていて,入って手にとれもせず,草も深く,手折ってみることもできない。
一方,秋の山の木の葉を見るにつけ,黄葉を手にとっては賞美し,青い葉を措いては嘆く。
そこに思わず恨めしさを覚える。そんな心ときめく秋山こそ。私は。
(『万葉集(一)』中西進訳注 講談社文庫 1978年)
額田王は双方の美しさを比較することはあえてせず,
手に持つことできる,秋の紅葉の方をよしとする。
中国古代の詩文では秋はもっぱら悲傷すべき季節とされ,紅葉の美の表現も見られない。
(『万葉集(一)』佐竹昭広他 校注 岩波文庫 2013年)
忙しそうにしているのは…
メジロ
お腹が白い…
シロハラ
落葉ひそかに我のめぐりに降り積むと眠れば堪へ難き夜といふはなし
(『中城ふみ子歌集』菱川善夫編 平凡社 2004年)
薔薇手折る鋭どき刺もともどもに
(『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 川村蘭太 新潮社 2011年)
一生をこせこせ生きてゆくことのすべては鼻の先にでている
(『青じその花』山崎方代 かまくら春秋社 平成3年)
ジョウビタキ
(略)
二軒の庭木に毎朝笹鳴がするのである。
鶯はどちらの庭にも構はず来てチツチツと鳴いてゐる。
住み古したアパートの一室でそればかりが新しい障子をそつと開いてうかゞふが,鶯の姿はまだ見かけたことがない。
三寸ばかり開いた障子の隙間に冬椿の厚い艶つぽい葉と,数の少ない花を見るのは,何かひそかなよろこびだ。
笹鳴や障子ばかりが新しき
(略)
(『波郷句自解 無用のことながら』石田波郷 梁塵社 2003年)
ウグイス
ヤマガラ
白いものが見えたのだけど…
確かスモモの木なんだけど…
お腹が白い…
シロハラ
落葉ひそかに我のめぐりに降り積むと眠れば堪へ難き夜といふはなし
(『中城ふみ子歌集』菱川善夫編 平凡社 2004年)
薔薇手折る鋭どき刺もともどもに
(『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 川村蘭太 新潮社 2011年)
一生をこせこせ生きてゆくことのすべては鼻の先にでている
(『青じその花』山崎方代 かまくら春秋社 平成3年)
ジョウビタキ
(略)
二軒の庭木に毎朝笹鳴がするのである。
鶯はどちらの庭にも構はず来てチツチツと鳴いてゐる。
住み古したアパートの一室でそればかりが新しい障子をそつと開いてうかゞふが,鶯の姿はまだ見かけたことがない。
三寸ばかり開いた障子の隙間に冬椿の厚い艶つぽい葉と,数の少ない花を見るのは,何かひそかなよろこびだ。
笹鳴や障子ばかりが新しき
(略)
(『波郷句自解 無用のことながら』石田波郷 梁塵社 2003年)
ウグイス
ヤマガラ
白いものが見えたのだけど…
確かスモモの木なんだけど…