2026年6月19日金曜日

ひとっ飛びに…

天気予報では、各地で30度を超える真夏日になり7月中頃の気候だとか
公園で桔梗の花が咲いていました。
この時期に咲く花ですが、秋の季語
ひとっ飛びに秋にはならないでしょうね…
これから梅雨の蒸し暑さ、猛暑に耐えないと(^_^;

各地で真夏日に あすは西~東日本で激しい雨のおそれ」(NHK)
オランダ国王王妃両陛下主催晩餐会のおける天皇陛下のおことば」(令和8年6月17日 宮内庁)

 このような長きにわたる両国の友好と交流の歴史を振り返るとき、過去に苦難の時期があったことも同じく、決して忘れてはなりません。先の大戦の中で、多数の民間人を含む多くの尊い命が失われ、多くの人が傷ついたことは誠に悲しむべきことであります。私たちは絶えず謙虚に過去の歴史から学び、人々の痛みや悲しみに寄り添って耳を傾け、悲しみを繰り返さないよう、悲惨な体験や苦労を後の世代に伝えていかなければなりません。そして、今なお当時の痛みを負い続けている人々がおられることに思いを致し、平和への努力を続けていかなくてはならないと思います。

宮内庁のHPにアクセスして全文お読み下さい。
グレーテルのかまど「カーペンターズのチューイー・パイ

湯川れい子さんが語るカレンは、「本当に普通の女の子
お気に入りの一つが 幼い頃に近所の人から教わった チューイー・パイ。
チューイー・パイは、1930年代世界を襲った大恐慌の時代に誕生したそうです。
料理好きのカレンが拒食症で1983年、32歳で旅立ってしまいました。
湯川さんが
いや~ 好き… 好きでしたからつらかったですね。
当時、あまりにも速すぎる旅立ちに何故って思いました。
風、薫る(59)第12週「旅立ち」

バーンズ先生とゆきがアップルパイを卒業祝いに用意してくれました。

朝ドラ「風、薫る」公式(6月18日)

トメの津軽の実家からリンゴがよく送られてきていました。
トメのモデルと言われているのが広瀬梅だそうですが岡山出身なんですよね。
岡山出身だから桃が送られてきて「ピーチパイ」のなるところでしたね(^_-)
アップルパイのことが気になったので図書館で本を借りました(^_^)v

 episode 3 アップルパイ

 アップルパイはアメリカ人の魂?(省略)

 アップルパイのふるさと 

 お国自慢のアメリカ人たちがどう主張しようとも、アップルパイは残念ながらアメリカで生まれたものではない。
(『歴史をつくった洋菓子たち』長尾健二 築地書館 2017年)
 りんごは、旧約聖書のアダムとイヴの話を持ち出すまでもなく、古代より人びとに親しまれてきた果物であり、それを材料に使ったお菓子もまた、昔から世界中の各地で作られてきた。
それをパイの形にしたのは当然のことながら英国の人びとである。
まあ、パイの話は始めるとキリがないので別の機会に譲るとして、アップルパイが英国の文献に現れるもっとも古い記述は1381年のジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』にさかのぼると、さまざまな資料が明言している。
しかし、奇妙なことに『カンタベリー物語』のどこを探してもアップルパイに関する記述は見当たらない。
これもまた、数多くある「洋菓子の起源伝説」のひとつなのだろう。
 はっきりした確証をもってアップルパイのレシピが書かれた最古の文献と言い得るのは『カンタベリー物語』とほぼ同時代に世に出た料理書『フォーム・オブ・キュリー』で、ここに「FOR TO MAKE TARTYS IN APPLIS(りんごのタートの作り方)」と題されたお菓子の作り方が記載されている。
ちょっと紹介してみよう。
  良質のりんごと良質のスパイス、いちじく、レーズン、梨を用いてサフランできれいに色付けをし、パイ・ケースに詰めて十分に焼く

 ここでおもしろいのはパイ・ケースに当たる単語が「cofyn」となっていることで、「cofyn」は「coffin」の古語、すなわち棺桶のことである。
言いえて妙というか、昔の人の言葉のつかい方には本当に感心させられる。
 それはともかく、ここで紹介したアップルパイはまだ中世の名残を色濃く留めたものだ。
それから200年ほど経た1590年には、劇作家のロバート・グリーンが『アルカディア』という作品の中で登場人物の一人に「汝の吐く息はアップルパイから立ち昇る湯気のごとし」というセリフを言わせており、この頃までにはほぼ現代と同じようなアップルパイができあがっていたらしい。
もとよりこれは王や貴族の食卓にのせるために宮廷料理人が腕によりをかけて作るようなものではなく、あくまでも家庭料理の範疇に属するもので、その意味では基本的に庶民の食べる物である。
英国の伝統ではアップルパイと一緒にチーズを食べる習慣があり、先のユージン・フィールドの詩(「アップルパイとチーズ」)もそうした英国の風習を引き継いだ古き良きアメリカの家庭の風景などを思い浮かべながら読むといっそう味わいが深まるかもしれない。
 アップルパイが英国庶民の暮らしに密着した食べ物であったことを示す格好の事例をここでひとつ紹介しよう。
 花言葉を世に広めたことでも知られるイギリスの絵本作家ケイト・グリーナウェイの1886年の著書にその名もズバリ『アップルパイ』というタイトルの本がある。
これは『マザー・グース』に収録された言葉遊びを利用した幼児歌(ナーサリー・ライム)を絵本にしたもので、大きなアップルパイを巡る子どもたちの行動を通してAからZまでのアルファベットを幼児に教えようという趣旨のもとに書かれている。
「A APPLE PIE」から始まって、「B BITE IT(それをかじる)」、「C CUT IT(それを切る)」というぐあいに続いていく。
こんなふうに幼児向けの教材としてアップルパイが選ばれたというのも、やはりアップルパイがそれだけ身近で大人だけでなく子どもにも親しみやすい素材であった何よりの証拠と言って良いだろう。
 アップルパイの仲間たち

 先にも書いたように、りんごを使った洋菓子は世界中にある。
フランスにも「タルト・オ・ポム」というお菓子があり、これなどは英国やアメリカのアップルパイの直系の親族と言って良いだろう。
 形はやや違うけれどもショーソン・オ・ポムもアップルパイの仲間に加えて良さそうだ。
ショーソンというのは室内用の履物、すなわちスリッパのことだが、これは半円形の形から名付けられたものらしい。
このお菓子も古くから知られており、古典的なフランス菓子である。
ヴィクトル・ユゴーの代表作である『レ・ミゼラブル』では、このショーソン・オ・ポムが非常に印象的な使われ方をしている。
 それは浮浪児のガブロシュが最後の闘いに赴くために共和主義者たちが築いているバリケードに向かってポン・ト・シュー街を歩いている場面である。
片手にピストルを持ち、通りを歩くガブロシュはやがて一軒の菓子店の前にさしかかる。
先行きのわからない身でもう一度ショーソン・オ・ポムを食べる機会を与えられたのは天の恵みと、ポケットを探ってみるが1スーの持ち合わせもない。
彼は思わず叫ばすにはいられない。
助けてくれ!
ガブロシュは渋々ショーソン・オ・ポムを諦めてふたたび通りを歩き始める。
そしてバリケードでの戦闘に参加し、その数日後に銃弾を受けて12年の生涯を閉じるのである。
 この場面の時代設定は1832年6月。
そこに登場するお菓子がそれよりずっと以前から存在していたことは言うまでもないだろう。
ショーソン・オ・ポムは現在のフランスの菓子店でも普通に売られている。
まことに息の長いお菓子である。
 ドイツに行くと、アプフェル・イム・シュラフロックという、これも古典的なりんごのお菓子がある。
アプフェルはドイツ語でりんごのこと。
そんなことは言われなくてもわかってるよ、と叱られそうだが、ではシュラフロックというのは?
これはパジャマなどの上に着る部屋着、つまりドレッシング・ガウンのことだ。
なぜそんな名前がついているのかは、実際にこのお菓子を作ってみるとわかる。
ドイツ菓子らしくてきわめてシンプルなレシピである。
 まずブレッタータイク(フランス菓子でいうパート・フイユテ)を薄く伸して正方形にカットする。
りんごの皮をむき芯を抜いて正方形のブレッタータイクの中央に置く。
芯を抜いた後の空洞にバターと砂糖、レーズン、りんごジャム、ワインを混ぜ合わせた詰め物を詰める。
ブレッタータイクの四つの角を持ち上げてりんごを包み、てっぺんの合わせ目に小さな円盤状に切り抜いたブレッタータイクを被せて接着する。
オーブンで焼く。
 もうおわかりのことと思う。
りんごを丸ごとブレッタータイクで包み込むその姿がまるでりんごにシュラフロックを着せたようだ、というのでこの名前がつけられたわけだ。
無骨で飾りけのないドイツ菓子にしてはなかなかお洒落な命名ではあるまいか。
 さて、ここまできたらウィーンの銘菓も取り上げないわけにはいかないだろう。
ウィーン菓子でりんごを使ったものと言えば、まず忘れてはならないのはアプフェルシュトルーデルである。
 ヘミングウェイは短編『クロスカントリー・スノー』の中で登場人物の一人に「お望みでしたらアプフェルシュトルーデルがありますけど」と言わせている。
また、映画『G・I・ブルース』の中では兵役でウィーンに駐屯しているプレスリーが「デザートにはおいしいアプフェルシュトルーデルだ」と同僚に語りかける。
ヘミングウェイの小説なんか読んだことないしプレスリーの映画にも興味がないという人からは「それがどうした?」と言われそうだが、とにかくそれくらいポピュラーなウィーン菓子なのである。
 もっとも、アプフェルシュトルーデルをアップルパイの仲間と言ってしまうのは、いささか無理があるかもしれない。
というのも、りんごの詰め物を包むアプフェルシュトルーデルの生地はごく薄くパリパリした食感で、アップルパイのパイ皮とは別物だからである。
 オーストラリア圏におけるアプフェルシュトルーデルを含むシュトルーデルの歴史もかなり古く、さらにその発展と普及の背後にはハプスブルグ家の栄光の日々が存在するという実に由緒正しい食べ物でもある。
ウィーンの市立図書館には1696年に作成されたという手書きのレシピが保存されているという。
さらに、その歴史をさかのぼってみると、14世紀から18世紀にかけてトルコを中心に中海沿岸領域を支配して勢力を誇ったオスマン帝国にも関連が及ぶというから話は壮大である。
 中東のアラブ諸国にバクラヴァという郷土菓子がる。
薄いパリパリした生地を層状に重ねてその間にハチミツで絡めた刻みナッツがいっぱいに詰まっており、濃厚と言って良いほど甘い。
このバクラヴァは、現在ではアラブ諸国の広い範囲に広まってさまざまなバリエーションを生み出しているが、もともとはオスマン帝国のもとで生れたものでトルコがその発祥の地である。
 オスマン帝国は16世紀には東ヨーロッパに進出、幾多の激戦を経てハンガリーの南部と東部を征服する。
このとき北部と西部を支配していたのがオーストリアを本拠とするハプスブルグ家で、これ以降、オスマン帝国のイスラム勢力とハプスブルグ家のキリスト教勢力はハンガリーを分割統治しながら150年近くにわたって互いに激しく争うことになる。
 戦争は言うまでもなく略奪と破壊という負の面を持っているのだが、一方で文化の交流を促すという側面を併せ持っていることも忘れてはならない。
イスラム勢力に対抗するためにヨーロッパのキリスト教勢力が送り出した十字軍がアラブの優れた文化をヨーロッパに持ち帰ったように、ハプスブルグ家もオスマン帝国との長年に及ぶ係争の中で多少なりともアラブ文化の影響を受けずにはいられなかった。
特に、おいしい食べ物を目の前にしては敵も味方もない。
国境など存在しないも同然である。
 こうして戦争のおかげでバクラヴァはトルコからハンガリーを経由してウィーンに伝わり、これがハプスブルグ家の優秀な料理人たちの手によってシュトルーデルへと変貌を遂げたというわけだった。
 たかが洋菓子というなかれ。
その背後にはかくもスケールが大きく波乱に満ちた歴史が存在することだってあるのである。
(『歴史をつくった洋菓子たち』長尾健二 築地書館 2017年)

米・イラン 19日予定の協議“延期” レバノンでは戦闘続く」(NHK)
イスラエルは、攻撃をやめないと思う。
現代の戦争は、破壊だけが残ってしまう。
今朝の父の一枚です(^^)/
せっかくスズメが水浴びをしている所を撮していたら
カラスがやってきて逃げてしまったそうです(`´)

 「クマ」つづき 

 日本では二種類のクマが見られる。
北海道にいるヒグマはユーラシアと北アメリカの北部に広く分布する。
ツキノワグマはヒマラヤ山脈の麓から中国西南部を経て、アムール川流域まで分布し、本州、四国、九州に生息する。
とはいえ九州ではほぼ絶滅、四国でもそれに近い。
山の緑が濃くなりはじめた初夏のころ、山仕事の人がクマのうなり声を聞くことがあるというが、交尾期の闘争の声かもしれない。
日本での観察例はまだないが、ヒグマもツキノワグマも6月ごろ交尾を行い、雌一頭を囲んで数頭の雄が争うとされる。
受精した卵はいったん発育を停止し、11月ごろに着床して発育を再開することが、アメリカクロクマで明らかにされている。
おそらくヒグマやツキノワグマでも同様と思われ、秋に数多くのクマを撃つ猟師たちもクマの胎児を見た人は少ない。
受精卵が数カ月も発育を停止することは、広い地域を遊牧して食物をあさるクマの母体に重荷をかけない適応だといえるだろう。

 …つづく…

(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)